第四章「真実と暴露」―3
千紗はくっと顎を上げ、咲の父親を見据える。
「じゃあ、まず最初に。去年の十月八日。……心当たり、ありません?」
「何……?」
咲が訝しげな声を上げるのに、千紗は冷たい視線を投げ掛けた。
「黙っててくれる? あたしはあんたに訊いてるんじゃないの。あたしが訊いてんのは、あんたの父親。並樹笈。――あんたよ」
自分の娘と同い年の子供に呼び捨てにされたからか、笈は顔を真っ赤にしながら体を強張らせるという、実に器用な真似を仕出かした。
「ふ~ん、その様子だと、心当たりがあるみたいね」
千紗は、咲になど目もくれず、真っ直ぐ笈の元に歩み寄る。
「去年の十月八日。あんたはその日、東京で資金繰りをする為に、色んな所を回ってたでしょ? 車で。そこであんたは、自分の思うようにならない世間と、道に迷った運転手のせいで、苛々していた。だから、運転手をその場で降ろして、自分で運転してたんだよね? それも、選りにも選って、人通りの少なくて狭い、昼日中の道を。苛々してたから驀進していたあんたは、目の前で信号が赤になったけど、停まるのが嫌で、信号を無視して……」
千紗は、すっと目を眇める。
「信号を渡ってた男の人を、轢いたでしょ?」
その言葉に、由梨亜は大きく目を瞠った。
「轢いたって、そんな……」
由梨亜に咎めるように見詰められて、笈は狼狽えたように声を絞り出す。
「な、何を……じ、事実無根だっ!」
「事実無根だ?」
千紗は繰り返すと、何が可笑しいのか、くすくすと笑い出した。
「あんた、本気でそれ言ってんの? じゃあ、続けるね。あんたはその人を轢いた後、我に返ったんじゃないの? それで、一回は車を止めて、その男の人の様子を見た。……でも、血を流している人を見て、怖くなった。自分が捕まるんじゃないか、このままだと並樹家の再興ができなくなるかも知れないんじゃって。だから、逃げようと思った。それだけじゃなく、すぐにこの男の人の身元が分からない方がいいと思って、懐を漁って、財布を盗んで」
千紗はゆったりと笑みを作るが、目は笑っていない。
むしろ、怒りに燃えて、爛々と光っている。
「そこには誰もいなかったから、あんたもそんなことができた。そして、その男の人をほっぽり出して、逃げ出した。……でも残念だったね。その人、その近くに仕事で来ていたの。だから、その人がちょっと出掛けた後、いつまで経っても戻って来ないっていうことで、探されたのよ。そうして、血を流して倒れている所が見付けられた」
千紗の顔から、不意に表情が抜ける。
「その時には、まだ微かに息があった。でも、救急車を呼んで、病院に搬送される間に息を引き取った。でもねぇ、あんたが轢いてからその人が死ぬまで、軽く一時間以上はあったの。もし、あんたが轢いた後に、すぐ病院に行っていたら――」
千紗は、真っ直ぐ笈を睨み上げる。
「間違いなく、その人は助かっていた。……今も、間違いなく生きていた」
その言葉に、咲の母親が息を呑む。
「その人は、あんたが殺したの。――彩音櫻堵は、あんたに殺されたのよ。並樹笈、あんたに」
「今……何、て?」
由梨亜は、掠れた声を出した。
千紗は、振り返りもせず、視線を笈から逸らしもせずに言い放った。
「並樹笈は、彩音櫻堵を轢き殺したの。――あたしの、父親を」
しんと、室内は静まり返った。
あの咲でさえも、信じられないとばかりに口を覆っている。
「父親って……そんな。じゃあ――」
「証拠は何だ! こ、この私を、ここまで侮辱する、その証拠はっ!!」
笈は、口から泡を飛ばし、掌をテーブルに叩き付ける。
「証拠? ほら、これ」
千紗は、手に持っていたファイルをテーブルに投げた。
「そこに、全部纏めてある。あんたが、お父さんを轢き殺した時の状況も、その証拠も」
「証拠って、どうやって? そんな物、とっくの昔に処分してるんじゃないの?」
