とうとう、こんな記事に接する日が……。
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『キャンディーズ』 の訃報記事が日本中を駆け巡った日の朝――。
ちょうど私の10歳になる娘が号外を手にやって来て、居間で寛いでいる私に不思議そうに訊いてきた。
「ねぇ、お父さんはナンパだったの?」
――ナンパだってぇ!? ナン、ナン、ナン………、何を唐突に。》
突然の鋭い詰問にたじろいだ私は、娘の指差す紙面を見やって、すぐに胸を撫で下ろした。
――危ないところだった。 いきなりバレたのかと焦ったゼ。》
のっけからこの物語が終了しては大変だ。
「まさか娘が!」 とは思ったけれど、身に覚えのある昨今なれば……何かと気を揉むことも多い。
――――。
キャンディーズのメンバー3人が仲良く並んだ写真の下に、「あなたは何派でしたか?」 という小見出し付きのキャプションが添えられている。
私は思わずニンマリして、うーーーーん……と頭を捻った後、
「そうだなぁ……。 とりあえず “三木派” って人は、少ないんだろうね」
と、洒落には洒落で返してみる。
(分かんねぇよ! そんなこと言われても10の娘には。)
彼女たちがスーパースターとして大活躍をしていた頃はと言うと……。
自民党の最大派閥・田中派がロッキード事件で空中分解したのを受けて、福田派、中曽根派に抗して、弱小派閥の三木派が天下を取っていた時代だったのだ。
いや、ご心配なく。 10どころか、18の娘さんにも分からないって。
25のOLさんでも、30の奥さんでもアヤシイもんだ。
きょとんとした我が娘は、必死にキャプションの行間を行ったり来たりしながら “ミキちゃん” がどの人だかを探し始める。
その姿、仕種が、たまらなく可愛いと思うのは、親バカなんだろうか。 まあ、容姿が妻に似てくれて本当に良かった――とだけ言っておこう。
こうして、娘と洒落を言い合うのも良いものだ。
もっとも彼女にしてみれば、洒落たつもりはなかったのかも知れないが……。
「ミキちゃんって、この人?」
う~~ん、と唸った揚句に我が娘が指差したのは――。
「だから、それがスーちゃんだよ!!」
私は、声を荒らげそうになるのを、慌てて抑えなければならなかった。
こいつ――、《右》 と 《左》 の文字が、まだあやふやなのか……。
親バカはいくらバカでも良いが、子がバカなのは “事件” だぞ!!
――何も頭の中まで、そっくり妻に……。》
っとっとっと。 これはナシな (笑)。
◇
つまり、それはスーちゃんがセンターを外れて以降の写真だった。
《撮影日時不明》 と但し書には書かれているが――、だから少なくともデビュー当初のものではない。
まだスーちゃんがセンターに居て、悲哀をかこっていた無名時代の写真ではなくて、あえて日本中に大ヒットを飛ばしまくった頃のものを選んだのだろう。
――ほぉーう……。》
ちょっと興味深い。
「懐かしいね」 と呟く言葉の中にも、いろいろな意味が混じり込むのだ。
“当時” という時空を共有している人にとっては――。
――歳を取ったってことなのかなぁ……。》
と、しみじみ思う。
三船が逝った、黒澤が亡くなった、石原裕次郎が、手塚治虫が、美空ひばりが、岡本太郎が、司馬遼太郎が……。
そういう訃報に延々と接してきても、正直 「ああ、そうなんだ」 としか感じない。 「時空を共有する」 という感覚は、大変に主観的で曖昧だ。
もちろん、彼らがどれだけ偉大な人だったかは知っている。 が、これらは皆、はるか 「戦後派」 の人たち……。
だけど、スーちゃんだよ、スーちゃん!
あの、スーちゃんが……ねぇ。
◇
思わず空白になった私の顔に向かって、娘が急かすように訊き返してくる。
「じゃあ、どの人?」
現実の六畳間に引き戻された私は、にっこりと笑って考えた。
――だけど本当のことを言うと、私はあの頃は 「ピンクレディー」 寄りのセクトに居たんだよなぁ。》
…………。
「ああ、だけどね。 残念だけどお父さん、“ミキ派” じゃないんだな。 実はね、大の “ミーちゃん派” なんだ」
あくまでも、洒落には洒落で通してみるさ。
お陰で娘は、ますます話が見えなくなって、口をポカンと開けている――。
うん! やっぱり可愛いよ…… (笑)。
〔第1話 =了=〕