第五章「最後の秘密」―2
千紗は、心の中で深い溜息をつきながら家に入った。
勿論、ようやく父の復讐が果たされることとなるのだと思うと、安堵感や喜びも込み上げて来る。
しかし、計算外が一つ。
(何でうちまで付いて来んの……?)
千紗が由梨亜を連れて行った理由は一つ。
証人と保険だ。
眞祥は千紗のクラスメイトだし、何よりも叔父と姪の関係だ。
眞祥は、証人とはなり得ない。
だから、千紗達とはほとんど関係のない由梨亜であれば、証人になれると思ったのだ。
そして、彼女は並樹家よりも家格の高い本条家のお嬢様だ。
いくら並樹家でも、そして邪魔に思ったとしても、櫻堵のように彼女を取り除くことはできない。
必然、共にいる千紗や眞祥にも手出しはできない。
だが、千紗の予定していたことはそこまでだ。
家まで付いて来るなんてことは、予定にない。
千紗は疲れた溜息をつきながら、由梨亜に飲み物を出した。
眞祥には、出していない。
「……? ありがとう。でも、どうして私にだけ?」
「そうだよ。俺にも出せ」
眞祥の要求に、千紗は鼻で笑って答えた。
「あんたは自分で出せば? だって、あんたもここに住んでんじゃん。ま、正直、どうしてあたしとあんたが一緒に住んでんのがばれなかったのか、疑問だけどね」
「ふん、そんなの、俺が注意して尾行されないように気を張ってたからじゃねえか。っつうことで、恩義を感じているならすぐに淹れて来い。自分でやるのは面倒臭い」
「お坊ちゃまが」
「は? ……あ~そうか、分かった。よし、じゃあ本条さんに、お前の小さい頃のあれやこれやを――」
「あ~もう! はいっ!」
千紗は、自分用に持って来たお茶を眞祥の前に叩き付けた。
「はっ。こんな出来合いの奴が飲めるか。おまけにこのカップ、お前のだろう。俺ので淹れて来い」
「~~そこまで言うなら自分で淹れてよ! あんたの好みのお茶をあたしが淹れれる訳ないでしょうがっ!」
「だから、お前に半年も仕込んでるんだろうが!」
「はっ? それでも淹れられなかったあたしを見くびんないでよね!」
「それは自慢じゃないっ!」
言い合いを続ける二人に、由梨亜はずっと疑問に思っていたことを口にした。
「そう言えば……どうして東風上さんは、そんなに紅茶に詳しいの?」
「詳しい? 俺が? 普通だろ?」
あっさりと返されて、由梨亜は顔を引き攣らせた。
「普通じゃないわよ! そんなに詳しい小学生なんて、私見たことないわ! 貴方、本当に紅茶のディーラーになれるんじゃない?」
その言葉に、千紗と眞祥は思わず吹き出した。
「何か、当たらずとも遠からずって感じだな」
「うん。お母さん方のお祖父ちゃんとお祖母ちゃん、紅茶の仕入れやってるから」
「……仕入れ?」
由梨亜は目を点にさせた。
「そう、仕入れ。普段は店で売ったり小売店に卸したりするんだけど、よく色んな紅茶の産地を回って、新しく仕入れたりしてるんだ」
その言葉に、由梨亜は目を丸くした。
「そうなの……。あ、それと、もう一つ気になっていたんだけど」
「何?」
「どうして、東風上さんは彩音さんと一緒に暮らしているの? この家、普通の一軒家よね? 二世帯で暮らすには、少し狭そうな気もするわ」
「ああ、そりゃそうだろ。俺の両親はここにいなし、そもそも俺がこっちに来てから、まだ半年だからな」
眞祥はそう言うと、遠い目をした。
「うん、そうか。半年か……うん」
千紗も、思わず遠い目になる。
「色々あったね、半年前……」
「ああ、色々あったな……」
「……何が、あったの?」
由梨亜の目には、好奇心の色が多分にある。
千紗は、思わず微笑を浮かべて言った。
「あのね、お祖父ちゃんが家出しちゃったの。借金まで作りやがって」
「え…………?」
きょとんと眼を瞬かせる由梨亜に、千紗は乾いた笑みを浮かべた。
「嘘みたいでしょ? でも、本当にあってさぁ。それで、お祖母ちゃんがお祖父ちゃんを追っ掛けに行って、その間、眞祥をうちに――つまり、自分の娘に預けたって訳」
「おい千紗、お前の説明は省き過ぎた。父さんは、まあ――紅茶狂いって言うか何て言うか、紅茶に命を懸けてるみたいな感じなんだ」
「…………眞祥にそれを言われるお祖父ちゃんって、もう終わりな気がする」
「何か言ったか?」
「何も」
