―無自覚の新しい世界―1
本編第Ⅰ部~それぞれの居場所~第六章のおよそ一年半前の、千紗が主人公の話です。
小雪がぱらぱらとちらついている曇天にも拘らず、そこにいる少年少女達は、皆笑顔だ。
それもそうだろう。
今日は入学式なのだ。
しかも、この学校――嶺郷高校は、毎年倍率が二倍前後の上に偏差値も七十を越える難関校であり、進学校でもある。
またそれだけではなく、部活動にも熱心で、文化部では吹奏楽部が、運動部では陸上部と男子バスケットボール部が、毎年連邦大会やユーラシア大陸大会に出場するなど、かなりの好成績を収めていた。
そんな学校なので、彼らがここに入学できたということに胸を躍らせ、華やかな高校生活を夢見るのは至極当然のことと言える。
けれど、そこに一人、しっかりとした表情をした少女がいた。
他の生徒のように浮かれた表情を見せず、部活の勧誘をしようとチラシを押し付けて来る上級生を適当にあしらって、彼女は昇降口に辿り着く。
そこで自分のクラスを確認すると、淡々とした様子で、彼女は校舎の中に入って行った。
「――じゃあ、これで休み時間だ。休憩が終わった後、部活の登録のやり方とか、みんながやりたがってるバイトの注意事項とかがあるからな。しっかり聞けよ。それから、委員会決めもするから、どんなのに入りたいか考えておくこと。以上! 休み時間にしろ」
教師の言葉に、生徒達は少し身じろいた後、周囲とぎこちなく会話を交わし始める。
入学式の翌日、改めてクラスに集まって自己紹介をした彼らは、それぞれ趣味や入りたい部活など、共通の話題を見付けて話し始めていた。
千紗は、それを教室の後ろの方から、つまらなそうな顔で眺めていた。
一番近い周囲の子達は、携帯のサイトで既に知り合っていたのか、千紗が入る隙間がないのだ。
千紗だって、本当はそういうこともやりたかったし、何も望んで無口でいる訳でもないのだが、千紗は携帯端末を持っていない為、彼女達のように事前に知り合うことは不可能だったし、連絡先の交換だって自宅の番号なので、手軽にメールや電話ができないとなっては、どうしても周りから敬遠されてしまうのだ。
二番目に近い所にいる子達は、一見真面目そうにも見えるが、よく見ると校則違反のアクセサリーを付けていたり、明らかに髪の毛をいじっていたり、スカート丈がかなり短かったり、耳にピアスの穴が開いていたり――正直、友達になりたいとは思えなかったし、それに仮に気が合って友達になれても、父のような昔気質で厳格な人間には、彼女達のような派手で今時の女の子なんて、到底認めることができないだろう。
結局、付き合いが反対されることが分かり切っているような相手に――それも、気が合うかどうかすら未知数の相手に、わざわざ声を掛けに行くような労力は使いたくなかった。
そんな風に考え、前を見ているようでぼんやりしていた千紗は、いきなり机に手を叩き付けられて、驚いて顔を上げた。
一瞬、無言で座っているこちらが気に食わないのかと思ったが、どうやら勢いが良過ぎただけのようで、図らずも教室中から視線を集めてしまった彼女は、羞恥に頬を赤くしている。
けれど、果敢にも声を掛けて来た。
「ねえ、あたし澤本藍南って言うの。本条千紗、だよね?」
「そう……だけど?」
千紗が目を瞬くと、藍南はまだ少し頬を紅潮させたまま、にこっと笑って言った。
「ねえ、千紗って呼んでもいい?」
「あ、別にいいけど……」
「じゃ、あたしは藍南って呼んで?」
「うん。分かったわ」
すると、何故か両手をがしっと掴まれた。
千紗は、驚いて目を瞬く。
「え、えっと……何?」
「ねえ、千紗! あたしと一緒に部活見学行かない?!」
目は爛々と光っていて、正直怖い。
「はい……?」
千紗は、藍南から手を取り返すのも忘れ、ぽかんと口を開けてしまった。
「あたしの中学校、吹奏楽部がなくって入れなかったんだよね。でも、すっごく入りたくってさ! でも、ちょっと一人で音楽室に行くの怖くって……ねえ、さっきの自己紹介の時、文化部に入りたいけどまだ決めてないって言ってたでしょ? ね、あたしと一緒に来てくれないかな? 一回だけでいいから! お願い!」
そう言って顔の前で手を合わせる藍南に、千紗は狼狽えながらこっそりと手を膝に戻した。
「え、や、その……別にいいけど。でも、確かこの学校の吹奏楽部って、結構優秀だよね? 日本州に住んでる人の大抵が、吹奏楽の強豪高校って知ってるくらいには」
優秀ならば、休みの日も部活が入っているだろう。
それならば、なるべく家に居着きたくない自分にとっても好都合だ。
そう思って口にしたその言葉は、それを違う意味で取った藍南に思わぬ反応をさせた。
「だから~、そんだけ強かったら、初心者お断りかも知れないでしょ~……? それだったら、諦めなきゃ駄目だしさあ」
そう言って床に膝を付く藍南に、千紗は思わず立ち上がった。
「や、ちょ、藍南?! 大丈夫っ?!」
「だってさ~、大抵こういう強いところって、経験者求む! なんだよ? 『経験ないのはちょっと……』って言われたらお終いなんだよ! もう怖くってさあ……」
見ず知らずの自分に声を掛ける勇気があるのなら、部活動見学も一人で行けるのではないかと思いながら、千紗は頷いた。
「分かった。一緒に行く」
「ほんとっ? ありがとう! 恩に着るよ~!」
そう言って笑う藍南に、千紗は苦笑した。
(続)