―不運な王子の恋愛奇譚―7
「柚希夜……あのね、私……そういう、ノリって言うか、乗せられて結婚するの……嫌だな……」
「ノリなんかじゃない。俺は、真剣だよ」
間髪を容れずに畳み掛けた柚希夜に、フェミーアはたじろぐ。
「元々今日は、そのつもりで逢おうと思ったんだ。……俺は、まだまだ若いし、大学の中でもそんなに力はない。社会人になった境目も曖昧だし、自分の母校だから、教授達も、遠慮はないけど俺に甘いところがある。――こんなんじゃ駄目だ。だから、もっと力を付けたいと思ってたんだ。今更大学を移るなんて、現実的じゃない。だから、上に行こうと必死だった。……それで、准教授に昇格して、これでようやくお前にプロポーズできるって思った。だから、フェミーア。……俺と、結婚して下さい」
柚希夜は、深く頭を下げる。
……沈黙が、長かった。
そして、その長い沈黙の後に、フェミーアは泣きそうに顔を歪めて言った。
「……でも、私……柚希夜の家に入る自信なんて、ないよ? 私、ただの庶民だもん。荷が重過ぎるよ。……そりゃあ、昔までの制度の最女は庶民から選ばれてたけど、それでも、大抵は学者の娘とか、官吏の娘とか……庶民の中でも、上の方の人でしょう? 私の両親は、普通の勤め人だし、私だってただのジャーナリストでしかないのに、……重過ぎるよ」
柚希夜は、ゆっくりと顔を上げ、真剣な顔でフェミーアを見据える。
「それなら、入らなきゃいい。……他の国ならともかく、花鴬国は夫婦別姓だろう? 例外は、王家に入って、王籍に名を連ねる女性だけだ。俺は……この名前を――花雲恭の姓を、自分の子供にまで受け継がせたいとは思わない。だから、お前も、子供も、王籍には入れたくない。こんなのは、ただの足枷なんだ。要らないよ。……俺には、必要なんてないんだ。子供には、キャメロンの姓を名乗らせればいい」
真っ直ぐに目を見据えて言う柚希夜に、フェミーアは泣きそうに顔を歪めた。
「だって……それで、許されるの? 私が会った、柚希夜のお姉さん達……とっても優しかったけど、それって、私が柚希夜の『友達』だって紹介したからでしょ? お姉さん達にとって、柚希夜は大事な弟なんだよ。そんな簡単に、許される訳ないでしょ?」
俯いて口早に言葉を重ねる彼女に、柚希夜は途惑う。
「フェミーア?」
「……私、聞いたんだ。ラルスに。柚希夜が初めて付き合った人と、どうなったのか。ねえ、柚希夜。私と結婚するって言って、更に王籍にも入らないなんて言ったら、一体どうなると思う? ……柚希夜は、自分のお姉さんなんだから、知ってるよね?」
柚希夜は、思わず息を呑んだ。
まさか、ラルスがそんなことまで話していたなんて、思わなかったのだ。
「……確かに、俺が最初の彼女と付き合った時、姉達が暴走したのは事実だ。でも、それは二人だけだし、その二人だって今は結婚していて、一人は九歳と六歳の娘が、もう一人は四歳と一歳の息子がいる。……姉達だって、もう結婚して家庭を持ってるんだ。俺が結婚したいっていう気持ちを理解してくれるはずだし、ごねたって俺が必ず説得する。……それに、俺は元々末っ子だ。王位が回って来る可能性なんてほとんどないし、俺の子供が王になる可能性だって低い。だから、お前が王籍に入る必要もないんだ」
静かに、けれど力強く断言する柚希夜に、フェミーアは目を泳がせた。
そう、もう少しだ。
あと、何か一手はないだろうか。
そう思って真剣に思考していた柚希夜は、あることを思い出してぱっと顔を輝かせた。
「フェミーア。どうしても、姉達が反対するのが気に掛かるって言うのなら、そしてお前が順番を気にしないのなら、俺に一つ提案がある」
「何……?」
「さっさと入籍してしまえばいい。そして、その手続きが完全に済んでから、姉達には報告する。それから了承を取って、結婚式を挙げればいい」
暴挙とも取れる柚希夜の言葉に、フェミーアはぽかんと口を開けた。
「勿論、お前の両親や親戚には、入籍する前にちゃんと挨拶に行く。……隠すのは、俺の方の家族だけだ。これなら、いくら王族でも手出しはできない。どうしても姉達が許さないと言うのなら、俺が縁を切ればいいだけの話だ。……これでも、駄目か?」
柚希夜は、真剣にフェミーアを見詰める。
……今度の静寂は、先程よりもずっと長かった。
けれども、柚希夜はじれなかった。
結婚を簡単に決めてしまうような相手だったら、『もしかしたら王族の仲間入りをしたいのではないか』という疑念がどうしても晴れず、決して選ばなかっただろうから。
長い時間の後、フェミーアは、ようやく口を開いた。
「……不束者ですが、宜しくお願いします」
そう言ってぺこりと頭を下げるフェミーアに、柚希夜はぱっと顔を明るくした。
「じゃあ、フェミーア……!」
