第二章「天佑を得たか、否か」―1
今回、妊娠・出産についての記述が多くあります。苦手な方はご注意下さい。また、もしかしたらその内容に誤りがあるかも知れませんが、それについてはご指摘頂けると嬉しいです。
マリミアン、もとい由梨亜妾は、深い溜息をついた。
すると、共にお茶を飲んでいた沙樹奈后が首を傾げた。
「あら? どうかしましたの? 由梨亜妾」
「いえ……その、少し、憂鬱な気分になってしまいまして……」
その言葉に、紗羅瑳侍が首を傾げた。
「まあ。大丈夫ですの? もしかして、妊娠中になるという、あの……何でしたかしら? ああ、そうそう、マタニティーブルーというものではないのですか?」
紗羅瑳侍は、沙樹奈后と由梨亜妾の軽く膨らんだ腹部を見詰めた。
ちなみに、彼女には妊娠の兆しはない。
「まあ、確かにその可能性もあるでしょうけれど……由梨亜妾が憂鬱になっているのは、やはり深沙祇妃のことではないのですか?」
沙樹奈后の気遣うような視線に、由梨亜妾は俯いた。
「ええ……。わたくしは、何も望んで妊娠したという訳ではないのに……なのに何故、このような目に遭わねばならぬのでしょうか……」
由梨亜妾の力のない声に、沙樹奈后は力強く首を振った。
「いいえ、由梨亜妾。嘆きたくなる御気持ちは分かりますわ。ですが、御腹の御子までもを否定するようなことは仰らないで下さいまし。その子には、何の責任も御座いませんわ」
沙樹奈后に真剣に見詰められ、由梨亜妾はハッと息を呑んだ。
そして、俯いて呟いた。
「ええ……確かに、そうですわね。申し訳御座いませんわ、沙樹奈后。貴女も、妊娠していらっしゃるのに……」
由梨亜妾が呟くと、沙樹奈后はそれを笑い飛ばした。
「いいえ、わたくしは気にしてはおりませんわ、由梨亜妾。それに、たとえどんな事情があろうとも、妊娠するというのは慶ばしいことではありませんか」
「そうですわ、由梨亜妾。わたくしは妊娠してはおりませんけれど、貴女方の妊娠は、大変嬉しく思っておりますもの。それに、彼女のように、貴女方に浅ましい妬みなど持ってはおりませんわ。まあ、貴女方が御喜びになられる御姿を拝見して、わたくしも、いずれでよいので御子を授かりたいものだとは、思いましたけれど……。ですが、次代の王家に自らの血を継がせようだとか、鴬大臣に子供を就かせようだとか、そんなことは望んではおりませんわ。わたくしはただ、誰の子供であっても、ただ健やかに成長してほしいと思っております。わたくしは総下の子供ですらありませんが、この後宮で生まれ育って来ましたもの。ここが、子供の成長にあまり良くない場所だということは理解しております。ですから、せめて……心だけは、健やかに育ってほしいと、望むのみですわ」
紗羅瑳侍のしんみりとした言葉に、二人は押し黙った。
二人とも、それは最初から分かっているのだ。
ここが、子供に望ましい環境ではないことぐらい。
特に、産まれたと同時に異母兄の后と定められた――次代の王家にも血を継ぐことが許された沙樹奈后は、身に沁みてそれがよく分かっているだろう。
それに、沙樹奈后、深沙祇妃、由梨亜妾の三人の予定日は、沙樹奈后が最も早く、深沙祇妃が最も遅いのだ。
沙樹奈后の予定日は、三ヶ月後の八月十日。
由梨亜妾がそれに次いで八月の二十一日で、深沙祇妃が最も遅い八月二十九日だ。
つまり、八月中に三人もの異母兄弟が産まれることになる。
これは、一夫多妻制を何百年間もの間執って来た花雲恭家にしても類を見ないことで、ちょっとした混乱が引き起こっていた。
もし、このほぼ同時妊娠の前に次代の王とその伴侶が産まれていれば、ここまでの混乱はなかったかも知れない。
けれど、この三人の子供の誰かが王になることはほぼ確定していて、その伴侶も産まれて来るかも知れないのだ。
誰が最初に子供を産むのかで、それぞれの後見や後援者達は血眼になり、侍医達に予定日の計算を正確にするように急かした。
だが、あまりそれに意味はないだろうと、沙樹奈后と由梨亜妾は達観している。
いくら技術が進歩して、予定日の計算ができるようになったとしても、それは産まれて来る確率が高いという訳で、絶対ではないのだ。
何しろ、この時期に産まれたら正常だと言われている時期は、ほぼ一ヶ月もあるのだ。
つまり、今計算しても結局は正しい日時なんて分かる訳もなく、この順番が前後する可能性も高いのだ。
だから、今何をしたって無駄、そう割り切っていた。
割り切れていないのは、深沙祇妃と、自分達三人の後見や後援者、そして産まれる子供の後見を狙っている者達だけだ。
また、この者達が胎児の性別確認をするようにと執拗に訴えてきているのも、王の籐聯の頭を痛くさせているのだった。
数百年前から、花鴬国では胎児の性別検査が可能になって入るが、花雲恭家では余計な争いを防ぐ為に、検査は行ってはならないことになっていた。
何しろ、産まれてからの子供をどうこうするより、産まれる前の子供をどうこうする方が、はっきり言ってとても簡単なのだ。
しかも――
「嗚呼……全く、峯慶御異母兄様に、早く帰ってきて頂きたいですわ……」
