第一章「出逢い」―2
どことなく重い気持ちで親睦会へと足を運んだマリミアンだったが、すぐにそれはほとんど払拭された。
既に来ていた沙樹奈に、温かく迎えられたからだ。
「あら?」
沙樹奈はそう言って小首を傾げると、すぐに立ち上がった。
「貴女が、マリミアン・カナージェ・スウェールですね? 御初に御目に掛かりますわ。わたくしは花雲恭沙樹奈です」
「ええ。初めまして、沙樹奈王女殿下。宜しく御願い致しますわ」
マリミアンが簡単な挨拶を返した後、沙樹奈がそれに答える前に、続々と他の女性達も入って来た。
六人が揃って机に付き、侍女達がお茶の準備を終えて退場した後、一応最も身分の高い沙樹奈が口を開いた。
「さて……それでは、自己紹介から始めましょうか。わたくしは、第一王女、第四王位継承者の花雲恭沙樹奈ですわ。二十五歳です。峯慶御異母兄様と婚姻を結んだのちは、沙樹奈后と名乗る予定となっております。つまりは、后ですわね。どうか、宜しく御願い致しますわ」
沙樹奈はそう言うと、促すように、いかにも高慢ちきそうな様子で座っている豪奢で見事な金髪の巻き毛を持つ女性を窺った。
「ああ……次は、わたくしですのね」
その女性は、少し気怠げにお茶を口に含むと、ゆっくりと口を開いた。
「わたくしはミオメス国第三王女、ミアン・ストールですわ。ミオメス国では基本的に女性に王位継承権がないので、わたくしには王位継承権はありません。歳は二十四ですわ。王籍名は花雲恭深沙祇、妃となる予定です」
そしてそのまま、口を閉ざしてしまう。
その態度は、明らかに友好的ではなかった。
その目付きも、どこか他の女性達を敵対視しているようであった。
その中でも、特に――沙樹奈の辺りを。
そんな態度を取っているせいで、思わず場が白けてしまう。
何とかその場を和まそうと、マリミアンは小さく咳払いをして自己紹介を始めた。
「わ……わたくしは、官封貴族で戦祝大臣職を世襲しているスウェール家の次女、マリミアン・カナージェ・スウェールと申しますわ。歳は二十三歳になります。王籍名は由梨亜となり、妾となりますわ。これから長くなりますが、宜しく御願い致します」
丁寧に言ったマリミアンに、微かに場が和む。
続いて、マリミアンのちょうど向かいの辺りに座っていた女性が口を開いた。
「わたくしは、イニアス地方を治めている地封貴族、マーモット家の四女のカナザ・アリアン・マーモット、歳は二十五です。王籍名は莉未亜、最貴となる予定ですわ。宜しく御願い致します」
カナザは丁寧に言うと、軽く会釈して微笑んだ。
カナザは顔立ちが整っていて、美人と言うよりは可愛らしい。
だから、そんな様子がとてもよく様になっていた。
次に、沙樹奈から一歩下がった辺りに座っていた栗色の髪の女性が口を開いた。
「わたくしは、この後宮で中級侍女として勤めて参りました、リオネス・ミシェル・ザートと申します。歳は二十六です。峯慶王子殿下と婚姻を結んだ後は、紗羅瑳と名乗る予定です。そして、最侍となりますわ。これから宜しく御願い致します」
その挨拶に、沙樹奈は微笑んだ。
「ええ。リオネス。再従妹としても宜しく御願いね?」
その言葉に、ミアンはギュッと眉根を寄せ、マリミアンは目を瞠った。
「まあ。沙樹奈王女殿下とリオネス様は、再従姉妹だったのですか?」
「ええ。わたくしの母方の御祖父様とリオネスの父方の御祖母様は、異母兄妹なのですわ。また、そのリオネスの御祖母様は、のちに総下として出仕していらっしゃって、父方の御祖父様――あの偉大なる癒璃亜御祖母様の夫となった斑都御祖父様との間に子を身篭り、リオネスの御父様を御産みになられました。ですからわたくしにとってリオネスは、母方の再従姉であり父方の従姉でもあるのですわ。そして、リオネスにとってわたくしは、父方の再従妹であり従妹でもあります」
「まあ……前々から分かっていたことですが、血の繋がりが、やはり少々ややこしいですわね」
まだ自己紹介をしていない――恐らく最女となるだろう女性が呟くように言うと、沙樹奈は更に微笑んだ。
