第四章「真実と暴露」―1
由梨亜は、落ち込んでいた。
非っ常に、落ち込んでいたのだ。
自分のやったことが、端から見れば『お節介』なのだろうということは、理解している。
それでも、この前の彼女の口調、そして、言っていた内容は――
(売春、ってこと……?)
まさか、という思いが強い。
全てを四角四面に統率しようとしても、決して上手く行かないということは、由梨亜も貴族社会で生まれ育った一員だ、勿論分かっている。
だけど、それは大人に対しての話だ。
大人対大人の場合は、その規制が若干緩み、大人同士の関係ということで大目に見られ、ある程度は放って置かれる。
その代わりに、大人対子供の場合は、圧倒的に大人が不利な立場に押し込められる。
これが子供対子供ならば、『若気の至り』として片付けられるが、片方が大人の場合、『売春』『性犯罪』として捉えられても仕方がないのだ。
いくら、お互いが本気で想い合っていたとしても。
つまり、それほど厳しく子供の売春は取り締まられているのだ。
もし摘発されたら、一体どんなことになるか――。
彼女は、愚かな人間ではない。
お金を目当てに、法律違反を――それも、自分の身を削るようなやり方をするなんて、そんな馬鹿な人間には思えなかった。
(……お金が目当てじゃ、ない?)
由梨亜は、自分の思考にぞっとした。
そういうようなことをする少女は、大抵がお金目当てと決まっている。
時々ドラマなどの題材として取り上げられているが、そういう子は、家が貧しくて已むに已まれずという場合か、ブランド物のバッグや服を欲しがってお金が足りないという場合が大半を占める。
それに、彼女が――千紗が近付いているのは、貴族の男達だ。
だから由梨亜は、てっきり、千紗の目的が『金』だと思い込んでいたが――
(違うのかも、知れないの……? だって、そんな……お金じゃないとすれば、何で? 何で彼女は、そんなことを繰り返してるの? それに、何度も、何度も……)
いっそのこと、恭興にでも確認してみようか。
何度もそう思ったが、実行には移せなかった。
(だって、もし小父様に、事実だと言われたら……。それに、こんなことで、小父様の家庭を壊したくないわ)
由梨亜は、思わず身震いした。
そう、売春は、売る側がたった一人いても、どうにもならない。
彼女を買う側がいなければ、成り立たないのだ。
(つまり、彼女と、たったの一度でも一緒にいた――恭興小父様も、お金を出して、買ったんだわ)
今まで、そんなことにも思いが寄らなかった。
つまり、それほど自分が動揺していたということだろう。
(でも、どうすればいいの……? 彼女に、そんなことはしてほしくないわ。小父様の家庭も壊したくない。彼女の目的がお金なら、私が払えば、何とかなると思っていたけど……。もし、お金じゃないのなら? 私は、何をすれば、彼女に思い留まってもらえるの? どうしたら、あんなことをやめてもらえるの? 分かんない……。分かんないわ。本当に、私、どうしたらいいの……?)
