死神 La Mort
死神⋯人を死に誘うという神。Death, Grim Reaper《英》; La Mort 《仏》
青年は夢の中にいた。果たしてそれは夢なのだろうか?彼は大人になり、妻と子供と笑い合っていた。幸せな家庭そのものだった。その中で、彼は、自分に落とされた影を見た。妻と子供の影は、見当たらなかった。
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彼は目覚めた。知らない天井、ではなく、そこには、見慣れた独り暮らしの、くすんでおらず逆に白過ぎる天井が迫って来た。何気ない一日が始まるところだったが、しかしそこに、彼は異様なものを目に留めた。フード付きの黒いローブを纏い、大鎌を手にした、人のような者が浮いていた。
(これも夢なのか?)彼は思い、体を起こした。
彼の頭がはっきりするにつれ、彼はそれを現実と認めざるを得なくなった。その人ならざる者は、絵で見たような死神に、ある一つの点を除けば酷似していた。
「おはよう。」
彼はこう声をかけた。死神は驚いた様子で体を震わせ、持っていた鎌を取り落とした。鎌が机に突き刺さった。
「驚かないのか?」と死神。
「驚いているよ。」と青年。
「何よりも先ず、挨拶が大切だからさ。」
彼は好青年だった。彼は怯えを微かに含みながらも、堂々とした口調で続けてこう言った。
「それより、名前を知らないと不便だ。僕の名前は佐竹大也」
「ダイヤ?珍しいな。」
死神が口を挟んだ。
「そうだろう?ダイヤモンドのように強く、輝く人に、と思って名付けてくれたんだけど、完全に名前負けだ。」
大也は特に落ち込んだ様子もなく言った。
「そうか⋯。あぁ、俺の名前はリューヤだ。」
励ましの言葉が見つからないまま、死神も名乗った。
「リュ◯ク?」
大也が尋ね返した。
「リュー◯じゃない、リューヤだ。」
「⋯」
「⋯」
しばし沈黙が走った。
「リューヤか、よろしく。」
「⋯おう、よろしくな。」
リューヤは、思わず応えた。
「そう言えば、リューヤはどうしてここに来たんだ?もし黒いノートを持っていたとしても、僕は新世界の神にはなれないよ。」
大也は冗談めかして言ったが、リューヤの表情が曇ったので、態度を改めた。
「悪かったよ。君の事情を知りたいところだけど、学校に遅れるから、ひとまず朝食にしよう。」
残念ながら大也の家にはリンゴは無かったが、リューヤは冷蔵庫を物色した結果、ヨーグルトにシリアル、レーズン、牛乳を入れ、大也は食パンを焼いて目玉焼きをのせた。
「ヨーグルトに牛乳?」
大也が突っ込むと、リューヤは、
「液状に近い方が気に入っている。」と答えた。
どうやら死神は何らかのこだわりの強い者が多いらしい。
二人はテーブルについて朝食をとり、リューヤは彼の生い立ちについて語った。大也は相槌を打ちながらそれを聴いていた。
リューヤの話によると、彼は、いつ、どこで生まれたかも分からず、気が付くと人間界にいたという。
「それって、どういうことなんだ?」大也はいささか驚いて尋ねた。
「それが分からない。死神は普通天界で生まれる筈だが、俺にはそこに居場所がない。下界で俺のことが見える人は少ないし、たとえ見えたとしても、怖がられ気味悪がられるのがオチだ。」
リューヤは半ば諦めた様子で言った。
その時、大也が机を叩いて立ち上がった。彼は、リューヤには自分と似たところがあると感じ取っていた。だから、半分は自分に言い聞かせるようにこう言った。
「そんなことでいいのかい。確かに、自分の存在を不安に思うことはあるさ。でも、そんなものは自分で固めていくものだよ。」
大也は珍しく口調が熱くなった。
「そうだな。」
リューヤは、どこか安堵したようにも見えた。
行く当てのないリューヤは、人間観察も兼ねて、大也と一緒に登校することにして、二人は家を出た。
「それにしても、まさか本当に俺のことが見える人間がいるとはな。」
リューヤが呟いた。
「自分でも驚いているよ。もしかして僕一人だとか。」
大也は、生まれてこのかた、こういった類のものを見るのは初めてだった。だから、今朝リューヤに初めて会ったとき、驚きこそすれ、恐怖よりも、好奇心や期待が勝った。
「いや、天界での話によれば、死神が見える人間はいるにはいるらしい。なんでも、見える血筋というものがあるとかで、人間の一族と代々付き合いがある死神もいる、って噂だ。」
