5 最後のチャンス
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最近、スーパー・コンビニほか各種飲食店で、東アジアや東南アジアからやって来た人を、よく見掛けるようになった。
私は年甲斐もなく、そういった国の人たちと話をするのが大好きで、何かとちょっかいを出しているのだが……。
場数を踏んでいくうち、仲良く話せるようになる “コツ” が掴めてきた。
まず、制服に着けている名札を見て、どこの国から来た人なのか、即座に判断するのが先決。
――あれ? この名前は……。》
と思ったら、最初の機会はスルーして、ネットで検索すれば大抵の目星はつく。
尤も、《グェン》 さんという名札を着けている人に、
「何処から来たの?」
なんて訊きているようでは論外で、
「あ、ベトナムの方ですね。 どの地方からいらしたんですか」
くらいのことを言えなければ、次の会話が成立しない。
何と言っても最初の第一印象は重要だ。
◇
ファストフード店は話をしやすい、最も環境の良い場所である。
最初はフロントのカウンターを挟んで、注文する時に二言、三言を交わすだけ。
顔を覚えてもらえると、テーブルや床を拭きに来た際などに、ゆっくりと話が出来る。
中国からやって来た22歳の女の子、“マオ” さん。
ま、同音異字の問題はあるにしても、ほぼ間違いなく “毛” さんだろう。
言うまでもなく、もの凄い人の名乗っていた姓――。
で、さらに言うまでもないが、“そのお方” との血縁関係はない――のだろうね。 きっと。
――――。
昨日のことだ。
その彼女が、階段脇のゴミ箱の清掃にやって来て、扉をパッと開けるなり、
「きゃぁ!! いやぁぁ~~~~!!!!」
と悲鳴を上げて、通路に並行したテーブルに居た私のところに駆け込んで来た。
「ゴ、ゴキ、ゴキ……、いやぁぁぁぁ~~~。 あああああ。 そこーーー、そこーーーぉ! そこ……そこに……」
私の後ろの壁際で両手を口に当てて、本当にピョンピョンと飛び跳ねている。
何だかスゴイけど、こういうのもやっぱり可愛い。
中国の女の子でも、女の子は女の子か。
当たり前だけど。
「ゴメンなさい~~~~ぃ! でも……、いやーーぁ! そこーーーーーぉ!!!!」
何も悲鳴まで日本語で喋らなくても、という気がして可笑しかったが、彼女はそれくらいに完璧な日本語を話す。
名札を見なければ、まず誰も中国人とは思わない。
「上海にもゴキブリって居るんじゃないの?」 (彼女の故郷だ)
と冗談半分に笑い掛けても、
「えー、……やっ! やーーーっ!! あぁ、来る、来る~~~ぅ!!!」
……って、全然、聞こえてないか。
私は、マオさんの手からT字状のモップを受け取り、
――いきなりビックリして悲鳴を上げてるのは、実はゴキちゃんの方だって同じだよな。》
と思いながらも、パシパシパシと叩いて3発で仕留め、事なきを得た。
――――。
成り行き上、その場にへたり込んでしまった彼女を落ち着かせて、少しゆっくりと話をすることに。
なに、大したことは訊いてない。
上海での生活のこととか、日本の気候についてだとか……。
それら一連のやり取りの中で、
「毛さんも、やっぱり一人っ子なの?」 (中国では人口抑制のために 『一人っ子政策』 を敷いている)
ということに話が及び、
「もちろん。 都市部の子はみんな一人っ子ですよ。 農村部に行けば、そうでない人もいるけど」
と言っていたのが印象的だった。
――ふーん。 ……やっぱり、そうなのか。》
例えば毛さんのように、女の子が生まれたとしても一人っ子、というのは何だか可哀相な気もする――。
なんて、他人様の心配をしている場合じゃないぞ。
と、思い至った次第である。
我が家だって、女の子の一人っ子じゃないか!
と、いたく気になった次第。
で、自宅に帰り着くなり早速、書斎に籠もり――。
……こんなことも実に久しぶりだが、
「そもそも娘にとって、“自分が一人っ子である” というのは、どういうことなのだろう」
と、改めて、いたく真面目に考え始めた。
◇
子供にとって、親と名前を選ぶことが出来ないのは当たり前――と思いきや、中国では逆で、かの国では成人すると自分の名前は自分で決めることが出来た。
例えば “諸葛亮” は親が付けた名前。
彼が成人して “諸葛孔明” と名乗ったのは、日本人なら誰でも知っている事実だ (と言うのもスゴイ気がするが)。
ま、日本人だって昔は―― “木下藤吉郎” が “羽柴秀吉” になり、やがて “豊臣秀吉” を名乗るわけだから似たようなものか。
有名になって一度も名前を変えなかったのは “織田信長” くらい?
