第五章「最後の秘密」―3
「彩音さん!」
「うわっ! ちょ、顔! 顔、近い!」
「あ、ごめんなさい」
由梨亜はぱっと顔を離したが、真剣な顔でまた詰め寄った。
「彩音さん、貴女、東京に何回も行ってたわよね。あれって、並樹笈の情報を集める為だったの?」
「え、うん。それと、笈にやられて泣き寝入りした庶民の人達の後援人を引き受けてもらう為に、ちょっと。でも、それが?」
すると、由梨亜は少し頬を赤らめ、目線をうろうろと彷徨わせながら口籠った。
「えっと、その……あの、でも、理由は分かったけど、その……そういうことは、やっちゃいけないと思うのよね。その、何て言うか……」
「へ? 何のこと?」
千紗は、きょとんと目を瞬かせた。
由梨亜が何のことを言っているのか、さっぱり意味が分からなかった。
「え、ちょっと、何のことって……しらばっくれる気? 確かに、犯罪かも知れないけれど、そういうのって良くないと思うわ」
何故か、剣呑な雰囲気になる由梨亜に、千紗はただぽかんとした。
そのうちに、眞祥が由梨亜の言わんとしていることに気が付いたのか、手をぽんと打った後に大爆笑に陥った。
「え? ちょっと、眞祥?」
「東風上さん。笑いごとじゃなくってよ?」
益々眦をきつくする由梨亜に、眞祥は笑いを堪えながら何とか答えた。
「あ、いや……別に、馬鹿にする気じゃなかったんだけど、さ……クク、や、ちょっと……まあ、当たり前の発想だとは思うぞ? でも、それが千紗だと思うと……ク、ごめん、ちょっと笑いが……」
「は? あたしが、何?」
「や、だって、色気も何もない、ちんちくりんなお前だぞ? ちょっと、あり得なさ過ぎるって言うか……」
笑い続ける眞祥に、今度は千紗が剣呑な雰囲気になる。
「ちょっと眞祥。はっきり答えてよ。あたしが、何?」
「――売春、してたんじゃないの?」
笑い続けて答えられない眞祥に代わって、由梨亜が千紗を睨みながら言う。
千紗は、しばらくぽかんと口を開けて絶句した後に、呆然と呟いた。
「……………………誰が、何だって?」
「だから、貴女が、売春していたんじゃないかって言ってるの」
「してないよっ! 何、それっ! だって犯罪じゃん! わざわざ相手に付け入る隙を与えてどうすんの?! あり得ないし!」
千紗の絶叫に、由梨亜は思わず怯んで目を泳がせた。
「…………確かに、言われてみればそうね……」
「そうだよっ! それにあたし、そんなに馬鹿じゃないからね! 第一小学生の売春なんて、特殊な趣味の人間しか引っ掛けらんないじゃん! 効率悪過ぎ!」
千紗はどんとテーブルを叩いて力説した。
「千紗、紅茶が零れる」
……斜め後ろから、やや怨念掛かった声が掛かり、千紗は大人しく座った。
「……それで、本当は何をやってた訳?」
由梨亜も、眞祥の怨念に怖れをなしたのか、大人しく紅茶をすすりながら千紗に訊ねる。
「ん? 思春期の子供に関する相談。まあ、あたしよりもちっちゃい子のお父さんもいたけど」
「…………相談?」
由梨亜の目が点になる。
「うん。やっぱりさあ、お父さんってお母さんよりも、思春期の子供との距離感が難しいらしくってさ。あたしは小学生だけど、何とな~く中高生が父親を嫌がる気持ちも分かるし? だから、そういう相談に乗ったり、プレゼント選ぶの手伝ったり? 報酬は、並樹笈の情報とか、後援役の引き受けとか、あとここから東京までの往復の交通費とお昼代。正直、貴族の人達にとっちゃあ、カウンセリング代としては安かったと思うよ? あたしにとっても、ちょっとしたお小遣い稼ぎにもなったしね」
「何だ、そういうことだったのね……心配して損したわ。私、恭興小父様の家庭が壊れるかもって冷や冷やしたんだから」
由梨亜はそう言って、大袈裟なほどに深い溜息をつく。
余程心配だったのだろう。
「そんなの、別に心配しなくても良かったのに。むしろあたしがやってたのって、逆に関係修復だよ? それに、犯罪を密告するのに犯罪をやっちゃあ元も子もないじゃん?」
