―不運な王子の恋愛奇譚―1
本編第Ⅲ部~心の置き場所は~第七章の後の、柚希夜が主人公の話です。
「……もう嫌、もう無理よ! これ以上耐えられない! いくら顔と性格と家柄が良くて、王族だって偉ぶらない希少価値な男の人でも、こんな規格外に常識外れな家族がいる人とは、これ以上付き合えないわ!」
まだ二十歳くらいの少女に指を突き付けられ、同じくらいの歳の青年は、言葉を失った。
「ごめんなさい、貴方が悪いんじゃないわ。それはよく分かってる。でも、私にはこれ以上無理なの。私には、あんな規格外の人間と付き合えるスキルはないわ。だから、もう無理なの。さようなら」
少女に背を向けられて、青年は、慌てて腕を伸ばす。
「ま、待ってくれ! ノーラ……レオノーラ!」
「ごめんなさい、さようなら、柚希夜。私達、いいお友達にならなれると思うの。いい同級生として、宜しくね。でも、恋人としては、さようなら」
最後通牒を突き付けられた青年は、がくりと膝を付いた。
青年の部屋から、少女は未練も見せずに立ち去ってしまう。
けれど、彼にはこれ以上、少女を立ち止まらせる術はなかった。
「何で、こんなことに……」
少女の足音も聞こえなくなった頃、青年はぽつりとこぼす。
実際、振られた理由は青年自身にはなく、青年の姉達のせいにあるのだから、彼が理不尽さを覚えるのも、無理はなかった。
「何? お前振られたの?」
柚希夜にとって最初の友人でもあるラルスにからかわれるように言われ、柚希夜は眉間の皺を深くした。
「で? 理由って何? お前、結構な優良物件だろうが。頭いいし、女の子にも優しいし、家柄だってこの国一番だろ? 振られる理由なんかあるのか?」
柚希夜は飲み屋のカウンターに突っ伏したまま、呻くような声で言った。
「……姉が、暴走した」
「へ?」
ラルスは、きょとんと目を瞠る。
「だから、俺のブラコン過ぎる姉が暴走したんだよ! 俺の彼女に向かってっ……!」
「え~っと、それは……どうも、ご愁傷様」
ラルスは、微妙に目を逸らす。
けれど、柚希夜はそれに構わずに、拳を振り上げてカウンターをどんと叩く。
「そしたら、ノーラに無理だって……これ以上耐えられないって言われたんだよ……。ノーラ……」
ラルスは微妙に目を彷徨わせたが、何とか言葉を捻り出す。
「えっと……まあ、それは人選が悪かったんだよ! レオノーラちゃんが、偶々そういう耐性がなかったってだけでさ! 沢山付き合ってけば、大丈夫な子もいるって!」
すると、真っ赤に目を充血させた柚希夜は、ゆらりと顔を上げてラルスを睨む。
「お前はそれまで俺に振られ続けろって言うのかよっ!」
柚希夜はそう叫ぶと、ラルスの前に置かれていたグラスを取り上げ、一気に飲み干した。
「ああっ! 俺の酒っ! っつうか柚希夜、お前まだ酒飲んじゃ駄目だろうが!」
「は? 俺はもう十九だ」
そう言って睨む柚希夜に、ラルスは引き攣った笑みを浮かべる。
「そういや、この国の飲酒可能年齢って、成人年齢とおんなじ十八歳だったな……あはは」
「……ああ、そう言えばお前、留学生だったな。どこだった? グルマジャ?」
「ああ、うん……。あそこだと、飲酒が大丈夫なのは二十一からなんだよ……」
「ふうん。固いな」
ばっさりと切り捨てられて、ラルスはがくりと肩を落とす。
「酒は体に悪いんだよ! だから禁止なんだろうがっ! 俺からしたら、色々と緩いんだぞ、花鴬国は! お前みたいなのがお――ぐっ!」
ラルスは、柚希夜に蹴られた向こう脛を押さえ、涙目で蹲る。
「これ以上言うな、ラルス」
柚希夜の低い声に、ラルスは痛みを堪えて無理矢理顔を上げる。
「お前は、この国のことを知らない。だから、そういうことを簡単に口にできる。……まあ、お前が共和国出身ってのもあるのかもな。でも、ここは立憲君主制の国だ。そういうことを、こんな場所で軽々しく口にするな」
「ああ……うん、俺が悪かった。酒のせいで、口が緩んでたのかもな。でもさ、普通は思わねえだろうが。お前がそうなんて。俺はしばらく気付かなかったぞ? それに、周りの奴らだって、お前の名前を聞いて初めて分かったみたいじゃねえか。それでお前、本当にそうなのか?」
柚希夜は溜息をつくと、手酌で酒瓶からグラスに酒を注ぐ。
「当たり前だ。俺は末っ子だし、メディアの露出は、それこそ一部の兄弟しかやってない。俺だって、そういうのに出たことは一度くらいしかないぞ。それと、産まれた時に名前が公表されたぐらいだ」