「へえ、それはどうして。」
「人間が若い時に死神と接触していれば、若いうちには他の死神には呼ばれない、まあ、つまり、その、なんだ、死なないっていうことらしいんだが。」
リューヤはかなり歯切れが悪く言った。
「俺は下界にいた時間のほうが長いから、天界のことはよく知らねえんだ。」
「そうか···。」
自嘲気味に言ったリューヤに大也は、このとき相槌を返すことしかできなかった。
「そういえば、大也の家族には、俺たちを見た、という話は伝わっていないのか?」
リューヤは気になったらしく尋ねた。
「僕は聞いたことがないな。でも、妹は霊感の類を持っているらしいから、見ることができるのかもしれない。」
「まあ突発的に見える人間も中にはいるらしいから⋯」
「運が良かった、ってことかな。」
「そうだな。」
二人はぎこちないながらも、少し笑い合うことが出来た。
二人は電車に乗った。リューヤはもちろん無賃乗車だった。やや混んでいる車内で、彼は乗客の中で文字通り浮いていた。
この人混みの中ではリューヤと話すことができなくても仕方がないかと割り切っていた大也の頭の中に突然、声が流れ込んできた。
「大也、大也。」
リューヤの声だった。
「どうやって⋯」と大也が思うと、また、
「それは念話さ。」とリューヤが答えた。
「念話?」
「そうだ。言い忘れていたんだが、死神は頭の中で会話できるんだ。」
少し誇らしげに、リューヤは言った。
「そんなご都合展開があるのか⋯。でも、これで怪しまれず話せるな。」
「そういうことだ。」
大也も楽しそうだった。
「そういえばそれ、どうやってるんだ?」
「どれのことだ?」
「リューヤが握っているそれのことさ。」
そう言って大也は、吊り革を指差した。
「ああ、これか。」
リューヤは頷くと、説明を始めた。
「俺たち死神は、普段は下界の物体に干渉しないんだ。だから壁とかもすり抜けられる。でも、電車とか動く物体の中だと、何もしていないと一緒に動かず、その場に取り残されてしまう。だからその時は、触れる物体を選択して、こうやって掴まることで一緒に動けているのさ。そうじゃないと、電車と同じスピードで動かないといけなくなっちまう。」
「なるほどね。便利なようで不便なのか。」
大也は高い理解力でこの長い話をこのように総括した。
そして、話がリューヤから大也の方へと移っていった。
「家を出る前はあんなことを言ったけどさ、本当は自分もよく分かっていないんだ。」
大也はポツリともらした。
彼は学校でうまくいっていないことや、家族と距離を置いていることを話した。
リューヤは、真剣に聴いていたが、その中で、大也が発した一言を、彼は聞き逃さなかった。不躾だとは思いながらも、彼の中の好奇心が鎌首をもたげ、こんな質問が彼の口を衝いて出た。
「恋人がいるのか?」
「!?恋人?」
大也はひどく動揺しかけたが、落ち着きを取り戻して言った。
「いや、⋯いや、否定しても意味がないな。実はそうなんだ。」
その時、これまで死神に対して物怖じせず会話を繰り広げていた青年が不意に憂いを顔に灯した。
「恋人と言っても、僕が一方的に想っているだけなんだけどね。昨年同じクラスで、その時もクラスに馴染めていなかった僕と、よく話してくれたんだ。趣味も合ったしね。」
「今年は違うのか?」
「そうなんだよ。だから、話すことはおろか、顔を見る機会さえも少なくなってしまったんだ。」
そんな折、二人の耳に急に子どもの声が飛び込んできた。公園の横を通り過ぎようとしているところだった。
「ぼくのボールが!」
見ると、小学校低学年くらいの小さな子どもが蹴っ飛ばしたであろう赤いボールが、公園のクスノキの枝に見事に引っかかっていた。
「これは、高いな。」
大也は見上げて呟いた。十メートルはあろうかという巨木の枝に抱え込まれた赤いボールは、囚われの身からなんとかして放たれようと、風でその身を揺らしていたが、落ちてくる気配はなかった。
その時、リューヤが浮き上がった。
「まあ見てろって。」
彼はボールのある高さまで到達すると、枝を揺らした。しかしボールは依然としてそこに留まったままだった。
「チッ、このボール、枝に挟まってやがる。」
リューヤは舌打ちすると、ボールを下から小突いた。
