―初めての訪い―3
「お前……好い加減にしろよ」
低く唸るような声に、由梨亜は思わず振り返った。
今まで口出しして来なかったから、半ば存在を忘れてはいたが、そう言えばこの場にはまだ二人がいたのだった。
香麻は、眞祥の前に進み出ると、怒りを籠めた眼差しで眞祥を睨み下ろした。
「お前から、全部説明しろと言ったんだろ? だから、由梨亜も千紗も全部説明したんだ。なのに、それを端から切り捨てて、何だ? その言い草は。お前の都合で説明してもらってんだから、せめて信じる努力ぐらいしたらどうなんだっ!」
香麻に怒鳴られて、眞祥は目を瞬く。
「…………えっと、まず、お前誰だ」
「藤咲香麻。由梨亜の彼氏――っつうか、婚約者だ」
「ふうん……」
「何だよ、その気の抜けた返事は」
香麻が顔を顰めると、眞祥は困ったように笑った。
「じゃあ聞くけど、お前、最初にこの話を知った時、どう思った? すぐに信じたか?」
「それ以前の問題だ。俺は、このことを知ったのは、体験した後だったからな」
「へえ。じゃあ、体験しなかった場合、すぐにその話を信じたか? どうなんだ? 俺だったら、信じられないな」
「それは……」
畳み掛けるように言う眞祥に、香麻はそれ以上言葉を重ねられずに黙り込む。
その様子を見て、眞祥は苦笑した。
「やっぱり、いくら相手が好きな奴でも、無理だろ? 無条件で相手を信じられるのは、子供と無知な奴だけだ。……ほんとに、すぐ信じられることだったら良かったんだけどなあ。俺には、どう頑張っても無理だ。そういうのを信じるのは。――でも、説明してくれて、ありがとな。俺には、どうしても由梨亜をこっちに連れて来た必要性が分からないけど、一通りは分かった。……で」
眞祥は立ち上がると、千紗に向かって、にっこりと――寒気がするくらいの笑顔で笑った。
「お前、最初は姉さんのことも忘れてたんだよな? じゃあ、思い出したのはいつだ?」
「に、二年前……」
どもりながら正直に申告すれば、益々眞祥の笑顔が深くなり、千紗の背に戦慄が走った。
「じゃあ、その間に、姉さんと義兄さんの命日は、四回あったってことだよな? それで、今日、ようやく姉さん達のことを思い出して、墓参りにでも来たって訳か?」
「だ、だって……申し訳なくって、来れなかったんだもん……。あたしのせいで、お母さんは死んじゃったんだし……むしろ、恨まれてると思った」
俯いて呟く千紗に、眞祥は溜息をつくと、こつんと手の甲で千紗の頭を叩いた。
「ばーか。姉さんが、そんなことを気にするとでも思ってんのか? 本気でそう思ってんなら、お前はただの阿呆だ」
「はっ?!」
千紗は、愕然と目を見開きながら額を押さえ、眞祥を見上げる。
「むしろ、千紗が幸せに暮らしてるのを見て、ほっとしてんじゃねえか? 姉さん。義兄さんも、さ。……二人とも、そういう人だろ? ったく……娘なんだから、それくらい分かっとけよ」
呆れたように言われて、千紗は唇を尖らせた。
「そんなこと言われたって……不安だったし、怖かったんだもん」
「お前なあ……。俺も大概弱虫だと思ってたけど、お前はそれ以上に意気地なしだな」
「何おうっ!」
思わず眞祥を睨み上げると、眞祥もふっと笑みを浮かべて千紗を睨み下ろす。
その時、後ろから腕を引っ張られて、千紗は仰け反った。
「あっ?! ちょ、睦月! いきなり引っ張んないでよ!」
「えっと……お前、もしかして、千紗の彼氏か?」
眞祥は目を瞬いて言ったが、睦月はその問いに答えず、何故か睨んだ。
なので、しょうがなく千紗に視線を向けた。
「おい。……千紗?」
「あ、うん……まあ」
思わず、千紗は目を泳がせた。
「ふうん……あ~んなお子ちゃまだった千紗にも、彼氏ができたのかぁ。意外だな」
心底驚いているといった調子で言う眞祥に、千紗はむっと頬を膨らませた。
「ちょっ……馬鹿にしないでよね! あたしだって、彼氏くらいできますっ!」
「ま、どうでもいいけど」
「良くない!」
再び睨み合う千紗と眞祥に、睦月が盛大な溜息をついた。
「お前ら、好い加減にしろ。一体何の為に来たんだ? 千紗」
睦月に片腕を掴まれたまま睨み下ろされて、千紗は目を逸らした。
