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―不運な王子の恋愛奇譚―4

「おう、~! 今いいか?」

 ノックも何もなしに突然扉が開け放たれて、柚希夜は顔を顰めた。

「ラルス、人の部屋に入る時くらい、ノックしろよ。お前が学生じゃないかって、ほんと焦ったからな」

 柚希夜はぶつくさ文句を言うと、手早くファイルを保存し、コンピューターの電源を落とした。

「あ? お前、何かやってたのか?」

「ああ、次のテストの問題の最終確認。全く、俺が若手だからって、こんなにこき使わなくてもいいだろうに……俺はまだ二十七だぞ。それに、俺は助手じゃなくて助教だ」

「ん? 何? レイヴェル教授、そんなに人使いが荒い訳? あー良かった、俺、普通に就職して。っつうかお前、何が楽しくて院まで進んで、修士取った挙句に博士まで進んだんだ? 結局、博士号取って学生じゃなくなったのって、つい去年じゃねえか。二十代のほとんどを食われてんだぞ」

 ラルスに顔を顰めて言われ、柚希夜は苦笑した。

「そんなの人の勝手だろう? 博士課程やりながらでも、充分二十代は満喫できるさ。それに俺は、お前みたいにジャーナリストになるよりは、大学に残ってマクロ経済でもやってた方が気楽なんだよ」

「だーから、マクロの何が面白いんだよ。ミクロの方が楽しいだろう? 細かく細かく見てって、金がどうやって動いて、世界を動かしてるのか見るのが醍醐味だろうが」

「は? ミクロだったら、ちっこいところからの出発だろ? 全体に行きつくまで時間が掛かる。それよりは、全体を俯瞰するマクロの方が絶対に楽しい!」

 腰に手を当てて力説する柚希夜に、ラルスはふっと馬鹿にしたように笑った。

「分かってないねえ。そのマクロを動かしてるのがミクロの集合体なんだよ! このわくわく感、どうして分かんないのかなあ?」

「そっちこそ、足元ばっかり見てると頭をぶつけるぞ。マクロが分かってこそ、ミクロに人の意識は向くんだよ!」

 二人は同じ大学の同じ経済学部出身なのだが、片やマクロ経済学、片やミクロ経済学を専攻していたこともあり、この意見で二人が一致したことは一度もない。

「あの……」

 突然若い女性の声がして、柚希夜は怪訝そうにラルスの背後を覗き込む。

「貴女は?」

「あ、初めまして。私、経済ジャーナリストのフェミーア・キャメロンと申します。うんきょう助教ですか?」

 名刺を差し出された柚希夜は、不思議そうにその名刺を受け取る。

「はい、確かに、私ですけれど……」

「実は私、経済ジャーナリストではあるんですけど、今度の特集で、高校生向けの大学特集を組むことになりまして。私は、その経済学部・学科担当なんです」

 確かに、それはよくありそうなことではある。

 けれど、教授でもないただの助教である柚希夜の所に来る意味が、よく分からない。

「そうですか。では、広報の方へ行かれた方が宜しいのでは? 宣伝ということならば、こちらも断らないでしょうし」

「いえ、そちらの許可は既に頂いております。私がお願いしたいのは、花雲恭助教に、インタビューさせてほしいってことなんです」

「…………はい?」

 突然の予想外の言葉に、柚希夜の思考は停止し、間抜けのようにぽかんと口が開いてしまう。

「ですから、どうかインタビューを、お願い致します。花雲恭助教は、院を卒業してすぐに、若くして助教となられていますし、大学から院、そして助教になるまで、一貫して同じ大学に属していらっしゃいますよね? それに、学生時代からとても有能でいらっしゃったと、教授方の間でも評判だったとか。そういう方のインタビューや何かが載れば、学生達のやる気も増すと思うんです」

 彼女はまだ若手なのだろう、自分で思い付いた企画の実現に向けてやる気がみなぎっていて、断られるとは恐らく思ってもいないのだろう。

 柚希夜は、ふと目を伏せた。

 ……もし、彼女が、柚希夜のことを『花雲恭助教』と呼ばなければ、柚希夜は断っていただろう。

 自分を『殿下』『王子』と呼ぶ人間は、博士号を取って助教になったという努力を――つまり、今の柚希夜が自分自身で積み上げてきた実績を、柚希夜自身を見ているのではなく、ただの王位継承者として見ていることが多い。

