―『オネエサマ』と私―1
番外編~総ての始まりの、始まり~の第四章から終章にかけて登場した、富実樹と千紗の入れ替えを行った癒璃亜の異母妹ミーシャが主人公の話です。
大きな会場には、大勢の人が――それも、二十代前半頃の若者達が集まっていた。
彼女は、一つ深呼吸をすると、彼らの前に歩み出る。
できるだけ威厳を保つように、立派に見えるように、心掛けつつ。
拡声器を通して、彼女の声が、会場に響き渡る。
『皆さん、初めまして。わたくしは、花鴬省特別統括官の、ミーシャ・ブルーノと申します。本日は、皆様方、官僚の卵の先輩として、激励を行う為に参りました。どうぞ、宜しくお願い致します』
ミーシャは、ふうと溜息をついた。
その様子を見た同僚のダリア・フィオーレは、思わず吹き出す。
「ちょっと、ミーシャ。何ぐったりしてるの?」
「そりゃあ、あんだけ心にもないこと延々と喋らされたらね……」
その顔に浮かんでいるのは、うんざりとした表情だけだ。
「ま、エリートさんは違うからねえ。私みたいに、一般から回されて来た人と違って」
その言葉に、ミーシャは本気で顔を顰める。
「やめてよ、冗談じゃない。私はただ、持って生まれた魔力があったというだけの話よ。第一、私が十二歳で花鴬省直属の鴬学校に入学したのだって、あそこが全寮制で、将来花鴬省に入省さえすればずっとこっちの面倒見てくれるからよ」
「だから~、大抵の人には、その前提条件である、鴬学校の入学試験を潜り抜けることもできないんだってば! あそこで魔力のあるなしと強弱を篩い分けるんだから、私みたいにちょっとしか魔力がないと、入学もできないのよ?」
ダリアが口を尖らせて言うと、その隣にいたシャノン・ハリソンも便乗した。
「そうよお。でも、どうして統括官様は、そんなに早く親元を離れたかったの? そんなに嫌いだった?」
「違うわよ。って言うか、その『統括官様』っていうの、何回言ったらやめてくれるの?」
「そんなことはどうでもいいから、質問に答えてよ!」
シャノンに詰め寄られて、ミーシャは溜息をついて言った。
「私の母は、私が実家にいるってだけで、家に縛り付けられていたの。私が自立すれば、母は自由になれたのよ。鴬学校は全寮制だし、基本的に内部進学だし、黙って試験に合格さえすれば、卒業と同時に花鴬省に入省できるし……。正直、金銭問題を除けば、もう親に頼らなくても大丈夫でしょう? だから、私が鴬学校に入学することによって、母を自由にしてあげたかったのよ」
その淡々とした言葉に、シャノンは顔を引き攣らせた。
「へ、へ~……何か、壮大ねぇ……。でも、そうだったら貴女のお父さん、お母さんに執着とかってなかったの?」
「いいえ? 元々愛人扱いだったし、正直、母も私も存在を認識されていたかどうかも怪しいわ。だから、そのこと自体に問題はないのよ。第一、私だって庶子だったし、財産分与権もなかったから、あそこにいる意味自体がないの。……異父妹だって、産まれたし」
「異父妹っ?! ……って、え?」
やけに大袈裟な声を上げたダリアに、ミーシャは溜息をついて言った。
「私が十四になった時、母が官吏と結婚してね。第二妻になったの。母はその時三十九歳。その六年後に子供を産んで、今は五十三歳。異父妹は八歳ね」
「うっわあ……複雑ねぇ……」
ダリアは、シャノンと同じく顔を引き攣らせる。
「そうかしら? でも、私の父方の血筋の方が、もっと複雑よ。私も、何が何やら、何がどこでどう繋がっているのか、全く分からないもの」
すると、シャノンが下唇に人差し指を当て、首を傾げながら言った。
「ねえ、ミーシャ。貴女、もしかして――」
「失礼致します」
突然割り込んで来た女性の声に、控え室でくつろいでいた三人は、一斉に扉へ顔を向ける。
そこには、後宮の方か王宮の方かは分からないが、中級侍女らしき制服を着た侍女の姿があった。
「どうかなさいました?」
ミーシャが訊ねると、
「陛下が御越しになります故、御準備を」
ただそう言われて頭を下げられても、正直困る。
ミーシャがただ困惑しているうちに、その『陛下』が来てしまった。
「ごめん下さいなさいな、御邪魔致しますわ」
そう言って入って来た人は、揺らめく長い黒髪に、ロイヤルパープルの瞳を持つ、三十そこそこの美人だった。
「初めまして。このような所にまで御越し下さり、恐悦至極に御座います、陛下」
ミーシャは立ち上がると、そう言って綺麗に頭を下げた。
その様子を見て、慌ててダリアとシャノンも立ち上がって頭を下げる。