「お父さんとお母さんのお墓参りです……」
「じゃあ、いつまで下んないことで言い争ってる気だ? ん?」
「や、えっと……あ! お参りしなきゃ!」
千紗はわざとらしく話を逸らすと、養父母の墓前に膝を付き、手を合わせて目を閉じた。
睦月はそれを見て溜息をつくと、眞祥と向き直った。
「あんたもさ……分かってて、千紗をからかってたんだろ? あいつ、面白いように突っ掛かって来るからさ」
「それが、一体何か?」
眞祥はふっと笑みを見せた。
「俺は、あいつとちっちゃい頃から知り合いだ。だから、つい懐かしくってからかっただけだ。それの、一体何が悪い?」
「お前は、もうただの友達だろう。親戚でも何でもなくなったんだから、必要以上に関わるな。見ていて気分が悪い」
その言葉に、眞祥はしばらく目を瞬いた後――にやっと、含みたっぷりに笑った。
「何だ、ただの嫉妬か」
「な、何だとっ?!」
突然の言葉に、睦月は顔を真っ赤にさせてしまう。
つまりは、態度で眞祥の言葉を肯定してしまったのだ。
そして、それを見逃す眞祥ではない。
「ふ~ん、それは良かった。いいからかいのネタができた」
にやにやと笑う眞祥に、真っ赤になったまま硬直する睦月。
その二人を見ていた由梨亜は、堪え切れずに吹き出してしまった。
おまけに、あまりに可笑し過ぎたせいで、香麻の肩に掴まって身をよじらせる。
「あ~、可笑しい! 睦月ったら、あんなにあっさりネタを提供しちゃうなんてっ……!」
「ああ、うん……ご愁傷様、睦月」
香麻はそう言うと、肩に由梨亜を掴まらせたまま、睦月に向かって器用にも手を合わせた。
ふと千紗を見れば、どうやら真剣に祈っていて、こちらの騒ぎなど歯牙にも掛けていないようだ。
確かに、六年もの間ずっと墓を訪れていなかったのだから、養父にも養母にも、報告したいことが山ほどあるのだろう。
やがて、千紗が合わせていた手を下げ、目を開けたその瞬間、眞祥が千紗の頭を押さえ付けた。
「わっ! ちょ、え、眞祥? どうしたの?」
押さえ付けられた時に首を痛めたのか、首を押さえながら涙目で見上げる千紗に、眞祥はにやりと笑って見下ろす。
「お前、大学どこだ?」
「どこって……アメリカ州の、レイメーア大学の経営学……」
「ふうん? じゃあ、普段はこっちにいない訳だ?」
「そりゃ、そうだけど……」
千紗は、訝しげに眞祥を見上げる。
「んじゃ、せめて、義兄さんと姉さんの命日だけでいいから、墓参りに来いよ。あと、これ、俺の連絡先。こっちに来る時は、絶対に連絡入れろ。お供え物が被ったりしたら気まずいだろ? ……彼岸にこっちに来るのは難しいかもしんないけどさ、せめて、命日にだけは、来てほしいんだ」
ふざけた口調とは裏腹の、眞祥の真剣な目に、千紗も笑みを消して真剣な顔で頷いた。
「うん。分かった。また、来るよ」
「何か用事があって、命日ぴったしには来れなくっても、姉さんの七回忌と、義兄さんの十三回忌ぐらいには、命日に来い。両方とも三年後だ。いいな?」
「うん。……そう言えば、眞祥はどこの大学に行ってるの?」
「ん? 地元の栄偵大学の人文系。内容は何でもありで、結構しっちゃかめっちゃかなんだけど、教授が内容に見合うくらいな個性派揃いでさ。地元の割には面白いんだ」
「そっか。……良かった。何か、安心した」
千紗がそう言って笑うと、何故か拳骨を落とされる。
「馬鹿か、お前は。それはこっちの台詞だ。お前が姉さん達のことを忘れてなくて、安心したのはこっちだっつうの」
「あ、そっか……」
千紗は、小さく笑い声を上げた。
「んじゃ、墓参りも終わったしなあ……。俺んち、寄ってくか?」
眞祥の言葉に、後ろで聞いていた由梨亜は目を輝かせた。
「え? いいの? やったあ! とっても暑かったから、ちょうど涼みたかったんだよねえ」
「あ、うん、確かに……。って言うか、眞祥、あんたこの近くに住んでるの?」
「ああ。ここから徒歩で三十分も掛かんないとこ。ついでに言うと、父さんも母さんも、まだインドだぞ。あ、でも……父さんの放浪癖、まだ治ってねえからなあ……。もしかしたら、またどっかに行ってるかも知れないな」
その言葉に、千紗は大きく目を瞠った。
「あれ? でもお祖父ちゃんって、もう六十越えてなかったっけ?」
