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わたしはそんなにも食べ物に執着しているように見えるのだろうか。確かに甘いものには目がないし、パエリアは好物の一つだし、抹茶プリンは本当に美味しかった。だからって目の前にご馳走を並べて、それでもって交換条件にしようとするなんて。竹下に包み隠さず須田のことを話せと言われ、その場で立ち上がった。
「帰る」
「座れ」
「……帰る」
「座れ」
「か、帰りたいんだけど……」
「座れ」
「……うん」結局竹下の言葉に従ってしまうわたし。再び席に座った。
「食べながら話せばいい」そう言いながら小皿を渡してくれた。それを受け取り手元に置いた。
「あんまり話したくないんだけど」
「へえ、話したくないことがあったわけか」にやにやと楽しそうに、竹下はそう言った。つくづく嫌な奴だと思う。
「っていうか、話さないって約束したのよ。だから話せない」
「へえ、口止めされたってことか。口止めするって言ったら……」そう言いながら、顎に手を当て、竹下はしばらく考え込む。そして口を開いた。「――紗枝に関わりそうで、とりあえ口止めっていったら、あれか。仁美のことだな」
「仁美?」
「内田仁美」内田、と聞いてわたしの心臓が跳ねる。
「な、なに、知り合いなの?」
「いい反応だな。当たりか。――で、見たわけ?」
「見たって何よ」
「保健室で要としてたんだろ」
「しっ、してないわよ!」
そう叫んで立ち上がったところで、しまったと思った。竹下を見るとしてやったりという顔をしていた。わたしは小さくため息をついて席についた。
「大体、なんであんたがうちの保健室の先生を知ってるのよ」
「元カノだった」
「はああ?」
「っていっても、二週間くらいの付き合いだった。やっただけっていう」
「あんたは一々発言が卑猥なのよ」
「具体的なことは何も言ってないだろ。やっただけって言ったら、『何を?』って聞いてくる女もいるぞ」
「どうせ詳しく答えるくせに」
「お望みとあらば」竹下はくいと眉を上げた。「まあ、元カノっていっても、あっちも複数付き合ってたしな」
「えっ? なにそれ!」
「あれ、要から聞いてないのか? 仁美はそういう女だ。学校で働いているからって、頭から信用しないほうがいいぞ」
「それって、何、え、内田先生って、今もそうなの?」
「要と付き合ってるってことは、前より酷くなったんだろうな」
「どういうことよ」独り言のように呟いた。途端にわたしの中の内田先生像が音を立てて崩れ始めた。先生は須田のことを好きで、須田も内田先生のことを大切に思っているんじゃなかったのだろうか。
「はあ、紗枝、おまえって」突然竹下がため息をついた。
「な、何よ」
「ホントに要のこと好きなんだな」
「……………うん」わたしは小さく頷いた。竹下はもう一度ため息をついた。
「前に言っただろ、要はやめとけって。要はおまえを傷つけるだけだ」
「どうしてそんな」
「要は簡単に女を抱く」竹下は静かにそう言った。「金さえ払えばな」
「っ……!」竹下の言葉に、わたしは息を呑んだ。「何…それ」
「仁美はその内の一人。金さえ払えば、要は本気の振りをしてくれるからな」
「嘘、だって」
須田はあのとき、内田先生を、本気の目で見ていた。
「あれは演技なんかじゃ、」そう呟いたとき、須田の言葉が頭の中に蘇った。「本気って何?」と彼は聞いた。「あの人にこうやっていたから、本気だと思った?」とわたしの頬を撫でた。あれはもしかして、本当に、わたしに尋ねていた?
「本気じゃ、なかったってこと?」そう呟くと、竹下が小さく笑った。
「危険だって言っただろ。おまえに要は無理だ」
「……お金なんて」呆然として言った。
「は?」
「なんで、お金なんて」
「あいつ、ずっと、人を捜してるらしい」竹下はパエリアを小皿に入れた。「勿論、女」にっと口角を上げる。
「お金って、その人を捜すための?」
「人捜しには金が要る」竹下はわたしの皿にもパエリアを入れた。「だろ?」
「―――その人が、須田の大切な人?」
「さあな」そう答え、竹下はパエリアを一口食べた。どうしよう。頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。
「正直驚いた」竹下はぽつりとそう零した。
「何のこと?」ぼんやりしながらもそう返す。
「要がおまえんちの住所を聞いてきたとき。なんで紗枝の住所をって思った。まあ、理由は聞かなかったけど。ただあいつ、『奥村さんを傷つけたから』ってそう言った。俺から言わせれば、散々女を傷つけてきた男が言う台詞じゃない」わたしは黙って竹下の話を聞いていた。
「紗枝、おまえってどっか、なんか違う。要も、俺も、そう思ってる。おまえと久しぶりに会ったとき、おまえ、俺の腕を掴んだだろ」
「え?」急に話が変わった。
「おまえって、自分からそういうことする女じゃないと思ってた。だから、あのとき、正直、どれが本当のおまえなんだろうって。それでもって、おまえは他の女と違うってそう思った。要もそう思ってる。それだけは確かだ」
「つまり恋愛対象外ってことでしょ」吐き捨てるようにそう言った。きっとそうなのだ。
「さあな。それは本人に聞け」竹下はふっと笑みを浮かべた。奇妙なほどに、優しい笑みだった。
「なぁ紗枝。危なくなったら俺のとこに来いよ」
「なにそれ」
「要はマジで危険だぞ」
「分かってる」
「でも、むちゃくちゃ好きなんだろ?」
「でも、諦めないといけない」
「そうしたいならそうしろ」
そう言ったきり、竹下は黙り込んだ。わたしも黙って、パエリアを一口口に運んだ。