「まあ、そこまで堅苦しくなさらないで宜しいのよ? どうぞ、御寛ぎ下さいな」
そう、癒璃亜女王に声を掛けられて、三人は頭を上げる。
彼女達は、数年前にこの花鴬国の王となった、花雲恭癒璃亜と会うことこそ初めてだが、花鴬省はその職業柄、王族とかなり関わって来ている。
そもそも、ミーシャの直属の上司である鴬大臣は、この花雲恭癒璃亜の異母弟なのだ。
そういう意味では、それなりに親しくしていても可笑しくはない人物だということになる。
「初めまして、陛下。わたくしは、花鴬省特別統括官ミーシャ・ブルーノと申します」
ミーシャに続いて、慌ててダリアとシャノンも自己紹介をする。
癒璃亜は三人にそれぞれ笑い掛けると、立ったままミーシャに声を掛けた。
「初めまして、ブルーノ統括官。花雲恭癒璃亜です。本日の御挨拶、御聞きしました」
「まあ、わたくしなどの言葉を御聞き下さったのですか?」
ミーシャが思わず目を瞠ると、
「ええ。貴女は、史上最年少で特別統括官に御成り遊ばした御方ですもの。以前から、少し興味が御座いましたの」
「そんな、わたくしなど、陛下に比べれば何程でもありません。もし陛下が王ではなく花鴬省に入省致しておりましたら、わたくしなどよりも余程早く統括官になられていらっしゃったでしょうに」
ミーシャは、謙遜ではなくそう言った。
事実、その言葉に嘘偽りはない。
この若き女王は、全ての魔族の力を持っている上にそれを自在に使いこなせる、前代未聞の人物なのだから。
「まあ、ありがとうございます。ですが、わたくしの力は、どこかが突出している訳ではありませんから……。ブルーノ統括官は、魔力の統括官なのでしたよね?」
花鴬省の統括官は三人いる。
魔族の体力、魔族の知能、そして魔族の異能――魔法。
花鴬省に入省する者の大半は、そう言った能力に長けている。
ミーシャは、魔族の知能と魔力の、二つの力を持っていた。
だが、知能の方は平均的な力程度であり、魔力の方は他の者よりもかなり抜きん出ている。
ミーシャが魔力の統括官に就いているのは、当然のことであった。
まあ、対外的には花鴬国は魔族の力を認めていないので、曖昧にぼかして『特別』統括官という役職になっているが。
「はい。確かに、わたくしは魔力の統括官ではあります。ですが、わたくしなど、陛下にはとても及びませぬ」
ミーシャがそう言って首を振ると、何が面白いのか、ころころと笑われた。
……彼女は一体、何がしたいのだろうか。
ミーシャが怪訝気に癒璃亜を見詰めると、
「わたくし、少し貴女と御話ししたいことがありますのですが、今週末の土曜日、御時間は空いておりますか?」
「え、ええ……大丈夫です」
「それでは、土曜日の正午過ぎに、貴女の執務室に伺いますわ」
「はい、了解致しました。御待ち申し上げております」
ミーシャがそう言って頭を下げると、癒璃亜は控え室を出て行った。
「…………結局、陛下って何しにいらしたの?」
ダリアは、癒璃亜が立ち去ってしばらく経った後に、掠れた声で呟いた。
「結局、ミーシャの所を訪ねるよおっていうアポだったんじゃない? んまあ、本人が来る意味が分かんないけど」
シャノンはそう言うと、ちろんとミーシャを見上げた。
「ねえ? ミーシャ。さっき言い掛けたんだけどお」
「何?」
「さっきの、貴女のオネエサマ、よね?」
その言葉に、ミーシャは渋面を作る。
ダリアは、きょとんと目を瞬かせた。
「え……どういうこと?」
「どういうも何も、そういうことでしょお? お母さんは愛人で、子供がいるから、その子が自立するまで父親の家に縛り付けられる。しかも、当の父親もミーシャ達の存在を知ってるか怪しい。でも、金銭的にはある程度の余裕があって、父方の血筋は複雑怪奇。そうなったら、ミーシャは先王陛下の娘で、お母さんは元総下って考えた方が自然じゃなあい? 後宮の侍女っても考えられるけど、後宮の侍女が結婚するのは、侍従相手以外だと難しいみたいだし……」
その説明で、シャロンはだんだんと事情が呑み込めてきたのか、どんどんと顔色が悪くなる。
「え……え? ちょ、ちょっと待って。ミーシャが、先王陛下の――襖祥王の、娘? ……ってことは、もしかして、陛下って――」
「……私の、腹違いの姉よ」
ミーシャは吐き捨てると、シャロンが口を挟む間もなく告げた。
「でも、向こうは私のことなんて知らないわ。知ってるのは、私が特別統括官だってことだけ。……こんなのでも姉妹って言えるのなら、確かに姉妹なんでしょうね。ただ、血の繋がりだけしかない、何とも虚しい姉妹関係だけど」
