第三話
愛香が翔太になって、一ヶ月が経った。
翔太が誰になったのか。未だにまったく分からない。
偽物は誰なのか。想像はできるが、断定はできない。
ただひとつ、耳にしたことがある。
偽物は、色んな男と寝ているという。
最悪だった。自分の人生設計が狂ったことに、愛香は唇を噛み締めた。
今後、翔太が誰になったのかを突き止めて、自分の体に戻れたら。
地元から大きく離れた大学に進学して、人生をやり直そう。地元の人達と縁を切るんだ。将来の結婚相手に、過去を知られないために。
人生の方向転換を考えながら、愛香は、今日もクラスメイトを観察していた。いつものように机に突っ伏し、こっそりと。
愛香はすっかり、翔太として行動することに慣れてしまった。翔太の母親とも普通に話せている。五味達にいじめられるときは、できるだけ痛い思いをしないように工夫している。教室でパンツを脱ぐよう強要されたこともあるが、これは別にどうでもよかった。晒されるのは自分の体じゃないのだから。たぶん、以前のように校舎裏でオナニーをさせられても、どうでもいいと思えるだろう。
すっかり慣れて、耐えられるようになった。
――あ……
胸中で、唖然とした声が漏れた。
翔太として生活することに馴染んだ自分。そんな自分を、愛香は自覚した。惨めな自分を受け入れている。毎日唾を吐きかけられ、小便を浴びせられるような生活が、当たり前になっている。
胸の中で、悔しさが沸々と湧き上がってきた。悔しくて悔しくて、たまらない。死にたくなるほど悔しい。
――私は、こんなに無様な人生を歩む奴じゃないのに!
顔を歪ませ、その顔を誰にも見られないようにしながら。
愛香は、教室で聞こえる声に耳を傾けた。
昼休み。たぶんもうすぐ、五味達がやってくる。今日も翔太を――愛香を嬲り倒すために。もっとも、彼等はまだ昼食を食べているが。
五味と、偽物と、真紀、小町、翼、優花。彼等は、今日も一緒に昼食を食べている。ゲラゲラと笑い、大声で話しながら。
「で、愛香。昨日は誰とヤッたんだ?」
下劣な会話を切り出したのは、五味だった。あいつは、あろうことか、色んな男と寝るように愛香に勧めたのだ。自分の恋人なのに。「俺も色んな女とヤッてるから、お前もしてみろよ」と。外見だけがいい、どうしようもないクズ男。性に貪欲な彼のことだから、恋人を寝取られるという経験もしてみたかったのだろう。誰かに寝取られた恋人と、セックスをしてみたい。
「昨日の相手はイケメンだったよ。ナンパしてきた奴なんだけどさ。顔が、吉田亮に似てるの」
吉田亮は、整った顔で有名な俳優だ。でも、どんなに顔がよくても、ナンパしてきた奴と簡単に寝るなんて。
愛香は、自分の体に入っている人物を、四人のうちの誰かだと目星をつけていた。真紀、小町、翼、優花。
ナンパをしてきた顔のいい男と、簡単に寝た。ということは、愛香の体に入っているのは、外見至上主義の真紀だろうか。
「一昨日は? 一昨日は誰とヤッたの?」
続けて聞いたのは、当の真紀だった。
偽物はフフンと笑った。
「一組の滝川。なんていうか、小動物系で、ベッドの上でも可愛くて。ついムラムラして、ガンガン攻めちゃってさぁ」
明らかな肉食系のセリフ。ということは、愛香の体に入っているのは、小町だろうか。真性の腐れビッチ。
偽物は、聞かれてもいないのに話を続けた。
「そういえば先週、隣りのクラスの奴等にカラオケに誘われてさぁ。そうしたら、なんか、松前君に迫られちゃった。『ずっと好きだった』とか言われて。なんか雰囲気に負けて、押し切られて。つい、カラオケから抜けて、ホテルに行っちゃったんだよね。まあ、別に、松前君に興味があったわけじゃないんだけど」
興味もない男と、雰囲気に押し切られて寝てしまう。とういうことは、愛香の体に入っているのは、翼だろうか。言葉と股の緩さが一致しない、馬鹿女。
「愛香、最近ハイペースだね。他には、どんな男とヤッたの?」
優花の質問に、偽物はニヤリと笑った。
「私さ、ちょっと優花の真似してみたんだよね。SNSに、裸をアップしてみたの。そしたら、メチャクチャ男達が食いついてきてさ」
「その中の誰かとヤッたの?」
「うん。食ってみた」
自分のヌードをインターネットにアップロードし、男を捕まえて寝る。そんな馬鹿なことをするのは、愛香の周囲では優花くらいだ。では、愛香に入っているのは、優花なのだろうか。救いようのない変態女。
偽物の言動に、愛香は絶望さえ感じた。偽物が誰なのか、判断がつかない。さらに、最低の生活を送っている。早く自分の体を取り戻さないと、取り返しのつかないことになる気がする。妊娠とか、性病とか。
誰が自分になったのか。
翔太は誰になったのか。
未だに分からない。
現状の打開策は、皆無と言っていい。
昼食を食べ終えると、五味達が、今日も愛香のところに来た。
今日は、どんな虐められ方をするのだろうか。
今日は、どれだけ嬲られるのだろうか。
肉体的な苦痛を与えられるのだろうか。
それとも、教室の中でパンツを脱がされたりして、精神的な苦痛を与えられるのだろうか。
クラスの中に、愛香を――翔太を助けようとする人などいない。自分が、虐めの標的になりたくないから。見て見ぬ振り。あるいは、五味達に同調して、翔太を笑いものにする。
「おら! 起きろ! 今日もお楽しみの時間だ!」
五味が愛香の椅子を蹴った。
翔太の姿をした愛香は、今日も床を這いつくばった。