そう、峯慶は王太子として外国に外交で行っていて、ここ四ヶ月の間留守にしているのだ。
沙樹奈后の嘆きに、由梨亜妾は深く頷いた。
「ええ。全く、そうですわ。深沙祇妃は、一応陛下には敬意を払っておいでですけれど、峯慶殿下には及びませんもの。……峯慶殿下がいらっしゃらないと、自らの子供を王位に近付けられないとでも、御思いなのでしょうかね」
由梨亜妾が沈んだ声で言うと、沙樹奈后も眉を寄せた。
「まあ……その可能性も無きにしも非ず、でしょうね。それに、もしかしたら、峯慶御異母兄様が早莉阿后――后の息子だということも、一役買っているのではないかと思いますわ」
何しろ、后は妻達の中では最も位が高いのですし――
そう続けた沙樹奈后に、由梨亜妾は渋い顔をした。
「由梨亜妾? 何か……?」
紗羅瑳侍が不安そうに顔を覗き込んで来るのに、由梨亜妾はハッとして表情を取り繕った。
「い、いえ、特には。ですが……その、沙樹奈后が今仰られた理由は、あり得ないと存じますわ」
由梨亜妾が少し悲しげに言うのに、沙樹奈后と紗羅瑳侍は訝しげな顔をした。
「それは……一体、どういう意味ですの?」
「ええ。先王陛下――癒璃亜陛下には、王子が御二人と王女が御一人いらっしゃいましたが、その梨美亜王女殿下は外交上の問題で、ユレイド王国に嫁ぎましたでしょう? ですから峯慶殿下の御母様であらせられる早莉阿后は、癒璃亜先王陛下の弟君の娘御で……つまり、陛下とは従兄妹でいらっしゃいますわ」
「それが……一体、どうか致しまして?」
訝しげに首を傾げている二人に、由梨亜妾はごくりと唾を飲み込むと、深呼吸をした。
「その……深沙祇妃の故国であるミオメス国では、近親婚が非常に制限されているようで、六親等内での婚姻が許可されていないのだとか。……つまり、再従兄弟間であっても、結婚してはならないのだそうですわ」
由梨亜妾が告げた言葉に、沙樹奈后と紗羅瑳侍の表情が固まった。
「え……?」
「ちょ、っと……待って下さい、由梨亜妾。え……? ということは、同世代間での婚姻の場合は、三従兄弟以上に離れていなければ、不可能だと……?」
「はい。その……深沙祇妃は、わたくし達と馴れ合う気は更々ないようでいらっしゃいますが、それにしても、沙樹奈后と紗羅瑳侍に向ける視線が、あまりにも激しいもので……それで、気になったのです。そうして、調べてみたら……」
そう言って首を振る由梨亜妾に、沙樹奈后がぎこちない口調で訊ねた。
「え、ということは……兄弟間の婚姻――わたくしの場合、異母兄と異母妹の婚姻も、腹違いであっても、法律違反だと? そう、仰るのですか?」
「はい。法律違反どころか、むしろ憲法違反のようですわ。昔、再従兄妹に当たる方が婚姻を結びたくて、あまりにも厳し過ぎると国を訴えたことがあったそうなのですが、『六親等内での婚姻は違憲になる』との回答で、最高裁でも敗訴したそうですわ。結局、そのご夫婦は他国に渡って婚姻を結んだそうですけれど……」
妊娠中の為、胎児に影響がないように西洋木苺、香水木、檸檬草、薔薇を合わせたブレンドハーブティーが供されていたが、マリミアンはそれを一口すすった。
これを飲むと、何だか少し落ち着くような気がする。
「何でもミオメス国では、昔に血族婚を繰り返してしまったせいで、五百年ほど前、出生率が非常に低下してしまったことがあったそうですわ。それからミオメス国では、血の近い者同士の婚姻を、厳しく制限してきたそうです。特に、王族では。ですから、血の近い者同士の結婚に、嫌悪感を抱いていらっしゃるようですわ。沙樹奈后や紗羅瑳侍にきつくいらっしゃるのは、恐らくそれが原因ではないかと思います。またそれ故、深沙祇妃は、峯慶殿下の御両親のことも、あまり好ましく思ってはいらっしゃらないのではないかと存じますわ。勿論、峯慶殿下がいらっしゃらなければ、その……言い方は悪いのですが、身篭ることも――王族を産むこともないでしょう。けれど、言い換えてしまえば、深沙祇妃は子供を授かる為だけに峯慶殿下に尽くしていらっしゃるのではないかと、わたくし、そう思えてなりませんの」
由梨亜妾が暗い顔で言うと、沙樹奈后と紗羅瑳侍は、顔をぎこちなく強張らせた。
「ま、まさか……そこまで、そのようなことを……」
「ええ。ですから、わたくしの勘繰りでしかありません。けれど、ミオメス国の考えと、深沙祇妃御本人の御態度を踏まえて考えますと、そうとしか考えられないのです。……ただの、詮無きことだと、笑い飛ばせれば良かったのですけれど……」
「……何か、おありになったのですか? 由梨亜妾」
由梨亜妾は、沙樹奈后と暗い視線を交わした。
沙樹奈后と由梨亜妾は、紗羅瑳侍よりも年下だ。
けれど、紗羅瑳侍は、後宮の侍女と侍従の結婚によって後宮に生まれ、勉強もずっと後宮でしてきていて、更に公的にはあまり認められていない総下の子孫だ。
王家の血を色濃く継いではいるものの、沙樹奈后や由梨亜妾と比べて表世界には全くと言っていいほど出たことがない。
だから、告げてもいいのかどうか迷ったのだ。
けれど、自分達は子供ではないし、何より向こうは年上だ。
由梨亜妾は、意を決して紗羅瑳侍を見詰めた。