「へ、へ~……そんなもんなの? グルマジャの隣のアギリニ、民政なんだけど王族もいてさ。でも、アギリニにいた奴らの話とか聞いてると、普通に国王一家ってみんな顔知ってるみたいだけど?」
柚希夜は酒を呷ると、馬鹿にしたような目でラルスを見る。
「お前、正真正銘の馬鹿か? 俺は十五人兄弟だぞ。俺の父上だって、十五人兄弟だ」
その言葉に、ラルスは目を剥いた。
「十五人っ?! そんなにいるのか!」
「ああ。男王の場合、大抵妻は六人だからな」
「奥さん、六人も……?」
ラルスの顔色は、どこか蒼い。
「そうだ。だから、全員がメディアに露出するのは物理的に無理だ。……まあ、その制度だって、もう廃止されたけどな。これから結婚する奴は、一夫多妻制が禁止になったし」
「ああ……。そう言えば、何年か前に戦争があったんだよな? 何年前だっけ? 五年?」
「いや、四年前だ。……まあ、すぐに終わって良かったけどな。戦闘期間は二、三ヶ月で済んだし、死者もそんなにいなかったし」
「……そういや、戦争が始まったってニュースから、やけに早く和平条約調印ってニュースを見たような……」
柚希夜は鼻を鳴らして笑った。
「あの戦争、ほとんど出来レースに等しかったからな。死者がそんなにいなかったのも、互いに死者を出さないように気遣い合った結果だ。あれは戦争なんて呼べるもんじゃないさ。互いの国が抱え合った問題点を、和平条約にかこつけて解消し合っただけのことだ」
「お前、何でそんなの知って――……そういや、お前あれだったな。うん」
ラルスは遠い目をしたが、柚希夜は目を眇めて否定した。
「いや? それはあんまり関係ない。強いて言うなら、和平条約の調印の見届け役をやったからだな。まあ、それの一回しか、俺はメディアに出たことはないけど」
「…………当事者だったのか?」
「ああ。それがどうした?」
一般庶民でしかないラルスは、柚希夜の返答に頭を抱え、ごつんとカウンターに突っ伏す。
柚希夜は、ラルスから奪ったグラスに残っていた酒を飲み干すと、胡乱気にラルスを見下ろした。
「……そう言えば、ラルス。お前、俺がまだ酒を飲めないって思ってたんだよな?」
「ああ、それがどうしたよ」
ラルスが突っ伏したまま、くぐもった声で答えると、柚希夜は不機嫌そうに言った。
「じゃあ、何で飲めないって思ってる奴を居酒屋に連れて来るんだ?」
ラルスは顔を上げ、にやっと笑う。
「んなの、失恋した奴の慰めは居酒屋って決まってるからだろう! 酒を飲んで憂さを晴らす! ま、正直俺が飲みたかったってだけだけどな!」
「…………」
ラルスの返答に、柚希夜はしばらく目を伏せて沈黙すると、突如として店員を呼び、更なる酒を追加した。
「柚希夜ー?」
その声に、柚希夜は振り返ると、にっこりと笑う。
「俺を慰めるんだろ? じゃあ、この酒代はお前持ちな」
「はっ?」
ラルスが目を瞬いているうちに、店員はさっさと柚希夜が注文した酒を瓶ごと持ってくる。
それを見たラルスは、盛大に顔を引き攣らせた。
「って……え? それ、お前頼んだの?」
「ああ」
柚希夜はそう言うと、手早く酒瓶からグラスに酒を注ぐ。
「ちょ、おい待て! そんな高いの頼みやがって! いくらだ!」
「さあ……。ここにおいてる普通のビールの二倍近くかな?」
「おい! 何勝手に高いの頼んでんだよ! 俺に払えってか! このドケチ!」
「いいだろう? 俺だって自由に金は使えないんだ。今は実家の財産で暮らしてるけど、俺らは基本的に、十八を越えた時から掛かった金は、将来返さなきゃならない。まあ、無利子だからいいんだけどな」
そう言って、柚希夜は注文した高い酒を飲む。
恨めしげな顔をしたラルスは、柚希夜が飲むのを勿体なさそうに見た。
「お前、よくそんなにぐびぐび飲むよな……。でも、何でそんな制度にしてる訳? 普通、全部出してくれるんじゃねえのかよ。返納制ってさあ……学費だけじゃなくって生活費もだろ? 奨学金じゃあるまいし」
「そんなの、どうせ人数が多いからってだけの、ただの自立策と倹約策だろうよ。そうでもなきゃ、ずっと実家に頼る奴がいるのは目に見えてるからな」
「でもさあ、そんな簡単に仕事に就けるのかよ。大学だって、落っこって浪人する可能性だってあるし」
ラルスの言葉は、意外と核心を突いている。
柚希夜は沈黙し、慎重に言った。