 そして、そんな相手に自分の時間を割く余裕は、柚希夜にはない。

 けれど、大抵の相手は、柚希夜のことを王族としてしか見なさなかったから、『助教』と呼ばれるのは、少し新鮮で、心のどこかがくすぐったくなるような嬉しさがあった。

 それに――彼女のやる気は、柚希夜にとって、とても心地よかった。

「私はあまり、メディアに露出する気はないのですけれどね……」

 取り敢えず、これだけは言っておきたかったからそう言うと、途端にフェミーアの顔がさっと曇った。

「ご迷惑……でしたか?」

「ええ……そう、ですね。学会以外では、あまり目立ちたくはないのですけれど……」

 柚希夜は、ほんの少しだけ、微笑した。

 初対面の人間では、分かるか分からないか程度に。

「貴女の熱意に負けました。インタビュー程度なら、いいですよ。ただ、名前は曖昧にぼかしてくれると助かります。例えば、イニシャルだけとか、助教という役職だけとか。あと、写真とかも、できればない方が」

「略歴のようなものは?」

「大学以降の経歴なら、構いませんよ。……正直、初めて通った学校が大学なので」

 柚希夜が苦笑して言うと、ぱっとフェミーアの顔が明るくなった。

 そして、すぐに不思議そうな表情に取って代わる。

「あ、でも……最初の学歴が大学って、じゃあ、大学にはどうやって入ったんですか?」

 どうやらこれは、彼女の純然たる興味のようだ。

 ころころ変わる感情豊かな彼女の表情は、見ていて面白い。

 柚希夜は笑いを噛み殺して答えた。

「高卒程度の学力を有していると証明できる、試験と言うか、資格のようなものがあるのです。それさえ受かれば、年齢や国籍などは関係なく、大学入学試験を受ける資格を得られるのですよ。だから、私のように学校に通ったことのない人でも、大学から通うというのは可能ですし、逆にその制度を利用して、飛び級のように大学に入学する中学生くらいの子もおりますよ。確か、この大学にも、そうやって飛び級して来た学生が在籍しているはずです。……まあ、大抵の大学の募集要項にも、書いていることではありますが」

「あ……そ、そうだったんですか。ありがとうございます」

 途端に赤面して頭を下げるのは、自分の無知が恥ずかしかったのだろうか。

「いえ、貴女が知らないのも無理はないことです。大抵の人は、普通に小学校から高校まで通って、大学に入学しますからね。私のような人は、圧倒的に少数派です。それに、貴女の専門は経済であって、学校や教育ではないでしょう? でしたら、知らないと言うのは当たり前のことであって、仕方のないことです」