唇を尖らせる千紗に、由梨亜は眉根を寄せて頬を膨らました。
「だから、それが分からなかったのよ、最初は! 貴女が咲にいじめられてるのは分かってたけど、まさか、貴女のお父様が咲の父親に殺されていたなんて、思わなかったんだもの」
その言葉に、眞祥は同意するように頷いた。
「まあ、確かに本条さんの言うことに一理あるな。事情が分からないんじゃあ、疑われてもしょうがない。しかも、またお前が『中高生の方がいい』なんて紛らわしい言い方をするから……」
「え? だってそうじゃん。あの人達、思春期の子供に悩んでるからあたしに相談するんだよ? だったら、できるだけ歳が近い方が分かりやすいじゃん」
千紗が頬を膨らませると、背後から声が掛かった。
「あらあら、楽しそうね。何を話してるの?」
千紗はぱっと振り返ると、驚いたように目を瞠りながら、嬉しげにはしゃいだ声を上げた。
「お母さん! いつの間に帰ってたの?」
「いつの間にって、たった今よ? 二人とも、ご飯も食べないでどうしたの? それに、その子は誰?」
その言葉に、由梨亜は慌てて立ち上がって頭を下げた。
「お、お邪魔しております。私、本条由梨亜です。あの……彩音さんの、お母様ですか?」
「ええ。そうよ。初めまして、千紗の母で彩音眞弥です。……それにしても、礼儀正しいわねえ、由梨亜ちゃん。千紗も眞祥も、乱暴って言うか、ガサツって言うか……」
そう言って溜息をつく眞弥に、即座に千紗が反論した。
「ちょっとお母さん! ガサツって何?! あたし、そんな乱暴でもないからね!」
「そうだよ姉さん。千紗はともかく俺はちゃんと礼儀をわきまえてる!」
「あ~ら、どうかしらねぇ。眞祥、あんたが綺麗じゃない子には口も利かないこと、姉さん充分に分かってるんだからね?」
悪戯っぽく笑って頬をつついて来る姉に、眞祥は頬を赤くした。
「ぐっ……ど、どうせ、この世は見た目で決まるんだよ!」
「そんなのもてる奴の言い分だよ! 見た目で無視されるとか、ほんとあり得ないし!」
わいわいと言い合いを始める三人を、由梨亜はただただ目を丸くして見詰めていた。
由梨亜の家だって、勿論家族は仲がいい。
でも、こんなに騒ぐなんて覚えがない。
(こういうのも、ありなんだ)
由梨亜は、ただ驚いていた。
「は? そんなの僻みだろ? ただの」
「く~っ! むかつく! お母さんも何か言ってよ!」
「え? でもねぇ……。二人とも、どっちもどっちだわ。そもそも論点ずれていない?」
「……まあ、そうだけどさあ……」
千紗がムスッと膨れると、眞祥がはっと気が付いたように手を打った。
「そもそも、俺らの礼儀が悪いって、千紗を育てたの姉さんじゃねえか! しかも、その姉さんを育てた母さんに俺は育てられた訳だろ? っつうことは、結果的に母さんの育て方が悪かったってことじゃねえか!」
「え? お祖母ちゃんの? ……う~ん、あたしには、そうは思えないけど……。ただ単に、眞祥の性格が悪いだけなんじゃない?」
「何だと?」
二人が顔を寄せて睨み合っていると、
「ああ、もうやめなさい、千紗、眞祥。そんなことで喧嘩したってどうにもならないでしょ?」
眞弥は溜息をつきながら言うと、ふと思い出したように言った。
「あ、忘れていたわ」
「何が?」
「お父さん、見付かったんですって」
「マジかよ!」
いきなり眞祥は立ち上がって、眞弥に詰め寄った。
「母さん、や~っと父さんを見付けたのか?! んで、どこにいたんだ? 父さん」
「いや~、灯台元暗しって言うのか、静岡にいたのよ」
その言葉に、千紗も眞祥も重く沈黙する。
そして、何とか千紗が言葉を絞り出した。
「…………何で静岡なの? 静岡って、紅茶って言うよりも緑茶ってイメージが強いんだけど……」
「いや、強いって言うか、静岡と言ったら緑茶だろ?」
さすがに口を挟むことはできなかったが、由梨亜も興味津々に眞弥を見詰める。
