―初めての訪い―2
眞祥は、太陽が昇り切り、人々が活動を始める頃、一人墓前に佇んでいた。
そこに彫られているのは、『彩音家之墓』という文字。
その横にある墓誌には、義兄の両親や祖父母達といった祖先と並んで、義兄と姉の名が並んでいた。
「義兄さん、姉さん……。おはよう。久し振りだな。一ヶ月振りかな? ……ここ、ちゃんとしたお寺で良かったな。一ヶ月来なくっても、ちゃんと手入れされてる。……今日は、姉さんの命日だもんな? 姉さん、ドルチェのシュークリーム好きだったろ? 高いからあんまり買えないけど、今日は命日だもんな。ほら、姉さんの大好きなアールグレイも持って来たぞ? 父さんが選んだ奴だ。特別だからな?」
眞祥は頬を綻ばせると、そっと墓石を撫でた。
そして、墓の前に花を活けると、ふと空を見上げた。
早朝だからか、真夏だというのに空気が澄んでいる。
いや、ここが山に近いからだろうか。
むしろ、山の中の盆地と言った方が分かりやすいほどに、ここは自然が豊かだ。
眞祥は、墓の前に腰を下ろす。
目を閉じ、心持ち顔を上げると、爽やかな風が心地よい。
暖かな太陽は、早起きしたせいもあって、かなり眠気をそそる。
いつの間にか、眞祥は穏やかな眠りに落ちていた。
眞祥の目が開いたのを見て、千紗はびくりと身を震わせた。
千紗にとって、眞祥は叔父で、友達だ。
昔から、沢山迷惑を掛けて来たし、世話にもなって来ている。
けれど、今の眞祥にとって、千紗はただの友達――それも、小学校の五、六年生の時に仲が良かったというだけの存在なのだ。
千紗は、本当の記憶を取り戻してから、以前に親しかった人と会ったことはない。
だから……眞祥と会うのは、とても怖かった。
(何で……眞祥、ここにいるの? 確かに、眞祥のお姉ちゃん夫婦のお墓だし、今日はお母さんの命日なんだけど、ここで寝てたって……何で?)
目を覚ました眞祥と目が合って、ただでさえも混乱していた千紗は、思わず後退った。
すると――目を瞬いた眞祥は、いきなり立ち上がって詰め寄る。
その勢いに、千紗は益々後退った。
「わっ、ちょっ……!」
「お前……千紗か? 千紗なんだなっ?!」
激しく問い詰められて、千紗は顔を強張らせた。
「ゆ、由梨亜っ……!」
きっと眞祥は、どうしてここに千紗がいるのかと疑問に思っているのだろう。
それに、眞弥と櫻堵の死を――特に眞弥の死を負い目に感じているのなら、たかが小学校の時の友達ごときに、墓に来てほしくはないだろう。
そう思ったから、由梨亜に眞祥の記憶を戻してもらおうと思ったのだ。
多分、そうしなければ収まりが付かないのではないだろうかと思えるほど、眞祥は鬼気迫った様子だったから。
「由梨亜っ?! どうしてお前までいるんだっ!」
眞祥の言葉に、由梨亜は不審げに眉を寄せた。
「待って、眞祥。それってどういうこと? 私と千紗は双子の姉妹なんだし、一緒にいて可笑しなことなんて……」
「双子だって?!」
由梨亜の言葉に、眞祥は大きく目を瞠った。
「どういうことなんだ、千紗、由梨亜! 一体何なのか、俺に説明しろ! 六年前、一体何があったんだっ?!」
「六年前……?」
呆然と千紗が呟くと、眞祥に凄い形相で睨まれた。
「そうだ、六年前だっ! 六年前、お前は姉さんの所から消えた。そして、由梨亜と入れ替わるようにして本条姓になった。でも、由梨亜はどこかに消えてしまった。……それは、一体何故なんだ? 一体、何があった? どうして何も言わずに消えたんだっ?!」
最初は努めて冷静に話していた眞祥は、話しているうちに感情が荒ぶって来たのか、最終的には怒鳴りながら千紗と由梨亜に詰め寄った。
真夏のお盆も外れたこの時期の、しかも正午に近い時間だ、他に参詣者はいない。
それだけが幸いだと思いながら、由梨亜は混乱した頭を押さえ、眞祥を見上げた。
「待って……待って、眞祥。貴方……忘れなかったの? 私のこと。千紗のことも、姪だって、そう憶えてたの?」