「あ、はい……。でも、花雲恭助教って、どうして大学まで学校に通わなかったんですか?」

 あまりにも直球の質問に、柚希夜は目を剥いてラルスを凝視する。

 けれど、そのラルスは引き攣った顔で目を逸らした。

 彼にしても、このフェミーアの質問は予想外だったようだ。

「その……安全上の問題、とでも言いましょうか……」

「安全上?」

「ええ、何て言うか……その、習慣でもあるような……」

「習慣??」

 益々きょとんと目を瞠る彼女に、柚希夜は目を泳がせた。

「……えっと、色々と面倒臭いので、そういう家系だって考えてもらえれば……」

「そんなにお偉い家なんですか?」

 …………さすがにこれは、『無知』とは言えない。

 柚希夜は、体中の力が抜けてしまった。

 ラルスを見ると、どうやら笑いを堪えているようで、手近な壁に額を付け、体が震えている。

 こうして見ているだけで、全身に力が入りまくっていることが分かるのだから、彼は今まさに腹筋との戦いの最中だろう。

「その……キャメロンさんは、外国のご出身で……?」

「いえ、シャンクラン出身です」

 その返答に、益々柚希夜の体から力が抜ける。

 柚希夜は、自分が椅子に座っていることにこっそりと感謝した。

 もし立っていたら、脱力のあまり膝が砕けていたかも知れない。

 何故なら、『シャンクラン』とはおうこくの首都なのだ。

 つまり、生粋の花鴬国出身な上、王のお膝元である王都出身者ということになる。

 ラルスの体の震えも、最早痙攣の域にまで達していて、彼の腹筋が崩壊しないかどうか心配になって来る。

「あの……? 私、変なこと言いましたか……?」

「ええ……。気付いてなかっただけなんですね……」

 柚希夜は、何だか頭痛がして来て、眉間を指でぐりぐりとほぐす。

 そう言えば、ここしばらくは問題の作成とその校正で、ずっとコンピューターに釘付けだった。

 そのせいもあるのだろうか。

 いいや、しかし、彼女の言葉は決して幻聴ではない。

 その証拠に、ラルスは立っていることもできなくなって、とうとう床に横たわってしまった。

 体は震え続けているから、知らない人が見たら、痙攣を起こしていると勘違いされて、すぐに救急車が呼ばれることだろう。

「あの、ですね……。私の名字は、何でしょうか?」

「え……花雲恭、ですよね? 花雲恭助教って……」

「じゃあ、私のフルネームは?」

「えっと……花雲恭柚希夜さん、ですよね?」

 ……終いには、『さん』付けだ。

 とうとう、ラルスはげらげらと声を上げて笑い出した。

 ひいひいと、聞いているととても苦しそうな笑い声だし、涙までぼろぼろと零れている。

「え? あれ? ラルス先輩?」

「…………」

 柚希夜は無言でラルスを蹴っ飛ばした。

 すると、途端に大人しくなる。

 いや、もしかしたら、腹筋が限界まで達して笑えなくなったのかも知れない。

「あ、あの……? 花雲恭助教……?」

「ああ、ご心配なく。あれ程度では、死にませんから」

 柚希夜はそう言うと、手を組んだ上に顎を乗せた。

「取り敢えず、ですね。この国の王は、貴女も知っていますよね? ジャーナリストですし」

「え、ええ……。陛下ですよね? 確か……あれ? おいくつだったかしら?」

「三十歳ですよ。八月十六日に誕生日が来れば、三十一歳になりますが。ついでに独身で、今のところ結婚の予定はありません」

 すらすらと言う柚希夜に、フェミーアは不思議そうに目を瞬いた。

「え? 何でそんなに知ってるんですか? 誕生日も……」

 柚希夜は肩を竦めた。

「先々王であるほうきょうには、十五人の子供がおりました。まず、先王である。現王である富瑠美。そして、その次からはあまり知られておりませんが、ふうげんしょうげんほうれんりょうれんれいと続きます」

 柚希夜が次々と挙げていく名前を、フェミーアは目を瞠りながら指を折って数えていったが、指を止めて怪訝そうに首を傾げる。

「あれ? 花雲恭助教が挙げたのは、十四人ですよね? 一人、足りませんよ?」

 柚希夜は、苦笑した。

 ……もしかしたら、この一言で、彼女も他の人間と同じようになってしまうかも知れない。

 けれど、その時は、適当にインタビューを済ませて、これ以上の関わりを絶てばいい話だ。

「ええ。そして最後に、末っ子である花雲恭柚希夜が来ます」

 その言葉に、フェミーアがぽかんと口を開ける。

「……花雲恭、柚希夜……?」

 唖然としているフェミーアに、柚希夜は苦笑して訊ねた。

「貴女は、国王の名字を聞いたことはなかったのですか?」

「…………意識したこともありませんでした……」

 確かに、花鴬国の王位は完全に世襲制であるので、一々名字は憶えないのかも知れない。

 だから、外国人が『知らない』と言うのは仕方がないとは思っていたが、まさか同国人に『意識したこともない』と言われるとは思ってもみなかった。

「……では、私の名前に不自然さを覚えはしなかったのですか? 普通は名前の方が先に来ますが、私は名字が先ですし、音だって普通の名前と違います」

「えっと……ラルス先輩みたいに、外国人だと思ってました。た、確か、そんな感じの名前の国……ありましたよね?」

「……………………まあ、あることには、ありますけど」

 柚希夜は、あまりのことに頭を抱えたくなった。

 実際、何だかずきずきと頭が痛んでくる。

 何なのだろう、この天然は。



(続)

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