眞祥の視線から逃れるように、千紗は目を逸らした。
「とにかく――それで、父さんは半年前に、『地球一の茶葉を探して来る!』って宣言して家を飛び出しちまったんだ。しかも、必要経費やらなんやらはうちの名前で借金してやりくりしてるから、その借金が母さんに回って、その母さんも父さんを探しに、カードとか借金の履歴を辿って地球中を飛び回ってるから、その二人の必要経費が回りに回って姉さんに……」
そのあんまりな話に、由梨亜は唖然とした。
「……それって、ありなの?」
「……後でその分返すって言ってるから、いいんじゃないのか?」
由梨亜の疑問に、眞祥は目を逸らして言う。
「……でも、東風上さんの普段のお金も――」
「……姉さんの負担になってるな」
「……いいの? それ」
「……悪いんじゃないか? 常識的に」
二人して、乾いた笑いを洩らした。
「でもさ、お祖父ちゃんの動機も不純だよね。お父さんが、つまり、お祖父ちゃんにとっての義息子が事故死しちゃったから、その墓前に供える為の最上級の茶葉を――って。結局、全部お母さんが負担してるのに。だからお母さん、こんなに遅くなっても仕事が終わんなくって帰って来ないんだよ」
唇を尖らせる千紗は、年相応に見える。
眞祥は微笑を浮かべ、千紗の頭を撫でた。
「とにかく、お前は頑張ったよ。よく我慢したよな」
「――我慢してないし」
「ああ、そうか」
「あたし、我慢なんてしてないからね。先生とか咲で鬱憤晴らししてたし」
「ああ、そうだな」
「だから、我慢なんてしてないんだから」
「ん」
ゆっくりと、眞祥は千紗の頭を撫で続ける。
産まれた月日で言えば、千紗の方が眞祥よりも上だ。
だが、どちらかと言えば、眞祥は千紗の保護者のようだった。
「まあ、お前みたいに図太い神経してたら、そうなるだろうなぁ」
「…………眞祥、あんたあたしに喧嘩売ってんの? ああそう売ってんのね。分かったじゃあ高く買ってやろうじゃないの」
「は? 俺が? この俺が、喧嘩なんかする訳ないだろうが」
「……ナルシストが」
千紗はぼそっと呟くと、由梨亜に向かって申し訳なさそうな顔をした。
「ああ、ごめんね。騙す感じに巻き込んじゃって」
「確信犯のくせによく言うよな」
「眞祥は黙ってて」
千紗にぴしゃりと言われ、眞祥はにやにやと笑いながら口をつぐむ。
「あ、でも、別に大丈夫よ? だって、私と彼女の間には、ちょっと因縁があったから」
「因縁?」
千紗が首を傾げると、由梨亜はこくりと頷いた。
「ええ。私の幼馴染みに、双葉と若葉って子がいたんだけど、その二人、双子だし可愛いし頭もいいし、学校の中でも目立っていた子だったの。私とは初等部から一緒だったんだけど、二人の姓は、貴族とか富豪の中では聞いたことがないような名字で、おまけに何かの行事の時にも、一度も両親が来ていなくて……他の人達の間では、二人は庶民だって見方が一般的だったの。そして、そこには並樹咲もいた」
由梨亜の話に、千紗は思わず眉を顰めた。
その部分だけで、もう、咲が何をやったのかが分かった。
「分かったよ。咲、その双葉と若葉って子をいじめたんでしょ? あたしみたいに」
「ええ。全く同じではないと思うけど、いじめたことには変わりないわ」
由梨亜はそう言うと、肩を竦めた。
「最初は、二人と仲の良かった私や、他の人でも庇えるくらいのものだったわ。移動教室の時に報せなかったり、授業が変わったことを教えなかったり、体育とかでペアを作る時、仲間外れにしたり……。向こうには、何て言うか、選民主義? みたいな人が沢山付いていたけれど、こっちにだって、仲の良かった人が何人も付いていたから、私達が気を付けていれば大丈夫だったの。でも、どんどんエスカレートしていって、物を隠したり、壊したり……他にも、色々……」
由梨亜は、顔を伏せた後、真っ直ぐに千紗と眞祥を見詰めた。
「貴方達、咲のこと調べたんでしょう? だったら、知ってるはずよね。――どうして咲が、東京からこっちに来たのか」
その言葉に、思わず千紗は言い淀んだ。
「まあ……。東京の私立学校で、ちょっと問題起こしたせいで、こっちに来ることになったっては聞いたけど、それ以上は聞けなかった」