「ふ~ん、やっぱそうだったのねえ……。でも、何でミーシャは後宮に留まらなかったの? 総下の子供って、普通は侍女か侍従になるんでしょ? それなのに、わざわざ花鴬省に入って……」
ミーシャは、シャロンが触れて欲しくないところに触れなかったことにほっとしながら、憮然と言った。
「前にも言ったでしょ? 自立したかったって。母を縛り付けたくなかったって。……それに、あんな所に縛り付けられたくなかったのは、私だって同じよ。どうせ、私の母は庶民出だったから、侍女になったとしても下級侍女だし……」
ミーシャは溜息をついて言うと、不意に小さく笑った。
「でもまあ、感謝はしているのよ? もし先王陛下がいらっしゃらなければ、私は産まれていなかったし、十二歳になるまでの間に小中学校レベルの教育は受けられたし、鴬学校の学費だって払ってくれてたもの」
「……それって、親なら普通じゃない?」
ダリアの呟いた言葉に、ミーシャは目を瞬かせて答えた。
「私、実の父親への感謝って、私自身が産まれたってことぐらいしか感謝してないわよ? それどころか、どうして母に私を産ませたのかって、恨んだこともあるわ。私が感謝しているのは、後宮で産まれた子供への援助をしてくれる、その後宮制度よ。……それにしても、シャロン。何でそんなに総下について詳しいの?」
すると、シャロンは――何故か、悔しそうに唇を噛み締めた。
「聞いてくれるっ?! ミーシャ! あのね、私だって、総下に立候補したのよ! 二十一になった時に! 私、自分の美貌には自信があったから、総下になって、上手く貴族の妻に収まろうって思ってたのよ! でも、あんの堅物王子がっ……!」
そのシャロンの剣幕に、思わずミーシャは遠い目をした。
「ああ……シャロンって、二十四だったわね……」
およそ四年前、この首都シャンクランで流行り病が起こった。
その病は新種のウイルスによるもので、更には致死率も四十パーセントと、ここ最近のウイルスが原因の病の中では酷く高かった。
何とかそのウイルスに効く薬やワクチンを開発し、病を終息させることはできたものの、その間に当時の国王であった花雲恭襖祥までもが亡くなってしまった。
おまけに、その襖祥の第一王子であった、王太子の花雲恭皇蓮までもが亡くなってしまったのだ。
当時、彼は二十五歳で、翌年に結婚を控えてさえもいた。
もし、彼のすぐ下の異母弟妹が男であれば、その妻達はその異母弟に引き継がれていただろう。
けれど、彼のすぐ下にいたのは、一歳年下の異母妹、元々は皇蓮の后になるはずであった、花雲恭癒璃亜だった。
そこで、急遽彼女は二十四歳で即位し、同い年の異母弟である花雲恭斑都と結婚したのだ。
現在、癒璃亜と斑都の間には、第一王子である二歳の花雲恭籐聯が産まれている。
それはともかく、シャロンが総下に立候補した三年前、総下の相手となるのは襖祥ではなく斑都だった。
ミーシャは、思わず遠い目をする。
確かに、花雲恭襖祥は、自分の実の父親ではあるが……。
「先王陛下って、何て言うか――言っちゃあ悪いけど、女好きだったからね。確かに先王陛下だったら、シャロンを選んだに違いないわ。でも、斑都殿下って――」
「そう! あのシスコンで奥さん大好き男! 折角この私が行ってあげたのに、
『君みたいに綺麗で頭のいい人だったら、実力でも生きていけるだろう? 私は、総下を選んでも通う気はないし、君だって後宮で無為に時を過ごしたくないだろう』
とか何とか言っちゃって! かっこよく聞こえるけどただのヘタレよ! 据え膳食わないなんてっ! ああいう奴に限って、ふらっと来てうっかり女に手ぇ付けて、それであっさり子供できちゃうんだからっ! ああもう! これで私の人生設計はパアになっちゃったんだからね?! ミーシャのオニイサマのせいで!」
その言い掛かりに、ミーシャは目を剥いた。
「はあっ?! ちょっと、確かに血は繋がってるけど、会ったことも話したこともないのよっ?! 勝手に責任なすりつけないでよ!」
「それでも兄妹は兄妹でしょっ!」
シャロンがいきなり飛び掛かって来たのをミーシャは何とか避けたが、シャロンはそのままの勢いで、ずっと固まっていたダリアに正面衝突してしまう。
すると、何故かシャロンの矛先がダリアに向かった。
二人がぎゃあぎゃあ言い合っている隙に、ミーシャはこっそりと控え室を出る。
これ以上、自分のペースを乱されたくはなかった。
ミーシャは、小さく息をついた。
(続)