「そうだっ! 俺と姉さんは――俺と姉さんだけは、ずっと忘れなかったっ! だから、姉さんはっ……」
眞祥の声が震える。
「ほんっとに……一体、何がどうなってるんだよ……」
どさりと、眞祥は墓石の前に腰を下ろす。
本当に、力が抜けてしまったようだ。
「由梨亜……」
由梨亜を呼ぶ千紗の声も、堪えようがなく震える。
「何で……お母さんも眞祥も、忘れなかったんだろうね、あたしのこと……」
「それは……分からないわ。私にも、何でだか、全然分からない……。ねえ、眞祥」
由梨亜はその場に膝を付くと、眞祥の顔を覗き込んだ。
「貴方と彩音の小母様は、私達のことを忘れなかったのよね? 本当のことを」
「……ああ」
眞祥は、まるで呻くような声で返事をする。
「じゃあ、どうやって、千紗が本条家に入ったって知ったの?」
「……母さんと、卒業アルバムだよ。姉さんから、千紗の存在そのものが消えたって聞いて、父さんと母さんに聞いたんだ。千紗って憶えてるかって。そしたら……母さんが、千紗のことを本条家のお嬢様だって言い出して……だから、卒業アルバムを見たんだ。そしたら……由梨亜、お前はいなくなっていた上に、千紗の名字が本条に変わってた」
眞祥に睨まれて、由梨亜は思わず目を逸らした。
そして、眞祥が記憶を喪っていなかったということに勇気付けられたのか、千紗は大きく目を瞠って眞祥に詰め寄る。
「眞祥、そのこと、お母さんに言ったの?」
千紗に見詰められて、眞祥は目を逸らした。
「……………………いや、言ってない」
沈黙の末に絞り出された言葉に、千紗は目を瞠った。
「何で……?」
声が、震える。
涙が、じわりと込み上げてきた。
けれど、涙を堪えて真っ直ぐに眞祥を見詰めると、眞祥は辛そうに顔を歪めた。
「だって――言えないだろうが? 自分の娘が勝手に他人の娘になっていて、おまけに自分のことを憶えてないかも知れないなんて……」
「……でも、せめて、あたしが今どこで何をしているのかさえ分かれば、お母さんだって、無茶はしなかったんじゃないかな……? 最低でも、過労死するなんて、なかったんじゃないかな……?」
千紗の瞠られた目から、堪え切れなかった涙が、つうっと一筋零れる。
それを間近で見ざるを得ない眞祥は、耐え切れずに目を逸らした。
「ごめん……」
「眞祥が謝っても、お母さんは帰って来ないんだよ……? 何で? 分かってたのなら、言ってくれれば良かったのにっ……!」
強い感情が籠められた震える声に返されたのは、それよりも悲痛な叫びだった。
「俺はっ! そこまで勇気がねえんだよっ! だから、姉さんの記憶がなくなったお前に会う気力なんてなかったし、姉さんがお前と会って傷付くところを見る度胸もないんだよ! 俺ができるのは、こうやって姉さんと義兄さんの墓の前で張ることぐらいなんだ。……ほんと、俺……弱虫なんだよ」
「……でも、あたし……一年近くは、憶えてたよ……? お母さんのこと」
千紗の小さな声に、眞祥は息を呑んだ。
「だから……眞祥が早く言っていたら、あたし、お母さんと会えてた……」
千紗は涙を流しながら、呆然と呟く。
「じゃあ……憶えてたなら、どうしてお前から姉さんに会いに行かなかったんだよっ!」
「だって、忘れてるって思ってたんだもん! 由梨亜が――あたし以外の人の記憶はなくなるって言ってたし、あたしの記憶も徐々に消えてくって言ってたから――まさか、お母さんがあたしを忘れないで、それが原因で死んじゃうなんて、思わなかったんだもん……」
唇を噛み締めて俯く千紗に、眞祥もそれ以上は何も言えなくなる。
無言になった二人に、由梨亜は小さく言った。
「二人とも、ごめんなさい。――彩音の小母様と眞祥の記憶が消えなかったのは、こっちの不手際だわ。……それに、そのせいで、彩音の小母様は亡くなってしまったんだし……本当に、ごめんなさい」