「うん、柚希夜と、結婚する。……でも、ちゃんとうちの両親には挨拶に来てね? そしたら、結婚式の前に入籍してもいいから」
「分かった。じゃあ、すぐに両親に予定を聞いてくれないか? 向こうの都合が付く一番早い日に、挨拶に行くよ」
「うん、分かった。帰ったら聞いてみるね」
そう言って笑うフェミーアに、柚希夜は心底安堵する。
そして、千紗に感謝した。
実は、実力行使と言うか、問答無用で入籍して、兄姉達には隠してしまえというのは、千紗が『絶対に手放すな』と忠告した時に、一緒に言っていたことなのだ。
本人は、
『あたしは知らないからね?』
と慌てて言っていたが、柚希夜もそれを告げ口するほど野暮ではない。
だって、千紗のお蔭で結婚できそうなのだ。
千紗に対する感謝を表す為にも、このことは口を噤んでいた方が無難だろう。
「じゃあ、フェミーア。食べようか。……もうすっかり冷めてしまってる。勿体ないな」
「ふふ、うん、そうだね。でも、冷めても美味しいよ。やっぱり、一流レストランは違うね」
その言葉に、柚希夜は呆れた顔でフェミーアを見る。
「お前な……比較基準、そこら辺のファミレスだろ?」
「えへ。ばれた?」
「当たり前だ。一体何年付き合ってると思ってる? お前のお財布事情なんて、完全に筒抜けだよ」
照れて笑うフェミーアに、愛しさが益々込み上げて来る。
「フェミーア。確か、明日も休みだよな?」
「うん、そうだけど?」
「じゃあ、何か記念品でも見に行こう? 一生使えるのがいいな」
花鴬国では、結婚する時に、何かお揃いの物を揃えるのだ。
それは、人によってアクセサリーだったり、雑貨だったりするのだが、柚希夜には今一つしっくりこない。
「そうね……。一生使える物って、結構難しいわね。うん……そうだ、じゃあ、香水は?」
「香水?」
予想外の返答が来て、柚希夜は目を瞬く。
「そう、香水! あのね、この前見付けたお店なんだけど、自分で好きな匂いをブレンドできるんだって。種類は何百通りにもなるから、どんな人にも合う香水を作れるって評判なの。……香水って消耗品だけど、特別な日にちょっと付けたりするだけにして、おっきい瓶で買えば、一生保つ気がするの。それか、香水として体に付けるんじゃなくて、蓋を開けて匂いを楽しめばいいんじゃないかな? それに、何かロマンチックな気がして……駄目?」
そう言って小首を傾げるフェミーアに、柚希夜は相好を崩した。
「勿論、大丈夫だ。じゃあ、明日はそれを一緒に見に行こうか。……一生物にするんだから、慎重に選ばなきゃな」
「うん。……私、すっごい楽しみ。ねえ、柚希夜。どんなのに仕上がるのかな? そのお店、結構サービスが良くて、こっちが納得するまでテスターも出して来てくれるし、匂いもしつこくないし、成分も天然素材の物だからお肌にもいいんだって! その分お値段は跳ね上がるけど、いいよね? 結婚の記念なんだもん」
「ああ。俺だって、今までの分の給料があるからな。……あ、でも、結婚式とか、新居にも金が必要だよな。……いくらくらい掛かるんだ?」
首を傾げる柚希夜に、フェミーアも難しい顔をする。
「うーん、私もよく分からないわ……。じゃあ、後で聞いてみるね? 私の同僚で、確かブライダル関係の記事担当の子がいたはずだから……その子に訊けば、多分相場が分かると思う」
「ああ、頼むな」
「分かった、頼まれた!」
ふざけて答えるフェミーアに、柚希夜もフェミーアも吹き出した。
ふと、柚希夜は思った。
自分は、子供の頃から、どれだけ成長したのだろうと。
産まれてから今までの三十年間で、自分はどれだけ『大人』に近付けたのだろうと。
けれど、それは考えても無駄だとすぐに気付き、苦笑する。
大事なのは、この『今』だ。
彼女との『今』を大事にして、『未来』を創りたい。
勿論、その元になっているのは『過去』だが、今はそれを思う必要性なんてない。
今、この時が、楽しいのだから。
たとえ、自分が大して成長もしていなくて、中身が『子供』のままだったとしても、彼女と結婚できるのは、そのまさに今の『自分』なのだ。
だから、精一杯、彼女と今を、そして未来を生きていきたい。
……そんな簡単なことに気付くまで、三十年も掛かった。
けれど、気付けたのだから、それでいいのだ。
「フェミーア。……俺、多分不甲斐ない夫になるだろうけど、見捨てないでくれ」
「うん。……私だって、不甲斐ない奥さんにしかなれないよ。でも、それって釣り合いが取れててちょうどいいんじゃない? それに……私、柚希夜にプロポーズされて、とっても嬉しい」
そう言って頬を赤くして微笑むフェミーアに、柚希夜も気持ちが和んだ。
そして、暖かな空気に包まれた二人は、実に幸せそうに微笑み合った――。
(終)