―キビシイ試練―2
突然黙り込んだ姉に、些南美は眉を寄せた。
どこか俯いて考え込んだ様子なのは、些南美に不安をもたらす。
まだ、この姉と再会してから一月も経っていない。
なので、この姉が何を考えているのか、よく分からないことも度々あった。
だから、些南美がこの沈黙を苦痛に感じ始めるその直前、異母姉が異母兄と弟を連れて室内に入って来て、正直些南美はほっとした。
「富瑠美御異母姉様、杜歩埜御異母兄様、柚希夜」
すると、三人はにっこりと些南美に笑い掛けてくれた。
「杜歩埜御異母兄様。ほら、こちらに御座りになって下さい。どうぞ、わたくしの隣に」
些南美は、意識して『異母兄を慕う異母妹』を演じる。
まだ些南美は十一歳だが、この異母兄を好く気持ちは本気だった。
杜歩埜は、可愛い異母妹の我儘に困った顔をしているようだ。
けれど、些南美には分かる。
それは、些南美の態度と同じく『演技』でしかないことを。
『異母妹の頼みを断れない振り』をすることによって、些南美の近くにいても怪しまれないのだ。
この国は、兄妹間の婚姻も許されている。
それは王だけに限らず、庶民でも許されているのだ。
だから、些南美と杜歩埜が結婚するのに、法律上の問題はない。
けれど、障害はある。
杜歩埜が、既に富実樹の婚約者だという障害が。
勿論、杜歩埜が富実樹の婚約者の地位を辞退して、第二王子である風絃を婚約者にすることはできる。
けれど、杜歩埜は后の息子。
この国では、まず第一に産まれ順が尊ばれ、その次に血の濃さが尊ばれる。
もし杜歩埜が最貴や最女の子供で、風絃が后や最侍の子供であったのなら、それなりのすったもんだはあっても、杜歩埜の婚約者辞退は認められただろう。
けれど、杜歩埜は后の息子であり、風絃は最貴の息子。
どちらが血筋的に見て婚約者に相応しいかと言えば、それは杜歩埜なのだ。
つまり、些南美と杜歩埜は、正式な結婚ができない。
それに、些南美はまだ子供だ。
歳が同じで、正式な婚約者である富実樹に杜歩埜が惹かれても、些南美にはそれを止めることができない。
だから、些南美はとても不安だった。
勿論、方法がない訳ではない。
些南美が総下になればいいのだ。
けれど、当代の王は父である峯慶。
いくら近親婚に寛容的な花鴬国でも、直系間での婚姻は認められない。
富実樹が即位し、杜歩埜がその夫となる時を待ったとしても、総下には年齢制限がある。
それに、もしその法律を変えて些南美が総下になれたとしても、杜歩埜の愛情を受け続けられる確証はない。
杜歩埜は、富実樹と子供をつくらなければならないのだ。
そのうちに、愛情が些南美から移ってしまう可能性だってなくはない。
些南美は、涙が零れてしまいそうな涙腺を叱り飛ばすと、思い切って異母兄の膝に座った。
「さ、些南美?」
見ると、今にも零れ落ちそうなほどに大きく、姉が目を瞠っている。
そう言えば、姉の目の前で異母兄とべったりくっつくのは、初めてだっただろうか。
「ああ、杜歩埜と些南美は、とても仲が宜しいのです。柚希夜も、勉強は杜歩埜に教えてもらっておりますし……本当に、些南美も柚希夜も、杜歩埜と仲が良過ぎるくらいですわ」
富瑠美は、そう言って溜息をついた。
その口調は、仲のよい異母弟妹達を微笑ましく眺めるような雰囲気であり、些南美はほっとする。
すると、柚希夜は何故か苦笑しながらお茶を出した。
正確には、富瑠美達が部屋に入って来るのと同じタイミングで、中級侍女が富実樹の部屋に持って来ていたのだが、些南美が杜歩埜とじゃれ合っているのを見た柚希夜が、侍女にお茶を置いて部屋を出るようにと促したのだ。
だから柚希夜がやったのは、お茶が冷めないうちに、異母兄姉達の前にカップを並べることだ。
「ありがとう、柚希夜」
富瑠美は柚希夜に礼を言うと、カップを手に取って一口飲んだ。
「美味しいですけれど……少し、冷めてしまいましたわね」
その言葉に、富実樹もお茶を口に含む。
「あ、本当……。でも、わたくしはこれくらいのぬるさの方が好きです。あんまり熱過ぎると、逆に風味が飛んでしまいますから」