「あら? 実はこの話にはまだ続きがありまして、リオネスの御母様は、わたくしの御父様の花雲恭籐聯とは、王家の血筋で言えば再従姉弟なのです。ですから、わたくし達は三従姉妹でもありますわ。わたくしが詳しく把握しているのはここまでですが、他にも家系図を引っ張り出して探せば、恐らくはもっとあるのではないでしょうか? まあこれは、特にはマリミアンさんとも言えることでしょうけれど。何しろ、スウェール家は歴代の妾のおよそ半分を輩出した家ですからね。我が王家と、深い関わりがなければ可笑しいですわ」
沙樹奈はそう言うと、ころころと笑った。
「さて……ごめんなさいね、後回しにしてしまって。では、どうぞ?」
沙樹奈に話を振られて、微かに狼狽えながら女性は口を開いた。
「あ、は、はい……わたくしは、国学者の娘のミート・シューウェルと申します。歳は二十六です。王籍名は阿実亜となります。宜しく、御願い致します」
毎回最女には官吏や庶民の子女が選ばれているが、それでもそれは最女一人だけだ。
王侯貴族に囲まれて、居心地が悪いのだろう。
一応最女に選ばれるくらいだし、父親が国学者ということは、かなりの教育を受けてきているに違いない。
けれど、ここまで凄い人に囲まれることはなかったのだろうか、ガチガチに緊張している。
その様子を見て、マリミアンは思わず微かに笑った。
ミートのその様子は、マリミアンが初めて社交界の場に出た時の様子と類似していたのだ。
だから、思わず昔のことを思い出してしまった。
向こうの方が三歳も年上なのだが、とても緊張してしまっているので、とてもそうとは見えない。
マリミアンは、穏やかにミートに話し掛けた。
「御父上様が、国学者と仰いましたよね? ミート様の御父上様は、一体どんな分野の御研究をなされているのですか?」
突然話し掛けられて、ミートは目を白黒させながら答えた。
「え、はい……わたくしも、そこまで詳しく把握している訳ではありませんが、確か王家の歴史や伝統文化などを研究しているとか……」
「まあ、王族のことを?」
「はい」
それに、沙樹奈が感心したように言った。
「ああ、それで先程、あのようなことを仰ったのですね? それにしても、王族のことを、ですか……それはそれは、学者の中でも素晴らしい権威の方なのでしょうね。花雲恭家は、どちらかと言えば閉鎖的な王家ですし、王家はあっても立憲君主制を執っていますし……余程の方でないと、そもそも『研究』などできませんもの」
「そうですわねぇ。わたくしも、それは同感ですわ。もう歴史となっているくらいの昔のことならば、少し規制は緩いようですけれど……それは、本当なのかしら?」
マリミアンが首を傾げると、ミートはこくりと頷いた。
「はい。父も、そのことで度々頭を悩ませていたようです。研究をしていて分からないところがあっても、それが規制に触れて研究が終わってしまうことも御座いますから。まあ、父は『仕方がない』と笑っていましたけれど」
「笑って、って……それは、笑うことなのかしら?」
カナザは訝しげに首を傾げた。
「さあ、どうなのでしょう……ですが、明らかにしてもよいものと明らかにされてはならぬものがありますから、それで宜しいのではないでしょうか? 父もそれほど気にしてはおりませんもの。それに、研究ができなくなれば学者生命が終わりという訳でも御座いませんし。新たな分野を開拓するよりは、今まで明らかになったことを組み合わせて新たな事実を発見する方が、学術会では余程重要なのですわ。発見して、それで終わりとなっては、明らかにした意味が御座いませんもの」
「まあ、確かにそうですけれど……わたくし、知りませんでしたわ。そんなに難しい規制があるなんて。わたくし、この後宮で生まれ育ったもので、あまり外のことについて詳しくないのです」
リオネスが目を瞠って言うと、沙樹奈はそれに苦笑した。
「あら、リオネス。それを言うなら、わたくしはどうなの? リオネスよりもわたくしの方が、箱入りの御嬢様だわ」
「あら、沙樹奈殿下。それを言うのならば、箱入りの御姫様ですわ。沙樹奈殿下は、正真正銘の姫君であらせられるのですから」
「まあ。それを言うのならば、リオネスだって御姫様だわ。王女としてのわたくしとは、最低でも従姉妹と三従姉妹の血の繋がりがあるのだから」