……それはいいや。
とにかく子供にとって――。
自分の親を選べないように、自分に何人の兄弟がいるのかも選べない、かというと……。
実は、そうでもなかったりする。
私の娘にとって兄弟がいないのは “運命” であって、それは私と妻の二人で決めたこと。
と言い切って良いものか?
いったんは出たはずの結論……なんだけどね。
ムシムシと蒸し返しているうち、何かの機会に覆ったりするから、《結論》 って難しい。
◇
私の娘も、もう10歳になる。
自分の兄弟の可否について、いま一度、家族の一員として意思表示する権利はあるようにも思えるのだ。
例えば、彼女の尊厳を無視して、二人だけで勝手に子供をつくって、
「これからは、お姉さんになったんだから……」
なんて、いきなり押し付けても――。
彼女のために “良かれ” と思ってしたことで、却って彼女の心を傷つけてしまうのでは元も子もない。
恐らく、もう彼女は一生、忘れないだろう。
いわゆる 《トラウマ》 ってやつだ。
今は、とても難しい年頃なんだよねぇ。
むむむむむ……と、書斎の中にて思考実験は続いてゆく。
もしも、だ。
もしも、あと5年早ければ――つまり娘が幼稚園に上がりたての頃ならば……。
何の問題もなく、私と妻の二人だけの合意でつくってしまうことは出来ていた。
事前説明の必要すらない。
彼女にとって、兄弟がいることは、そのまま “運命” になる。
あるいは、もしもあと5年遅ければ――つまり彼女が中学3年から高校に上がる時分ならば……。
その頃には、恐らくもう何を言っても無駄であろう。
事前説明には、一切の誤魔化しの利きようもない。
その頃の、成熟して一段と美しさの増しているはずの我が娘の姿を想像し――。
私の言葉をマジマジと聞き入っている彼女に、父親として、父親の威厳にかけて、ありのままを説明してゆく。
「で、お前は、正直なところ、どう思う?」
その第一感は――。
…………。
全てを理解した上で、意味深な笑みを満面に浮かべて、娘が答える。
「お父さんのエッチぃ~!」
――のわぁーーーっ!?》
つ、つ、つっ……。 つまり、ですが、これは、ですね。
いや、あのね、それとこれとは話が別で。
いいか、我が娘!
これは、これから女子高生になろうかというお前の情操教育とは、また完全に別の話であってだな。
「……お父さんのエッチぃ~!」
――どわぁーーーっ!?》
ち、ち、ち、……父親としての “イゲン” が――。
「お父さんのエッチぃ~!」
の一言で、木っ端微塵のミジンコ状態に……。
子は親を見て育つもの。
親自らが示して見せたのでは、示しがつかんではないか。
とかく難しい年頃なのだ。
◇
では、あと10年経ったとしたら、どうだろう。
また考える。
その頃は、わが娘は成人して二十歳となり、知ることを知り、自ら親にもなれる年齢となる。
たぶん彼女は積極的に賛意を表し、応援してもくれるだろうか。
「すごーい! ぜひ頑張って~。 私も子育て、手伝うから」
――って、姉が弟の子育てして、どうすんだー!》
あ、いや、何も “弟” と決まってるわけではないが、二人目が出来るなら、やっぱ弟と決まってるだろう。
その時、果たして我が妻の実力が、どこまで出せるのか楽しみだ。
彼女の唯一のウィークポイントである胸は、息子にとっては何等の弱点にもならないのですよ、ふっふっふっ!
いや、そんなことが言いたんじゃない。
その時の弱点は、私が55歳となり、妻も45を優に越える年齢になっていることなのだ。
いくらナンでも、しんどいだろう――。
◇
……という思考過程を繰り返して、
「子供をつくるなら、今が本当に最後のチャンスなんだよ!」
との結論に辿り着く。
とにかく今しかない。
思い立ったら屹立―― (←って、何を言うとんのじゃ~!)。
いや、起立して書斎を離れ、ちょうど台所で戸棚の食器に手を伸ばしている娘に、私は近寄って行った。
――やはり娘も10になるのだし、事前に話しておかねばならんのだろうな。》
果たして彼女が、どんな反応を示すか。
その時、どんな回答、意思表示をするだろうか……。
女の子って、結構おませで早熟だったりするからなぁ。 案外――。
私は意を決して、娘の背中に話し掛けた。
「なあ、今いいか? 聞きたいことがあるんだが……」
「あ、お父さん」
「例えば、もしも――だ。 もしもだぞ。 ……あー、お母さんのお腹の中に、弟か妹が出来たら。 ――お前なら何て言う?」
…………。
それで我が娘が何と言うか。
彼女なら、どうして欲しいと答えるか?
「――――。 堕ろしてぇ~」
と来たか。
えええええええっ! 何をぉぉぉぉぉ…………!!!
いきなり、それっスかぁ!?
私は、思わず戸棚からゴキブリが出たみたいに飛び退いた!
〔第5話 =了=〕