リューヤのことが見えない者からすれば、多少不自然なボールの動きだっただろうが、今度こそボールは自由の身となり、落ちてきたところを大也が受け止め、子どもに渡した。
「ありがとう!」
子どもは無邪気にお礼を言ったが、その次のひと言が二人を戦慄させた。
「メガネのお兄さん!」
二人は顔を見合わせたまましばらく固まってしまった。
「今の子、君が見えてたよね?」
「ああ、見えてたな。⋯まさか、一日に二人も逢うとはな。」
リューヤは心底驚いた表情を見せた。
二人がさらに歩いていくと、少し大きめの交差点に出た。もう学校のある通りまで来ていた。
「あっ。」
突然大也が声を上げた。
「どうした?」
「ほら、あそこ、あの信号待ちをしている人。あの人がさっき言った僕の好きな人だよ。」
「そうか、綺麗な人だな。」
リューヤはお世辞ではなく心からそう言った。
「追いつくか?」
「やだよ。今年度に入ってからほとんど話したことがないもの。」
そんな会話が繰り広げられている中、一台のトラックが、彼らを追い抜き、信号の変わろうとしている交差点に突っ込んでいこうとしていた。
「待て、あのトラック、曲がろうとしていないか?」
リューヤが気が付いて言った。
「バカな。もう信号が変わる。そしてここは、歩車分離式信号機だぞ?」
言うが速いか、大也は走り出していた。
「あ、おい、待て!」
リューヤの声が後ろで聞こえた。
彼女は何か本を読んでいるのか、気が付いている様子がない。トラックの高い運転席からでは、彼女の姿は見えていないかもしれない。
どうか間に合ってくれ。
今更彼女が気付いても、もう遅い⋯
「危ないっ、三國さん!!」
叫ぶと同時に、大也は思わず飛び出していた。
ブレーキの甲高い音が道じゅうに響いた。
彼は彼女に覆いかぶさると、目を瞑った。一秒、二秒。衝撃が来ない。彼は顔を上げ、思わず短く叫んだ。トラックの鼻先が、彼らまであと数十センチメートルのところで止まっていた。二人の周囲には、黒い靄が立ち込め、刃の破片のようなものが落ちていた。彼は瞬間に全てを悟った。リューヤが、身を挺して救ってくれたのだ、と。
「そんな⋯」
彼はしばらく動けなかった。自分たちは助かったのだという安堵と、一人の友を亡くした悲しみという二つの大きな感情がうずまき、せめぎ合っていた。
「あ、あのっ⋯!」
彼女に声をかけられて、彼は我に返った。
「助けてくれて、本当に···、ありがとうございますっ。その、怪我はないですか?」
心配そうな彼女の目に見つめられ、彼はどぎまぎしながらこう答えようとした。
「僕は大丈夫だけど、これは、僕じゃなくて⋯」
その時、あの声がした。いや、気のせいかもしれないが、確かにこう言った。
『お前の勇気が、助けたんだろ。』
大也は一瞬辺りを見回したあと、小さく頷いた。
「君に怪我がなくて、本当に良かった。」
二人は思わず、見つめ合った。
「あのっ、佐竹君だよね?」
照れくさそうに視線をそらしながら、彼女が言った。
「覚えてくれてるの?」
彼はもっと照れくさかった。心臓の鼓動を押さえつけながら聞き返した。
「もちろん。」
彼らは道の端に移動していた。通報を受けた警察が到着するまで、彼らは二人きりを過ごした。警察の事情聴取を受けたあと、二人は連れ立って学校に行った。大也はゆっくり歩いた。二人の時間をかみしめながら、斜め上に浮いていた彼を思い出しながら⋯⋯。
学校が終わり、家に帰った大也が部屋に戻ると、ある物が彼の目に留まった。机の上に、リューヤの鎌が刺さった傷跡がうっすらと残っていた。そして、リューヤがかけていた銀縁の眼鏡が、存在を強く主張するわけでもなく、そこに静かに佇んでいた。
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青年は大人になり、妻と子供と笑い合っていた。幸せな家庭そのものだった。
ある日の十五時頃。
「ねえ、おとーさん、ヨーグルト食べてもいい?」
「ああ、いいよ。」
「やったー!」
彼の娘は冷蔵庫からヨーグルトと一緒に、あるものを取り出した。そして、ヨーグルトを器にあけると、あるものを注ぎ、次いで、シリアル、レーズンを入れた。
彼は笑って、娘にこう言った。
「お父さんの分も作ってくれる?」
――完――
龍蛇⋯超短編を得意(?)とする、新人(素人)小説家。