「いいえ。沙樹奈殿下。わたくしには王位継承権は御座いませんし、王家の者として認められるのはこれからで、しかもそれは王子殿下の妻、最侍としてですわ」
リオネスの堅苦しい言葉に、沙樹奈は堪らずに吹き出す。
最初は緊張した空気が漂っていたが、だんだんと和やかな空気になってきた。
だが、しかし。
マリミアンは、ちらりとミアンの様子を窺った。
ミアンを除けば、皆気さくな人達で、これから諍わずに仲良くやっていけそうな気がする。
けれど、ミアンは他国の王族だからか、とても気位が高く見える。
有体に言えば、『高慢ちき』という言葉を擬人化したような人物だ。
はっきり言って、他の人達とは真逆の人間なのだ。
もっと言うならば、自分がちやほやされるのが当然と考えているかのような。
先程の会話にも一言も参加していない上に、沙樹奈やリオネスを強く睨み付けていて、何故誰も自分に何も言ってこないのか、憤っている様子でもある。
会話に参加して来ないのと、ミアンに誰も話し掛けないのを憤るのは、やはり性格上の問題だからと(無理矢理でも)納得できるが、沙樹奈とリオネスを睨み付けるのは、とてもではないが納得できない。
沙樹奈だけならば、何となく理由も分かるのだ。
例えば、昔からの慣習のせいで、自分が后になれずに妃止まりになってしまったとか。
他国の王族では、花鴬国のように六段階の妻の身分があるというのは珍しい。
多くても、精々后、妃、妾で、大抵の所は后だけなのだ。
確か彼女の生国のミオメス国は、王の第一の妻である妃、もしくは正妃と、それ以外の妾だけだった気がする。
だから、王族である自分が、ミオメス国で言う妾の身分に甘んじることが許せないのだろう。
けれど、それならば何故リオネスも睨んでいるのか。
それが、全く分からない。
もしリオネスにも王位継承権があったり、ミアンよりも地位が高かったりしたら、それは何となく理解できる。
けれど、リオネスには王位継承権はないし、ミアンが第二位の妃の地位になるのに比べ、リオネスは第五位の最侍なのである。
第三位の妾となるマリミアンや第四位の最貴となるカナザよりも王家の血は濃いが、社会的に見た地位は貴族と同等か、それよりも僅かに低い。
何しろ『総下』という地位は、后達とは違って、公に認められた王の妻としての地位ではないのだ。
花鴬国以外の国で言えば、それこそ妾や愛人のような存在だ。
いくら昔から続く制度だとしても、あまり公に認められる存在ではない。
マリミアンは、ふと思った。
もしかしたら、それこそがリオネスを睨んでいる原因なのだろうか。
一応花鴬国では、后・妃・妾・最貴・最侍・最女・総下という序列は設けられているものの、総下以外の地位にはそれほど意味がないのだ。
一応何の地位にいるかによって与えられる部屋は違うが、一年で割り当てられる助成費などの王室費は変わらないし、産まれた子供の王位継承権だって、男女母親関係なく、単純に産まれた順なのだ。
だから、最女が第一王位継承者を産むことも、后が最下位の第十五王位継承者を産むことも、この国では全く珍しいことではない。
けれど、聞いた話によると、ミオメス国では全く違うらしい。
妾の子にも王位継承権は与えられるものの、正妃の子の方が王位継承権は高く、そして妾の中でも、母親の身分が高い方が王位継承権は高く、身分の低い方が王位継承権も低い。
つまり、兄弟が産まれるたびに王位継承権が下がるということがあり得る、マリミアンにしてみたらちょっとあり得ない制度を持つ国なのだ。
そして、女子には王位継承権がない。
王室のあり方としては花鴬国とあまり変わらないものの、それ以外のところでは真逆の慣習を持つ国の王女から見れば、親しみにくいところは多々あるだろう。
けれど、それにしてもこの仏頂面は、何とかならないのだろうか。
そんな顔をして、そんな態度を取っていたら、こちらも声を掛けにくいし、第一敵対視しているようなその視線を向けられては、仲良くやっていけようもない。
マリミアンは、そっと気付かれないように溜息をついた。
峯慶や沙樹奈達との最高の出逢いと、従姉妹達との少し辛い再会と、ミアンとの不安な出会い。
これから、ちゃんとやっていけるかどうか、マリミアンは不安でならなかった。
最も、これは他の人も同じだろうけれど。