「うん。でも、どうせ紅茶も緑茶も同じ木からできてるでしょ? 発酵方法が違うだけだから、紅茶も細々と作ってるみたいで……。でも、お父さんの言い分も振るっているのよね。何でも、日本で産まれた男を弔う為にはやっぱり日本の物が一番だって言うのよ」
「だったら最初っから緑茶をやればいいじゃん」
「…………千紗、お前だって知ってるだろう? 父さんの紅茶に対するあの執着心。それにしても、日本か……。正直、インドとか中華州とか、裏を掻いてヨーロッパ辺りにいるかと思った……」
眞祥の言葉に、千紗は若干目を逸らしながら曖昧に頷いた。
「うん、まあ……あたしも、そう思ってたけど……。あ、お母さん。お祖父ちゃんが見付かったってことは、眞祥、帰っちゃうの?」
その少し淋しそうな様子に、由梨亜は思わず目を瞬いた。
彼女がそんな様子を見せるなんて、少し意外だったのだ。
「ううん、まだよ。何か、お母さんが張り切っちゃってねぇ……。どうあってもお父さんを矯正する気らしいのよ。それから、まあ、色々とお灸を据えるつもりらしいし……。何かね、小学校を卒業するまでは、眞祥を預かっててって頼まれちゃったわ」
眞弥はそう言って肩を竦めると、由梨亜に向かって言った。
「あ、ごめんなさいね、内輪で盛り上がっちゃって」
「え、いえ、別に、大丈夫です。それに、聞いているだけでも楽しかったですし……」
「そう? ありがとう。でも、もうそろそろ七時半になるわよ? おうちの方は大丈夫なの?」
「はい。先程、父に『帰る時に連絡する』と電話を入れたので……」
「それでも、女の子が遅くまで帰らないのは良くないわ。小母さんが送ってあげるから」
その発言に、由梨亜は驚いて手と首を同時に振る。
「え、いえ! 結構です! 一人で帰れますから……!」
「遠慮しないでよ。それに、もうこんなに暗いんだから。女の子の一人歩きは危険よ? じゃあ、ちょっと車取りに行くから待っててね。あ、眞祥、あんたご飯作っておいて頂戴。あと、千紗は――」
「あ、あたしも付いてく!」
「そう? じゃあ、取って来るわね」
眞弥がそう言って家を出て行くと、途端に眞祥が不満いっぱいの顔付きでこちらを睨んで来る。
どうやら、自分だけに用事が言い渡されたのが気に食わないようだ。
千紗は、慌てて由梨亜を急き立てた。
「あ、ほら、行こう! 外で待ってれば、その分早く帰れるじゃん!」
「あ、ちょっと待って。連絡入れるから」
由梨亜はそう言うと、今度は千紗の家の端末から、先程と同じようにして連絡を入れた。
そして、こちらを睨みつけて来る眞祥に向かって、にっこりと笑い掛ける。
「じゃあ、また来週ね。ご飯、頑張って作ってね? 東風上さん」
「…………てめぇ」
由梨亜は千紗と視線を見交わすと、眞祥が爆発する前に急いで外に出る。
少し息を切らしながら、互いに顔を見合わせて笑った。
やがて、車を取りに行っていた眞弥が戻って来る。
車に乗り込む前に、千紗は涙を指で拭いながら言った。
「あ、ねえ」
「何?」
「好い加減、名字呼びやめにしない? 何か、疎外感あるんだよね。距離を取られてるって言うか、淋しいって言うか。だから、あたしのことは『彩音さん』じゃなくって『千紗』って呼んで。眞祥も、『東風上さん』って呼ばれるよりは『眞祥』って呼ばれる方がしっくりくるだろうし」
その言葉に、由梨亜は少しきょとんとして――笑顔で頷いた。
「ええ。分かったわ。千紗。じゃあ、千紗の方も、私のことを『由梨亜』って、名前で呼んで? 『あんた』とか『お嬢様』って言うのは、ちょっと淋しいの」
由梨亜が千紗を真似て言い、悪戯っぽく微笑むと、千紗は吹き出しながら頷いた。
「うん、分かったよ。由梨亜! じゃあ、帰ったら眞祥にも伝えておくね?」
「ええ、お願い」
「ちょっと、二人とも? 乗らないの?」
訝しげに眞弥に問い掛けられて、慌てて二人は車に乗り込んだ。
由梨亜が自分の家の住所を伝えると、すぐに車は動き出す。