「ええ、そうでしょうね。確かに、彼女は問題を起こしたのよ。――双葉と若葉って、双子なんだけど、性格は違くってね。双葉の方が、何て言うか、活発だったの。それで、咲に直談判を挑んだのよ。結果は咲の惨敗。おまけにその途中で、双葉と若葉がどの家の子だったのかってばれちゃってね。彼女達は、実はとっても身分が高い家の子供だったの。だから、彩音さんが詳しいことを知っていないのも無理はないわ。彼女の両親が揉み消したから」
苦々しく笑う由梨亜に、眞祥が眉を寄せて訊ねた。
「結局、その双葉と若葉って、一体誰だったんだ?」
すると、由梨亜が肩を竦めて答える。
「内親王殿下よ。まあ、私は知っていたけどね」
さすがに、千紗と眞祥も目を瞠り、驚いた様子を露わにする。
「え、じゃあ何で、その人達って自分の身分を隠してたの? 別に、内親王なんて……隠すことじゃないじゃん?」
「まあ、ね……。でも、皇族ってなると、幼い頃からのメディアの露出が普通になるでしょ? おまけに学校に入っても、周囲に気を遣われることになる。……だったら、身分を隠せばいいって、彼女達の父親である皇太子殿下が判断なされたのよ。メディアへの顔出しも公務も、二人が義務教育を終えてからだって。それまでは、名前とかも全部非公開。さすがに、皇太子殿下の次に天皇になるだろう息子の義彰親王までは、それは不可能だったみたいだけど」
由梨亜は、苦い溜息をつく。
「とにかくもう、それで咲が怒髪天を衝いちゃってね。頭に血が昇り過ぎて、相手が皇族だとか、自分より身分が高いとか、全部頭から抜けちゃったのよ。双葉の方にやられたって逆恨みが、今度は若葉に向いちゃって……。どうしてかは分からないけど、若葉をプールに呼び出して、突き落としたのよ」
思わず、千紗は顔を引き攣らせた。
「何か、過激……」
由梨亜も苦笑して頷いた。
「ええ、そうね。まあ、唯一良かったことは、若葉が突き落とされたプールは室内の温水プールだったってこと。季節としては春だったけれど、年中使えるように温水が張ってあったから、寒さは大丈夫だったわ。でも、若葉が突き落とされたプールはシンクロ用の水深が深い物だったし、若葉は泳ぎが下手だったから、溺れ掛けちゃったの。まあ、すぐに若葉がいないって気付いた双葉が人を呼んで、助かったんだけどね」
そう言って苦笑する由梨亜に、千紗は眉を寄せた。
「え、だけどそれって……犯罪スレスレじゃないの?」
「ええ、そうね。これって、間違いなく未必の殺人未遂よ。子供だってことを考慮して、咲自身は退学処分で済んだのだけど、さすがに父親まではそういかないわ。並樹家よりも上位の貴族とか、外聞を気にするような企業なんかは、もう並樹家とのやり取りがないわ。だから私、もう懲りてると思ってたんだけど」
その言葉に、眞祥が深い息をついた。
「ったく……それで、あいつは東京を追い出されてこんなとこまで来たって訳か? その挙句に、また懲りもせずに千紗をいじめたって? 本当、学習能力ってもんがないのか?」
「ほんと。もう……あり得ない。でも、それ聞いて納得したよ。どうしてあたしが咲にいじめられたのか」
千紗は溜息をつくと、口の端を歪めた。
「あいつがこっちに転校して来た時にさ、四年生だったんだけど、そのクラスに幼馴染みがいたんだ。で、偶々咲がその幼馴染みと隣の席になったの。そしたら、その当日から幼馴染みが使いっ走りにされたんだ。んで、あたしって正義感強くってさあ。黙って見てらんなかったんだよね」
千紗は、そう言って小さく肩を竦めてみせる。
「だから、つい言っちゃったんだよね。
『あんた何変なこと仕出かしてんの? 人を使いっ走りにするって何様な訳? あ、お貴族様だったよね。でもさ、何でこんな地方まで来た訳? 何か東京で仕出かして、追い出されでもしたの? とにかく、あんたが何考えてんのかは分かんないけど、こんなことは二度とやんないでよ』
って。そうしたら、次の日には他のクラスメイトとか先生とかを味方に付けやがって、あたしは孤立しちゃったって訳」
「え、でも、その幼馴染みは?」
その言葉に、千紗は少し寂しそうな顔をする。
「向こうに付いちゃったよ。今もおんなじクラスだし。ま、そんな訳で、あたしはいじめられてたって訳。う~ん、あたし、うっかり地雷踏んでたんだなぁ」
うんうんと頷く千紗に、何かを思い出したのか、由梨亜ははっとした顔になっていきなり千紗に詰め寄った。