―初めての訪い―1
本編第Ⅲ部~心の置き場所は~第七章の後、番外編~邂逅のその時~終章の後日談です。
真夏のうだるような熱風が、辺りに澱んでいる。
まだ太陽は中天に達していないので、これからどんどん暑くなっていくだろう。
そんな空気の中、真夏の暑さによって利用者の少ない駅から出てきた人影が、構内の日陰ではなく野天で立ち尽くしているというのは、いくら人通りが少ないとはいえかなり目立つ。
だが、彼らは急ぐ様子もなく、ただ身じろぎもせずに佇んでいた。
やがて、その中の一人の少女が、ぽつりと呟いた。
「由梨亜……やっぱ、怖いよ……」
「……じゃあ、やめる?」
穏やかな問い掛けに、彼女は大きく首を振った。
「ううん……やめない。絶対、やめちゃ駄目だから」
千紗の決意に満ちた言葉に、由梨亜はそっと笑みを浮かべた。
「そう! それでこそ千紗よ! 第一、もう最寄り駅に着いちゃってるんだし、後はタクシーに乗ってくだけでしょ? ここでやめちゃったら、交通費が勿体ないわ」
あっけらかんと言う由梨亜に、千紗も何とかぎこちない笑みを浮かべた。
「うん……それは、分かってるんだけどさ……でも、やっぱり怖いや。もう何年もお父さんのお墓参りに行ってないし、お母さんのお墓には、初めて行くし……」
「だから、今行くんでしょう? 今やめたら、それこそ一生後悔するんじゃないかしら」
にっこりと笑いながら、有無を言わせぬ口調の由梨亜に、千紗は苦笑した。
「はは……うん、そうだね……。でも、さ」
千紗は顔を上げると、背後に佇む男達を睨んだ。
「何であんた達まで付いて来る訳? 睦月、香麻」
千紗に睨まれ、香麻は居心地が悪そうに身じろいだが、睦月は不敵に笑った。
「ん? 何でって、これからお参りに行くの、お前の育ての両親なんだろう? だったら、婚約者の俺が一緒に行くのは当たり前だろうが。一応報告もしなきゃなんねえだろうし」
「そりゃ、そうだろうけど……睦月がそういうことを言い出すのって、何か不自然」
じろっと不審げに見上げると、睦月は若干顔を引き攣らせた。
「そ、そうか? だって、俺の両親の墓にだって、婚約が決定した時に行って報告してるだろう? 墓参りがてらに」
「でも、それって睦月のお兄さんと妹さんとの顔合わせも兼ねてでしょ? それに睦月、こんなことしてもあんま意味ないって言ってなかったっけ? 矛盾してない?」
鋭い千紗の突っ込みに、睦月はたじろいで視線を泳がせた。
「あ~……それはそれ、これはこれだっ! な、香麻?」
突然話を投げ掛けられた香麻は、仰天して仰け反る。
「な、何でいきなり俺に話を振るっ?!」
「そうだ! 香麻も香麻だよ。何で香麻も来るの?」
今度は、矛先が香麻に向かった。
「いや、その……俺一人で留守番って淋しいじゃねえかよっ! 仲間外れにする気か?!」
切れて自棄糞のように叫ぶ香麻に、さすがに千紗も目を逸らした。
「うん……ごめん、香麻に言うのは的外れだった。……あれ? 由梨亜?」
千紗が辺りを見回すと、そこには既にタクシーへ乗り込もうとする由梨亜の姿があった。
「あ、ちょっと、由梨亜! 早いよ!」
「あれ? 三人とも、まだそこにいるの? 早く来てよ」
唇を尖らせる由梨亜に、千紗と睦月と香麻は顔を見合わせ、慌てて由梨亜を追い掛けた。
延々と続く山道に、早々に音を上げたのは香麻だった。
「なあ、何なんだよ、この山っ……!」
「何って、お墓への道だけど?」
香麻とは対照的に、千紗は全く息を乱していない。
「そんなにきついかな?」
「きっついぞっ!」
「ああ、これはちょっと……。千紗、本当にこの道で合ってるんだろうな? ……っつうかこれ、道、か? 獣道って言うか、何て言うか……爺ちゃん婆ちゃん達、絶対きついぞ? ここ通るの。なあ、ほんとに合ってんだろうな?」
睦月は胡乱気に坂を見上げ、千紗をじろっと睨んだので、疑われた千紗は頬を膨らました。
「勿論! さっき、お寺だってあったでしょ? お父さんのお墓は、基本的にあのお寺が管理してくれてるから、お母さんのお墓だってやってくれてるだろうし。確か、永代供養で頼んでるんだっけかな? あたしもお祖父ちゃん達も、滅多に来れなかったし」
千紗はそう言うと、一気に坂を駆け上る。
そこから更に坂を下ると、一面が墓地になっていた。
「え~っと、どこだったっけかな。確か、奥の方の……こっち」
少なくとも六年振り以上になるのに、千紗の足取りは確かだった。
余程父の墓参りに来ていたのか、それとも、父の死が重い何かを遺していたのか。
それは分からないが、とにかく千紗に何かが残っているのは疑いようがない。
けれど、ある区画に入った途端、迷うことなく進められていた千紗の足が止まった。
訝しく思って由梨亜を見ると、その由梨亜も驚きにか目を瞠って硬直している。
その二人の視線の先を辿ると、ある墓の前に、一人の少年が座り込んでいるのが見えた。
居眠りでもしているのか、ぴくりとも動かない。
「墓場で、居眠り……?」
睦月は、思わず呟いていた。
こんな所で寝るなんて、何と図太いのだろう。
『幽霊』や『心霊現象』は非科学的でしかないが、墓の下には遺骨が埋まっている。
そんな所で眠るのは、いくら科学万能主義者でもぞっとしないだろう。
「まさか……」
千紗は、ふらふらと足を進め、その少年の目の前に立った。
それを、慌てて他の三人も追い掛ける。
睦月の目に、その少年は同い年のように見えた。
「どうして、こんなとこで……」
千紗の声が、微かに震える。
抑えようとしても、抑えられないのだろう。
その時、人の気配にか、千紗の声にか――少年の瞳が、ゆるりと開いた。
(続)