―双子のお姫様―2
話の中に、いじめの表現や差別的な発言が出て来ます。
苦手な方はご注意下さい。
「それで? 結局ばれちゃったって訳?」
呆れたように由梨亜が言うと、双葉はやけにご機嫌な様子で頷いた。
「ええ。そうよ。それにしても、噂の伝播力って凄いわね。だって、私が咲に呼び出されたのって、昨日の放課後よ? しかも、今日もまだ午前中だってのに、もうみんなに知れ渡っちゃってるんだもの」
確かに、双葉と若葉が廊下を歩くと、まず間違いなく飛び退かれる。
しかし、その大半は咲達に加担していたか、いじめを見て見ぬ振りをしていた者達であり、それを考えれば、彼らの反応も仕方がないと言えば仕方がないのであろうが。
「でも、そんなことより、これで学校でも義彰と一緒にいられるっていうのが、私は嬉しいわ」
にこにこしながら言う若葉に、由梨亜は呆れた目を向ける。
「本当に貴女達、弟好きよねえ……」
「あら、そんなの当たり前じゃない」
「そうよ。あんなに柔らかくって懐いてくれるのって、義彰か子犬くらいなものよ」
真剣に力説する双葉に、由梨亜は遠い目をした。
「…………うん、双葉と若葉の弟についての認識が凄くよく分かったわ。子犬レベルなのね」
「あら、失礼な」
「でも、確かに由梨亜の言う通りかも。あんなに可愛い生き物って、義彰以外だと、それこそ動物の赤ちゃんくらいしか思い付かないわ。ねえ、双葉?」
「そうよね、若葉」
にこにこと笑いながら堂々と進む双子に、その双子を見て飛び退く上級生に下級生に同級生達――
何とも居心地の悪い思いをしながら、由梨亜は二人を追い掛けた。
チャイムが鳴って教師が教室を出て行くと、若葉はすぐに立ち上がった。
今日は、天皇という仕事のせいで常に公務で忙しく、滅多に遊んでもらえない祖父と遊べる日なのだ。
それも、祖母や父や母なども含めた、家族みんなで。
こんなことは、滅多にないのだ。
だから、若葉は早く帰りたくて仕方がなかった。
本当は、学校も休みたかったくらいなのだ。
若葉が席を立つと、周りはぎょっとして身を引く。
その様子を一瞥だけすると、若葉は無言で教室を立ち去った。
このクラスは、咲がいない代わりに由梨亜も双葉もいない。
それに、このクラス担任は話が非常に長く、その間にもうとっくに由梨亜と双葉は教室を後にしている。
だから、いつも昇降口の辺りで待ち合わせをしているのだ。
若葉が廊下を歩いていると、後ろからぱたぱたと走る足音がする。
邪魔にならないように、心持ち端に寄ると、何故か若葉の目の前で、彼女が立ち止まった。
「あの……」
「何?」
若葉は、ふと眉根を寄せる。
彼女は、確か同じ学年の子で、下級貴族の出身だったはずだ。
名前までは知らないが、さすがに同学年なので顔くらいなら知っているし、確か前に双葉と同じクラスにいたような気もする。
「その、これを……」
彼女が震える手で渡して来たのは、一枚の紙だった。
若葉がそれを受け取ると、彼女は一目散に駆け出してしまう。
取り残された形になった若葉は、しばし唖然としていたが、気を取り直して紙を見る。
そこには、少し用事ができて屋内プールに行っているから、そちらに来てほしいという由梨亜からのメッセージがあった。
それを見て、若葉は首を傾げる。
確かに、今彼女達の学年はプールの学習をしているし、由梨亜に先生が用事を言い付けたのだと考えると納得できる。
けれど、それなら双葉にでも伝言を頼めばいい話だ。
何も、親しくも何ともない女子に、手紙を書いて伝えるようなことではない。
若葉はそこに、違和感を覚えた。
(もしかしたら、咲の罠……?)