すっかり暗くなった道は、交通量の少ない田舎らしく街灯もまばらで、何だかとても新鮮だ。
「ねえ、千紗……」
「何?」
「これから、宜しくね?」
由梨亜がそう言ってにっこりと笑うと、千紗がにやりと笑い返して来た。
「こっちこそ、由梨亜! ……そう言えばさ、」
「何?」
「今日遅れたこと……どうやって言い訳するの?」
途端に、由梨亜の顔がぴしりと固まった。
「今日、もう遅いしさあ……。あたし、一緒に言い訳できないから、一人で頑張ってね?」
由梨亜はしばらく固まっていたが、ふと思い付いて手を叩いた。
「あ、今日は駄目なのね? じゃあ、明日迎えに行くから!」
「はっ?!」
何やら身の危険を感じ、千紗は身を引く。
由梨亜は、目を爛々と光らせながら身を乗り出した。
「私、言い訳は明日するわ。明日、貴女と眞祥と一緒に、ね」
「はあっ?! ちょっと、こっちまで巻き込む気っ?!」
「あら? そっちの都合に付き合わされたのは、私の方が最初よ? だったら、私にもその権利があるとは思わない?」
「……そっちだって、楽しんでたくせに……」
「あら? 何か、言ったかしら?」
妙に威圧感のある由梨亜に、千紗は思わず目を逸らす。
その二人の様子を感じて、運転席の眞弥が吹き出した。
「何だか貴女達、面白いわねえ。漫才できるんじゃない?」
「誰がっ!!」
「ちょっと小母様! 私達、そんなつもりでやってるんじゃありません!」
「ほら、息ぴったり」
軽やかに笑われて、二人は途端にむすくれる。
「ほら、また」
重ねて言われて、千紗が思わず身を乗り出した。
「ちょっとお母さん!」
「あ、ごめんね」
途端に眞弥が急ブレーキを掛け、千紗は危うく前の座席に転がり掛けた。
「ちょっと千紗、大丈夫?」
「うぐ~……。お母さん! 何っで急ブレーキ掛けんのっ?! 自動運転にしてなかった訳っ?!」
千紗がキッと眞弥を睨み上げると、眞弥は唇を尖らせた。
「え~、だって、気付いたら目的地だったし、それに同じ町内だったんだもん」
「『もん』ってお母さん、いくつなのよ……」
「え? 今年で三十だけど? いいじゃない、若い母親って。お母さんが小五の時、お祖母ちゃんはもう三十代の後半だったのよ? 十歳近くも違うじゃない」
「だからってさあ……」
千紗はぶつぶつと呟きながら、額をさする。
どうやらぶつけてしまったようだ。
由梨亜は親子二人の様子を、笑いを堪えながら見て、立ち上がった。
もう、ここは自分の屋敷と目と鼻の先だ。
さすがに正面に付けたら目立つだろうから、由梨亜は少しほっとする。
それに、眞弥はこの屋敷を見ているはずなのに、全く動揺した様子がない。
初対面の時の千紗の反応からすると、どうやら眞弥は随分と胆が座っているようだ。
「小母様、ありがとうございました」
「いいえ、どう致しまして」
眞弥はそう言って、にっこりと笑う。
今年で三十と言っていたから、恐らく今の眞弥の年齢は二十九歳か三十歳だろう。
同年代の他の人と比べると、まだ結婚していない人も随分といるだろう。
だからか、自分の母親や他の知っている母親よりも、かなり新鮮な気がした。
由梨亜は、まだむすっとしている千紗を覗き込む。
「じゃあ、千紗。またね」
返事がないことも覚悟していたが、
「…………うん、また明日」
そう返事が返って来て、由梨亜は思わず笑ってしまった。
また明日、と言うことは、千紗は明日、一緒に言い訳をすることを受け入れたのだ。
実に素直と言うか、裏がないと言うか――。
由梨亜は、笑いを堪えることができなかった。
初めてこちらの学校に通った時は、最悪だと思ったこの転校だが、こうしてみると悪くない。
むしろ、最高だ。
多分、彼女とは一生付き合える友人になれるだろう。
そう思うと、何故か足取りも弾んで来る。
今日は、本当に最高の一日だった。
また明日も、明後日も、そして多分、また来年も、再来年も、ずっとずっと――こうした日々が、ずっと続けばいい。
ただ、そう思った。