富実樹はそう言って、首を傾げた。
「でも、これ……何の御茶でしょうか? ハーブティー?」
富実樹の疑問に、些南美は杜歩埜の膝に腰掛けてお茶を飲みながら答えた。
「ええ。これは、花鴬国でしか採れないクロッスリというハーブを煎じたクロッスリティーですわ。苦味が少なくて甘味が強いのが特徴なのです。ですが、アイスティーにすると渋くなってしまうのが玉に瑕ですわ。これは少しだけ冷めてしまっているので、甘味が少々弱くなってしまっています。本来の温かさならば、もっと美味しいのですけれど」
些南美はそう言って肩を竦めると、また一口啜った。
杜歩埜も、些南美を膝の上に乗せたままお茶を飲む。
どこか違和感のある光景も、些南美にとっては普通だ。
けれど、心の中のどこかで、いつもびくびくしていた。
この想いが、決して、他人にばれませんように。
そして、このままの関係が続き、いつか――いつか、異母兄と結ばれますように。
それだけが、彼女の願いだった。
富実樹は、急に説明を始めた些南美に、一瞬首を竦ませた。
けれど、ほんの数十秒で終わった説明に、内心ほっとして力を抜く。
つい一年前までは、親友の義理の叔父であった、『紅茶狂い』とも呼ぶべき人物による『紅茶談義』に頻繁に付き合わされていた為、お茶の説明に対して、いつも身構えてしまうのだ。
まあ、今回の場合、最初に種を蒔いたのは自分なのだが。
(でも……普通は、そんなにぐだぐだと説明はしないわよね。あいつが規格外なだけで……)
富実樹は、小さく溜息をついた。
その人物のことを嫌っていた訳でもないし、むしろよく一緒に遊んではいたのだが、彼の紅茶に対する情熱だけは理解できなかったし、理解したくもなかった。
その時、突然富瑠美が立ち上がった。
「? 富瑠美?」
「さあ、御異母姉様。休憩はこれにて終了ですわ。さ、練習を再開致しましょう」
「ええっ?!」
富実樹は、思わず大声を上げてしまった。
休憩が始まってから、まだ五分も経っていないのだ。
「ええ、では御座いません! やるべきことは、まだ山積しておりますのよ? いつまでも休んでいる訳には参りません! それに御異母姉様は、まだ歩き方で躓いておられるでは御座いませんか。綺麗な歩き方を会得したのちは、礼の取り方、綺麗な座り方、優雅な仕草。他にも様々なことが御座いますわ。御異母姉様は、まだ基礎の基礎の段階で止まっておられるのです。せめて今日中に、式典の服装でも人前に出られる程度にして下さいませ」
富瑠美に鋭く睨まれて、富実樹は肩を落とした。
確かに、自分が歩き方で躓いているのは事実だ。
富実樹は残っていたお茶を一気にあおると、立ち上がった。
「杜歩埜、些南美、柚希夜。忙しなくて申し訳ありません。富瑠美、三人を邪魔しては悪いですから、わたくし達は別室で練習しましょう?」
「ええ。やる気があるのは、大変宜しいですわ。ただ、それが持続なさればよいのですけれど……」
富瑠美の溜息をつきながらの言葉に、富実樹は頬に血を昇らせる。
「ちゃ、ちゃんとやるわよ!」
すると、すかさず鋭い指摘が飛んだ。
「御異母姉様、言葉遣いが乱れておりますわよ? 所作も言葉遣いも、全て御気を付け下さいませ。何事も優雅に、気高く、威厳を持って。これを御心掛け下さいませ」
「わ、分かりましたわ」
富実樹はそう言うと、慎重に歩き出した。
本当に、この服装は歩きにくい。
けれど、それが覚られないくらい、優雅に歩かなければならない。
少なくとも、自分が将来父の後を継ぎ、女王になることは決まっているのだから。
富実樹は、富瑠美のはらはらとした視線を感じながら、ゆっくりと歩く。
裾を踏まないように、けれど、裾を蹴立てないように。
目標は、十月に行われる鳳蓮の誕生会に出席すること。
それに間に合わなくても、せめて、十二月の柚希夜の誕生会には出席したい。
だからそれまでには、全ての所作や言葉遣いで、富瑠美に及第点をもらわなければならないのだ。
今のところ、それが富実樹の目標である。
異母妹の、厳しくも思いやりのある指導を受けながら。
(終)