けれど、昨日のうちに、若葉の身分はばれている。
もう、自分が内親王だとばれた以上、彼女はこちらに手出しをして来ないはずだ。
彼女こそ、血統主義――選民主義の最たる者。
そんな咲が、内親王である自分に手出しができるとは、到底思えなかった。
だから若葉は、素直にプールへと向かうことにした。
それが、どんな結果をもたらすのかも、分からずに。
「あれ……? 由梨亜……? 双葉? いないの?」
若葉の声が、天井の高いプールに響いて、反響する。
ぐるりと見回すが、由梨亜の姿も双葉の姿もない。
若葉は、首を傾げた。
倉庫の方にいたとしても、若葉の声が聞こえない訳がないだろう。
これは、もしかしたら誰かに謀られたのかも知れない。
だが、その目的は何だろうか。
若葉が考え込んでいると、背後で足音がした。
もしかしたら由梨亜が来たのかも、と思って若葉は振り返ったが、その人物を目にした途端、若葉は険しい顔になった。
「やっぱり、あの手紙は、貴女が送って来たの? 咲」
けれど、彼女は無言で目をぎらつかせるだけで、若葉の問いに答えない。
若葉が訝しげに眉を寄せた途端、
「あんたが……あんたが、皇族じゃなきゃっ!」
意味の分からない言葉に、若葉の動きが止まる。
「あああぁぁぁぁぁああっっ!!」
人間とも思えない、凄まじい絶叫。
そして、二回に渡る、別種の強い衝撃。
それらと共に、若葉は息ができなくなった。
必死にもがくと、一瞬だけ呼吸ができる。
けれど、すぐにまた酸素が奪われた。
口の中に、鼻の中に、何かが流れ込んでくる。
咳き込みながら、本能でもがき、必死に空気を体に取り入れようとする。
その動きで、若葉は、ようやく自分が溺れているということに気が付いた。
ここは海ではなくプールだから、必ず底があるはず。
けれど、必死に足を伸ばしても、底に足が付かない。
それで、若葉は悟った。
ここは、水深が深い、シンクロ用のプールなのだ。
このプールは、幼稚舎から大学まで共有で使っているので、こんな所もある。
それを忘れていた自分を自嘲しながら、若葉は必死にもがき続けた。
自分は、泳ぎが下手だから、せめて、誰か、人が来るまでは――。
「遅いわねえ、若葉……」
由梨亜が呟くと、双葉も顔を顰めて頷いた。
「うん……。若葉、今週は掃除ないでしょ? なのに、もう同じクラスの人は出て来てるし……」
その時、双葉の視界におどおどとした少女が映り、双葉は眉を寄せた。
彼女は、何故か双葉を見付けると、ぎくりと体を強張らせたのだ。
その反応は、今日一日ずっと受け続けた反応だから、別にいい。
問題は、彼女は自分達をいじめる側でも、その取り巻きでも、無視する側でもないということだ。
彼女は若葉と同じクラスになったことはないが、双葉と同じクラスになったことはある。
その時、彼女は咲達に怯えながらも、隠された物の隠し場所を教えてくれたり、こっそりと庇ってくれたりしたのだ。
だから、今更双葉の姿に怯えるというのは、可笑しい。
「ねえ、逢野さん?」
双葉が声を掛けた途端、彼女は背を向けて駆け出す。
それを、明らかに怪しいと思ったのか、足の速い由梨亜が駆け寄って腕を掴んだ。
「ちょっと、逢野さん? 一体どうしたの?」
けれど、彼女はがたがたと震えて答えない。
「逢野さん。貴女……もしかして、若葉に何かしたの?」
双葉が低い声音で問うと、彼女はヒッと言ってしゃがみ込んだ。
「ご、ごめんなさい、ごめんなさいっ……! わ、私、怖くて、並樹さんに、逆らえなくて、だから……!」
その様子を見て、双葉は益々顔を険しくした。
「言い訳はいいから、若葉はっ?!」
「プ、プール……プール、に……」
「分かったわ。ありがとう」
双葉は、由梨亜を振り返った。
「由梨亜! 私はプールに行くから、由梨亜は先生呼んで! 私のことを知らなかった先生も多いだろうし、由梨亜が呼んだ方が、絶対確実だわ!」
「え、でも、どうして……?」
由梨亜が目を瞬くと、双葉は唇を噛み締めて言った。
「……嫌な、予感がするの。何もなければ、それでいいわ。でも、万が一でも、何かあったら……」
「……うん、分かった。双葉は、早く行ってあげて。私も、早く先生を呼んで行くから」
由梨亜の顔は、固く強張っていた。
恐らく、双葉の顔も、それ以上に強張っているのだろう。
(並樹咲、あいつっ――!)