「ああ。確か六十五だったっけな」
「なのに、まだうろうろしてるんだ……」
千紗が呟くと、眞祥は目を逸らした。
「……俺が思うに、父さんの放浪癖は、一生治らねえ気がする」
「うん、そうだね……。眞祥の紅茶狂が治らないのとおんなじだよ。さすが親子。似なくていいとこまで似ちゃって」
千紗が背伸びをして言うと、眞祥の目がきらりと光った。
「……ふうん? 俺を『紅茶狂』呼ばわりするんだったら、俺の紅茶に対する情熱を、それこそ俺の気が済むまで聞いてもらおうか」
その言葉に、千紗だけでなく由梨亜も顔を引き攣らせた。
「ちょ、千紗の馬鹿! やんなくていいことまでやらかしてっ!」
「え、あたしのせいっ?!」
「どっから見ても千紗のせいでしょ!」
由梨亜はそう言うと、派手に溜息をついた。
「ああもう、しょうがないから行きましょ? 香麻、睦月も。……二人とも、覚悟しといた方がいいわ。眞祥に紅茶を語らせたら、優に数時間は掛かるから」
「げっ……」
「マジか……」
二人は、同時に肩を落とす。
その四人の落ち込み具合とは対照的に、眞祥は上機嫌に言った。
「ああ、楽しみだな? 何しろ、俺の周りには紅茶を分かってない奴らが多過ぎてな。語れなくってうんざりしてたんだ。俺とまともに語り合えたのは、父さんと本条夫人だけなんだぞ? 少な過ぎる」
「……じゃあ、その八つ当たりじゃん……」
千紗は肩を落として言ったが、逆に眞祥は胸を張った。
「何とでも言え。……ほら、お前ら、さっさと行くぞ! これからどんどん暑くなるんだ。早く家の中に入って涼みたいだろ? 仕方ないから、昼食くらいは奢ってやる」
すると、項垂れていた千紗と由梨亜はぱっと顔を上げた。
「え? ねえ眞祥。それって、眞祥の手作り?」
「ああ、そうだけど?」
「やったあ! 眞祥のご飯、美味しいんだよねえ」
「……それは、お前が俺に作らせまくった結果だろうがっ! 当番サボりまくりやがって!」
「え~? 何のこと?」
千紗は笑うと、ぱっと駆け出した。
「ほら、早く行こう! あっついもん! あ~、久し振りの眞祥のご飯、楽しみだなあ! ほら、由梨亜も、行こ!」
「はいはい。ほら、男ども! さっさと来ないと置いてくわよ? あ、眞祥、道先案内宜しくね?」
「あ~、はいはい。分かったってば。おい、お前ら、そんな走んなよ……。あ、睦月と香麻だっけ? お前達も、早く来ないと置いてくぞ?」
どんどんと進んで行く話に、睦月は額を押さえた。
この三人、とても連携が取れている。
それは、小学校で友達だったからなのだろうが、それにしたって、全くブランクが感じられない。
二人だけでも大変だったのに、それが三人になってしまったのだから、一体どんな暴走を巻き起こすことになるのだろうか。
それを思うと、睦月の胃はしくしくと痛んでくる。
「ああ……。ったく、あいつらといると、気の休まる時がない……」
睦月がぼやくと、香麻はそれを聞いてにやりと笑った。
「でも、そんな賑やかな奴らだからこそ、一緒にいて楽しいんだろうが。それに、そういうところも含めて、俺は由梨亜を好きになったんだけど……睦月は、違うのか? 千紗が、大人しくなきゃ嫌なのか?」
「冗談言え。千紗が大人しくなったところなんか、想像もできない。……第一、あいつが大人しかったら、俺と婚約なんかしてるか。大人しく、親の決めた婚約者候補と婚約してるぞ」
不貞腐れて睦月がそっぽを向くと、香麻は大人びた笑みを洩らした。
「じゃ、そういうことなんだろ? ……ほら、本気で俺ら、置いてかれるぞ? ああいう奴らを好きになったんだから、覚悟くらいは持たなきゃな。じゃないと、心臓がいくらあっても足りない」
「…………ああ、そうだな。おい、千紗、由梨亜! ちょっと待て! 俺らを置いてく気か!」
睦月は怒鳴ると、墓に背を向け、走り出す。
暑さを増して来た真夏の太陽は、今にも中天に懸かりそうだ。
綺麗に磨かれた墓石は、きらきらと光に反射して、少し眩しい。
眩い太陽に照らされて、子供から大人に差し掛かろうとしている彼らは、山の木々の間に呑まれ、紛れた。
後には、静寂に包まれた、穏やかな眠りばかりが残った。
(終)