由梨亜が当たり前の疑問を千紗にぶつけると、何故か彼女は、にんまりと笑った。
「うん。こいつの手の中には、もうないよ。でもねぇ、財布だけ盗んだのは、まずかったんだよねぇ」
「財布?」
「そう。免許証とか身分証明書とかって、男の人って大抵財布に入れてるでしょ? だから、笈はそれを盗んでから、しばらく経ってほとぼりが冷めた頃、召し使いに言って捨てさせたの。その召し使いは、更に下の、町からバイトに来ていた人に渡したんだよね。処分するようにって。でもねぇ、お金とかカードとかが入った財布を捨てろって、明らかに不自然だよね? だからその人、その財布の持ち主が誰なのか、中身を見たの。……そうしたら、びっくり。自分の死んだ父親の財布だったんだから」
「はぁっ?!」
由梨亜は、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
「彩音さん、貴女、このお屋敷で働いていたのっ?!」
「うん。一時期だけね。……あたし、最初っから可笑しいって思ってたんだよね。いくら人気のない場所での轢き逃げだったとしても、犯人が捕まらないままうやむやに終わらせられたのって、かなり不自然だと思わない? でも、どんなに調べたくても、あたしには頻繁に東京に行くお金がなかった。だから、短期間で給料が良くて、おまけに小学生でも使ってもらえたから、ちょっとこの家で雑用係やってたんだよねぇ。でも、ま~さかそこの主人に、自分の父親が轢き殺されてたなんて、夢にも思わなかったなぁ」
千紗は、場違いにもにんまりと笑うと、テーブルに投げ出したファイルの中から、数枚の紙を抜き取った。
「それについて纏めてあるのがこれ。財布をあたしに渡した人の証言も取ってあるよ。それと――あんた、ほんとは警察に疑われてたでしょ? でも、それを金と身分で押し潰した。その証拠も、ちゃ~んとここに纏めてある」
千紗はひらひらとその紙を振ると、にやりと笑った。
「ついでに、あんたが東京からこっちに移った後、また東京に戻ってやってた諸々についても、証言は取得済みだから。覚悟しといてよね」
「なっ……!」
笈は、顔を真っ赤にする。
「諸々って……?」
「聞きたい?」
由梨亜が思わず訊ねた言葉に、目をキラキラさせながら返されて、由梨亜は思わず一歩下がった。
「で、できれば……聞きたい、かな……?」
「う~んとね、まずは、東京に返り咲く為の賄賂とか、それに関連して、議員個人への明らかに違法な献金とか? あとは、自分のとこの商品を使えとか、これ以上取り引きしないって言って、主に小工場とか個人営業の庶民に対しての恐喝及び暴力、もしくはそれらに対する教唆、おまけに脱税とかこいつの会社の社員に対する労働系の法律違反がいくつか? それと、それらの事件が警察にばれたりばれそうになったりした時にそれを誤魔化したのもあるかな? ああ、あと公務執行妨害もしてたけど、金の力で誤魔化してたよねぇ」
「……そんなに?」
由梨亜は、思わず唖然として口を開けた。
貴族であり商人である以上、汚いことをしている人間はごまんといる。
また、金や権力に物を言わせる程度では、どうあっても捕まえることはできない。
何しろ、被害者はほぼ庶民なのだ。
泣き寝入りするしかない。
「うん。まあ、この中には、捕まるって確実には言えないようなのもあるけど……」
千紗はにっこりと笑みを浮かべると、一歩笈に近付いた。
「貴方の被害によって泣き寝入りした人達は、そのほとんどが貴方を訴える方針を固めています。そして、そのほとんどの人間には、後援役として中級以上の貴族が付いていて、裁判から何からをバックアップします。また、賄賂や献金や脱税などについては、もう何日も前に警察にリークしました。今頃は、警察でもしっかりとした裏付けが得られているはずです。――さて、どうする? 並樹笈」