「……その為の、宗教家だよ。取り敢えず聖職者になれば、教会から給料も出るしな。俺らの一族から宗教家になる奴が多いのは、外国から批判されてるような信仰心集めだとかそんなんじゃなくって、将来の目標がなかったり、楽したかったりする奴らが流れてるだけだ。取り敢えずの場繋ぎにもなるし、将来やりたいことができた時にも、聖職者だったってのは有利に働きやすい。実際、宗教家になってボランティアとか非政府組織に参加して、社会活動を行うって奴も大勢いるからな」
そう言う柚希夜の目は、どこか冷たい。
ラルスは、少し眉根を寄せた。
「お前さ、そういう聖職者に流れた兄弟とかに、何か恨みでもあるのか?」
「いや。ただ、何の目標もなく流れてるのがいると、腹立たしくなるだけだ。何か目標があってそっちに流れるのならともかくな。俺の同母の姉も、今年から宇宙連盟の職員になってるんだけど、受かるまでは教会に所属して、社会活動で貧困地域に行ったりしてたし。俺が嫌なのは、何にもしないでぐずぐず教会にいる叔父や叔母だよ。俺の兄弟で宗教家やってる奴らは、みんな別の目標があるからな。俺の義理の母で、その叔父や叔母にそっくりな『王族』がいるんだけど、その人の子供の柚菟羅異母兄上と苓奈異母姉上ですら、しっかり目標を持ってる。むしろ尊敬するよ。人の為に何かをやってるから。――俺には、無理だ」
柚希夜は吐き捨てると、ぐいと残っていた酒を呷った。
「とにかく、飲ませてくれるんだろう? 今夜一晩付き合えよ。いいな? あ、すみません。これ、追加で。あと、つまみにこれも」
淡々と店員に注文をする柚希夜を、ラルスはじとっと見上げる。
「お前なー、いくら何でも頼み過ぎだろ? ちょっとは遠慮しろよー」
ぶうぶうと文句を言うラルスに、柚希夜はにやりと笑った。
「お前、確か向こうの大学出てからこっちに来てるんだよな? だったらもう二十四、五歳にはなってるよな?」
「そりゃそうだけど?」
「だったら、年上がケチ言ってんじゃねえよ」
その時、ちょうど柚希夜が注文したつまみが届いた。
それを、柚希夜はにこりと笑って受け取る。
その笑顔に、まだ若い女性の店員はぽっと顔を赤らめた。
それを見たラルスは、呆れ顔で溜息をついた。
「お前なあ……。内面と外面にギャップあり過ぎだろ」
「人に口出しすんな。素で喋って何が悪いんだよ」
「いや、そっちじゃなくってな……」
すると、突然柚希夜の表情が改まり、背筋がぴんと伸びる。
気のせいか、指の先のちょっとした動きまでもが優雅だ。
柚希夜はそうしてがらりと雰囲気を変えると、ふっと笑みを作った。
「――では、私に常にこの話し方で話せと仰るのでしょうか? さすがにこれは無理があると存じますが。庶民の中でこのような話し方をしていれば、却って違和感が御座います。それに……」
「あーもう分かったっ! やめろ柚希夜! 気持ち悪いっ!」
ラルスは総毛立った腕をさすり、顔を顰める。
柚希夜は、その様子を見てくすくすと笑いながら言った。
「でも、この話し方が、俺の生まれ育った所だと普通なんだ。俺らの一族とか貴族が、滅多に庶民と関わらない理由が分かるか? まず、話し方が違い過ぎて、それで浮くんだよ。それに、正直言うと、俺はこっちの方が楽だ」
「へーへー、秀才さんの言うことは違いますねえ。――おーい! この店で一番安い酒とつまみっ!」
大声で怒鳴られた可笑しな注文に、店内は一瞬静まり返った後、どっと笑い出す。
「お前な……」
柚希夜が呆れた顔でラルスを見下ろすと、ラルスは拗ねたように顔を背けた。
「いーだろうが。お前がたっかい酒なんか頼むから、俺は節約しなきゃ駄目なんだよお。俺だってなあ、頑張って外国から来た留学生なんだぞ! お前が奢れ! このお坊ちゃまめ!」
「何でだ! 俺の失恋を慰めてくれるんじゃなかったのかっ? そもそも俺の私有財産なんて物はほとんどないぞ!」
「それとこれとは別問題だっ!」
「いや、違わない!」
「しつこい男は嫌われる――って、てめえはもてもてじゃねえかっ! 何でだ、理不尽だぞ! 顔か、顔がいいのか! 家柄がいいのかっ! この腹黒野郎!!」
「~~~だから、振られてんだから今ここにいるんだろうがぁ! そうじゃなきゃ誰が野郎と飲みに来るかこの馬鹿! ほんとだったら、今頃ノーラと一緒に夕飯でも食ってるはずだったのになあ……」
柚希夜は勢いをなくし、再びカウンターに突っ伏す。
それを見たラルスは、呆れたように溜息をついた。
「やれやれ……。これじゃあお前、完璧な酔っ払いになっちまうぞ……」
「ほっとけ、俺のことなんて。……何で、家族が原因で振られなきゃなんないんだよ……」
結局、この居酒屋が閉店するまで柚希夜は酒を飲み続け、そのお代はきっちりとラルスに回したのだった。
(続)