もう、終わったと思っていた。
あいつは、皇族に対する畏敬の念が強く、行き過ぎるほどの選民主義者だったから、双葉と若葉が内親王だと分かれば、もう手出しができないと、そう信じ込んでいた。
なのに、こんなことになるなんて――。
双葉は、きつく唇を噛み締める。
舌に、鉄の味が滲みた。
双葉がプールに着くと、プールサイドに仁王立ちしている咲の姿が見えた。
彼女の視線の先を辿ると、水面が異様に乱れている。
そこに双子の妹の姿を認め、双葉の頭にかっと血が昇った。
「並樹咲! あんたって奴は、どこまでっ――!」
言葉が、激情によって続かない。
そんなことをしている場合ではないとは分かっていたが、双葉は咲に詰め寄り、力一杯頬を殴った。
途端に、手が焼け付くような痛みに襲われる。
生まれて初めてこんなことをしたから、むしろ双葉の一撃で吹っ飛ばされた咲に驚き、その軟弱さにも拘らず若葉をこんな目に遭わせたことに、激しい怒りを覚える。
けれど、双葉は咲を睨むことで残りの激情を押さえると、溺れている若葉に向かって手を伸ばす。
「若葉っ!」
その声に気付き、若葉は手を伸ばす。
けれど、あと一メートル、手が届かない。
双葉は唇を噛んだ。
何か、何か、何かっ――!
「双葉! 若葉っ!」
その時、由梨亜が教師を連れて駆け込んで来た。
若葉が溺れているのを見て、由梨亜は棒状の一メートルはある浮き具を取り、若葉に向かって投げる。
若葉は何とかそれに捕まり、それを腕を伸ばした由梨亜が引き寄せた。
何とか水の中から引き揚げられた若葉は、いくらか水を飲んだのか、プールの水温が冷た過ぎたのか、やたらと咳き込んでいるし、顔色も蒼褪めている。
「先生。すぐに若葉を病院に連れて行って下さい」
「わ、私が、ですかっ?!」
その言葉に、双葉は苛ついて教師を睨む。
「そうよ! もし若葉に何かあったらどうするつもりなのっ?! 一義的な責任は並樹咲にあるけど、監督責任は教師にあるでしょう?! 分かったら、さっさと連れて行きなさい!」
双葉の怒鳴り声に、その教師は体を震わせると、若葉を何とか抱きあげてプールを出て行った。
その後を、由梨亜も追って行く。
彼女が付いて行くのなら安心だと思って、双葉は咲に向き直った。
咲は開き直ったのか、ふてぶてしい顔でこちらを睨み上げる。
「並樹咲。あんた、どうしてこんなことを仕出かしたの?」
双葉が怒りを押し殺して訊ねると、咲は図々しいくらいの笑みを浮かべた。
「はっ。あんた達が、皇族だなんて、日本も落ちたものね。しかも、皇族であることを隠して、全く関係もない偽名を名乗るなんて! 庶民にしか見えない皇族だなんて、あたくしは皇族とは認めないわっ!」
「何を言うかと思ったら……何、それ? 下らな過ぎて、逆に笑えないわ」
殺し切れない怒りに、双葉の声が震える。
「第一、あんた血統至上主義者でしょ? だったら、皇族の称号や宮家の号も知ってるはずよね。そして、現在の天皇の皇太子である晃宮義興には双子の内親王がいて、その二人の名前は公開されていないけれど、称号は公開されているっていうことは知ってるでしょ?」
「……それが、どうしたって言うのよ」
憎々しげに呟く彼女に、双葉は呆れた。
「ここまで言っても分からないの? 本当に馬鹿だったのね、あんた。……私の称号は、『愛』と書いて愛宮。若葉の称号は、『仁』と書いて仁宮。この二つを合わせたら、『愛仁』になるでしょ? これは、私達のお父様とお母様が一生懸命考えて名付けてくれた、私達の名前よ。それに、確かに名字は作ったけど、名前の方は偽ってなんかないわ。……ほんと、馬鹿馬鹿しい。ここまで言わないと分かんないなんて。こんな奴に、若葉は殺され掛けたの?」
その言葉に、咲は弾かれたように立ち上がった。
「ちょっと、待ちなさいよ! 殺すなんて、そんなっ……!」
必死に縋り付いて来る手を振り払うと、双葉は冷たい目で咲を見下ろした。
「事実でしょ? どんな事情があったのかは若葉に訊かないと分からないけど、あんたが若葉を殺し掛けたのは事実。それ以外には何もないわ」
そう言うと、双葉は咲を振り払ってプールを出て行った。
早く帰って、両親にこのことを言わなければならない。
あの教師の怯えた様子からすると、由梨亜が気を回さない限り、家に連絡は行かないだろうから。
(続)