由梨亜は、泣きそうに顔を歪めて、下を見下ろした。
屋上にはきちんと高いフェンスが取り付けられていて、決して落ちないようになっている。
それに、緑化政策の一環なのか、屋上には木々が植えられ、花壇に花が咲き誇り、ベンチが到る所に置かれているので、ちょっとした公園のような趣だ。
休み時間にここに来る生徒は多いが、こんな時間――陽も暮れかかった放課後ともなれば、この空間には誰もいない。
由梨亜の独り占めにできる。
確かに、ここは美しいが――今は、到底それに感嘆できるような心持ちではない。
とても……とても、虚しい気分だ。
結局、自分には何もできない。
ただの無力な子供なのだと、貴族の娘だと言っても、結局自由にできるのは、多少のお金くらいなのだと、嫌になるほど思い知らされた気分だ。
由梨亜が深い溜息をついた時、屋上の扉が開いた。
思わずはっとして振り返ると、そこには二つの人影がある。
由梨亜は、思わず息を呑んだ。
「彩音さん……東風上さん……」
その言葉に、千紗は肩を竦めてみせる。
「その呼び方、あんまり好きじゃないんだけどね……。ちょうど良かった。今日、暇?」
「え、ええ……特に、用事はないけれど……?」
「じゃあ、あたし達に付き合ってほしいんだ」
「付き合う? ……何を、するの?」
由梨亜が警戒して目を眇めると、千紗は読めない笑みを浮かべる。
助けを求めて千紗の隣にいる眞祥に目を移すが、彼も、千紗と同じような笑みを浮かべるだけだ。
由梨亜が完全に困惑して立ち尽くすと、すっと眞祥が近付いて来る。
はっと気が付いた時には、すぐ目の前だ。
由梨亜が彼を見上げると、何故か、眞祥は眼鏡を外す。
そうして、何にも遮られることなくさらされた彼の美貌に、思わず由梨亜は息を詰めた。
眞祥は突如として由梨亜の右手をすくい取り、腰をかがめると、そっと由梨亜の右手に唇を落とす。
そして、上目遣いに、背筋がぞくりとするほどの色気を纏って見上げて来るのだ。
由梨亜は、一瞬その異様な空気に呑まれ掛けたが、何とか彼の手から右手を取り戻すと、軽い怒りとショックに頬を紅潮させて怒鳴った。
「い、いきなり何をするのっ?! 貴方、ホストにでもなったつもりっ?」
美人が怒ると怖い、ということは、よく言われている。
由梨亜もそれに合致するのかどうか、自分自身ではどうもよく分からないが、自分が怒ると、眉が吊り上がって恐ろしい形相になるらしい。
由梨亜は怒鳴ってから、すぐにそれに気付いて慌てたが、向こうは呆気に取られているだけだった。
そして、何故か眞祥の後ろにいる千紗に吹き出される。
「ぶ、ぷぷ……。や、やっぱあんた、面白い! ほんっと、あんたが貴族なのが惜しいくらいだよ。庶民だったら、いい友達になれたなぁ」
「え……?」
由梨亜が瞬くと、
「ほ、本当……。全く、俺の色仕掛けが通用しないなんて……初めてじゃないかな? くく……」
「でも眞祥、あんたにはいい薬になったんじゃない? あんた、女の子に振られたことなんてないし」
「ま、確かにそうかも……。で、でも、ぷぷ……思い出すだけで、笑えて来る」
目の前で笑いだす二人を、由梨亜はどこか呆然と見詰めた。
そのうちに、あることに気付く。
「あら……? そう言えば、貴方達、似ていない? 今まで眼鏡を掛けていたから、よく分からなかったけれど……」
由梨亜の言葉に、千紗は笑い過ぎて涙の浮かんだ目を人差し指で拭いながら言った。
「そうだよ? だって眞祥、――だもん」
ヒュウと、春にしては少し寒い風が――まるで木枯らしのような風が吹く。
「………………は?」
長い沈黙の末、由梨亜の口から出たのは、そんな意味のない音だった。
「聞こえなかったんですか? いいですか? もう一度だけ言いますよ。僕にとって千紗は、――なんですよ」
由梨亜は信じられずに、あんぐりと口を開ける。
「あ、でも……ちょっと待って。だって、彩音と東風上って、名字が違う……」
「だって眞祥、あたしの母方の――だもん。この『彩音』って名字は、父方の方の名字なの。あたしのお母さんの旧姓は『東風上』だよ」
「そ、そう……なんだ……」
由梨亜が呆然と言うと、不意に腕を引かれる。
見ると、千紗が由梨亜の腕を引いていた。
「彩音さん……?」
「お願い。あたし達に付いて来て頂戴。あんたには何の益もないことかも知れないけど、あたし達はしくじる訳にはいかないんだ。それに、面白いものが見れるよ?」
「面白い……もの?」
由梨亜が思わず眉根を寄せると、千紗はにっと笑った。
「そう。あたしの、一世一代の、ね」
そう言って不敵に笑う顔は、到底、法にもとる行為に耽っているとは思えないほど、晴れやかで清々しいものだった。