そう言って頭を下げる由梨亜に、眞祥は静かに言った。
「由梨亜、千紗。……本当のことを教えてくれ。――これは一体、どういうことなんだ? 一体何があった? 俺に、全部教えてくれ。……嘘とか、隠し事は絶対にやめろよ。俺は、六年も待ったんだ。これ以上待つ気はない」
眞祥の声は静かではあったが、強い怒りが隠されていた。
確かに、訳も分からずに長い時を過ごして来たのだから、その怒りは当然のものだろう。
千紗は、一つだけ深呼吸をすると、ゆっくりと『本当のこと』を話し出した。
千紗が、櫻堵や眞弥とは血が繋がっていなくて、だから眞祥とも叔父と姪の関係ではなく、本当の両親は本条耀太と瑠璃だということ。
そして、由梨亜は耀太と瑠璃の娘ではなくて、花鴬国の現王の異母姉――花雲恭富実樹であり、つい二年前までは花鴬国の国王であったこと。
それを聞いた眞祥は、きつく目を瞑った。
「……それ、結構荒唐無稽な話だよな。完璧に、物語にしか思えないし」
「でも……ほんとのことなのよ」
「じゃあ……さ、何で、由梨亜はこっちに来て、千紗は姉さん達の娘ってことになったんだ?」
鋭い目を向けられ、由梨亜は咄嗟に俯いた。
そう、全ての原因は、自分と――そして、花鴬国なのだ。
だから、振り回された彼に説明する責任は、千紗ではなく自分にある。
「その……当時の花鴬国は一夫多妻制で、御父様にも、后、妃、妾、最貴、最侍、最女って六人の奥さんがいて……実際、私は十五人兄弟なの。それで、私はその一番最初の子供。でも、おんなじ日に生まれた異母妹の御母様に、私は命を狙われていて……安全策として、私をこっちに送ったのよ。そして、私が戻ったら、みんなの記憶を消すって……。だからまさか、貴方達の記憶だけ消えなかったなんて、思わなかったわ」
由梨亜の言葉に、眞祥は皮肉げに言った。
「ふうん? よくありそうな陰謀劇じゃんか。でもさ、記憶消すって、一体どういうことだ? そんなこと、勝手にできるとでも思ってるのか? 例えば、科学の発展でそういう機械が開発されたとしても、お前らに関わった人物、全員をその機械に掛けなきゃ意味ないだろ? それに、その方法だと、写真のことが納得できない。……どうやった?」
その言葉に、千紗と由梨亜は顔を見合わせた。
さすがにこればかりは……説明しても、納得するとは思えない。
「魔法……かな?」
「は? ふざけてんのか」
「いや、その……えっと」
だんだんと不機嫌になっていく眞祥に、千紗は目を泳がせながら何とか説明しようとする。
「あのね? 第六感って知ってる?」
「勘だろ。あんなの、所詮嘘っぱちでしかない。ただの運だ」
ばっさりと切り捨てられて、千紗は呻いた。
第六感を真っ向から否定する眞祥を納得させる言葉は、千紗には思い付かないし、そこまで深い知識がある訳でもない。
だから、ちらりと横目で由梨亜を窺って、説明役を放り投げた。
その難題を受けた由梨亜は、眉根を寄せ、何とか言葉を構築していく。
「その……嘘じゃないのよ。特に厳しい環境にいると、その第六感は発達するの。ほら、地方の部族がとんでもなく目がいいとか、天気が分かるとか、そういうの、あるでしょ? それの発展形で、魔族が誕生したのよ。もう滅んでしまったけど。そして、花鴬国の人は、大抵彼らの血を引いているのよ。だから、魔法が存在する」
懸命に説明する由梨亜を、眞祥は鼻で笑い飛ばした。
「は? そんなファンタジーな話、信じられる訳ねえだろ。魔法とか魔族とか……三流小説か?」
眞祥に蔑んだように睨まれ、由梨亜は俯いた。
眞祥は、千紗以上に現実主義者だ。
科学的ではないと、不可思議現象や幽霊現象の特集番組があっても、ただ鼻で笑っていたし、奇跡的に大事故から生還したとか大手術に成功したということがあっても、そんなことはただの確率と運と技量の問題だと言って、てんで相手にしなかった。
だから……これだけは、多分信用してくれないだろうと思った。
(続)