第9話:聖域の灰、復讐の産声
第三町田高校の爆破テロから三日。
瓦礫の下から這い出した黒煙は、冬の町田を「戦場」へと塗り替えていた。久保寺あこは、煤の混じった不快な風を切り、祖父であり師でもある久保寺耕介の探偵事務所へと駆け込んだ。
扉を開けた瞬間、あこを襲ったのは異様な「沈黙」だった。
ぶちまけられた調書、粉砕されたハードディスク。かつて数々の難事件を解き明かしてきた「聖域」が、物理的な暴力によって蹂躙されていた。
「おじいちゃん……?」
返事はない。ただ、冷え切った空気の中に、粘りつくような鉄の匂い――血の香りが漂っていた。
足元で、もみじが悲痛な遠吠えを上げ、奥の執務室へと突進する。あこが後を追うと、そこにはデスクに突っ伏し、自らの血の海に沈む耕介の姿があった。
「おじいちゃん! 目を開けて!」
伝説と呼ばれた男の背には、躊躇いのない刺創が刻まれていた。混濁する意識の中、耕介の手は犯人のものと思われる衣服の破片を死肉のように掴んで離さない。
あこが止血を試みる傍らで、パソコンの画面が不気味に明滅した。
『素晴らしい幕間劇だろう、警部。
正義という名の玩具に執着するあまり、君は最も守るべき「根源」を枯らした。
これ以上の続編は不要だ。……筆を置け。さもなくば、次は君の血でサインを書くことになる』
卑怯者。あこは奥歯が砕けるほど噛み締めた。
犯人の狙いは、あこの心を「絶望」という名の舞台装置で圧殺することだ。瀬戸と澪を死の物語に閉じ込めたように、今度はあこを「無力感」の檻へ誘い込もうとしている。
搬送される耕介の、あまりに小さくなった背中を見送った後、あこは一人、血の乾き始めた床に立ち尽くした。
その時、もみじが部屋の隅、影の溜まり場で鋭く吠えた。
そこには、一点の「青いボタン」が、嘲笑うように転がっていた。
第三町田高校、教職員用ジャケットのボタン。
「……おじいちゃんを、私の家族を、あなたの『脚本』の犠牲にはさせない」
あこの瞳から温度が消え、冷徹な殺意を孕んだ「狩人の目」が宿った。
犯人は、あこを折るために耕介を襲った。だがそれは、眠っていた久保寺家の狂犬を解き放つ、致命的な誤算となった。
もみじが、主人の殺気に呼応するように牙を剥く。
二人の心中、校舎の爆破、そして恩師への襲撃。
あこは、祖父が血を流して守り抜いた資料の中から、一人の教職員の顔写真を鷲掴みにした。
「犯人は、あの教室の中にいる。……それも、瀬戸先生の『絶望』を一番特等席で眺めていた人物よ」
夜の町田。復讐の産声とともに、一人の警部と一匹の影が、真実の喉元を食い破るために走り出した。




