61.無敵の彼女
「──それで、ご両親は……わかってくださったんですか?」
いつもの定食屋。金曜日の昼間。
カウンター席に並んで座るナツとなみの間には、湯気の立つ味噌汁と揚げたてのコロッケ定食が置かれていた。なみが箸を止め、ナツの顔をのぞき込むように尋ねる。
ナツは少しだけ目を伏せ、箸を小皿に置いた。
「……すべてを、ってわけじゃないと思う。受け入れた、とはまだ言えないかな」
「えっ……あんなにちゃんと伝えたのに?」
「うん。母は、あの日“もう東京に帰ったら?”って珍しく言ったの。泊まる予定じゃなかったとはいえ、ああいう言い方するのって……やっぱり、受け止めきれてないからだと思う」
「……考えすぎじゃないですか?だって、ナツ先輩のご両親、ちゃんと話聞いてくれたんですよね」
「うん、でも──母からメッセージが来たの。“お父さん、初めて泣いてた”って。」
なみが動きを止め、そっとナツの横顔を見る。
「私が東京に出るときも、父はずっと反対してたから。たぶん、あれ以来だったと思う。私のこと、本当はずっと気にしてたんだなって……」
「そっか……ナツ先輩は、一人娘ですもんね」
「うん。だから、余計に心配もしてるんだと思う。雪さんのことがどうこうじゃなくて、“自分の知らない娘の人生”に戸惑ってるのかも」
ナツは小さく息を吐いた。
コップの水に手を伸ばすその指先が、少し震えているように見えた。
「……でも、私はもう逃げない。これが本当の私だから。ずっと嘘ついて生きるのは……いやだなって思うの。時間はかかるかもしれないけど…少しずつね」
「……ナツ先輩って、ほんと……さらに強くなりましたね」
なみの言葉に、ナツは驚いたように笑う。
「そうかな?」
「はい。なんかもう、無敵」
「無敵……ってそんなことないよ」
「えー、だって。元アイドルで超美人な彼女がいて、一緒に仕事もしようって言ってくれて、支えてくれて……。なにそれ、少女漫画ですか?」
「ふふっ……確かに、夢みたいかも。でもね、ほんとに現実なんだって、最近ようやく思えるようになったの。あの日から……ずっと、夢の続きにいるみたいな気がしてる」
なみが笑みを浮かべたそのとき、ナツのスマホがテーブルの上で震えた。
「……先輩、電話ですよ?雪さんじゃないですか?」
「ほんとだ……」
なつはスマホを手に取り、ディスプレイを確認すると微笑んだ。
「出てください。私、聞き耳立てとくんで!」
「もー……なみちゃん」
それでもナツは頬を緩めて通話ボタンを押す。
「……もしもし?」
『ナツ? 今日の仕事終わり、迎えに行くから。連絡してくれる?』
「今日って……なにかあったっけ?」
『ホテル取ってあるの。……来てくれるでしょ?』
「っ……」
「キャー!!!」
隣でなみが歓声を上げる。ナツは慌ててスマホを片手で押さえる。
「ちょっ、なみちゃん!」
『え……誰かいるの?』
「ごめん、後輩のなみちゃんが、隣で聞いてて……電話、聞きたいって」
『そっか……ふふ、恥ずかしいな』
「でも、ごはん三杯はいけそうって言ってるよ」
『面白い子だね。……じゃあ、仕事終わったら連絡して』
「うん、するね」
『……待って』
「え?」
少しだけ沈黙があって──その声は、静かに届いた。
『ナツ……愛してる』
「ギャーーーーーーーー!!」
「なみちゃんっ!!」
「もうっ、今の完璧すぎて、やばいです!雪さんも絶対わかってやったでしょー!」
ナツがあたふたする中で、スマホの画面にはすでに“通話終了”の表示が出ていた。
なみは笑いながら、箸をもう一度手に取る。
「……ああー、これで一週間は生きていけます」
「ほんと……もう……」
笑い合いながら、ナツはスマホをそっと胸にしまった。
夢の続きみたいな日々。
でもこれは、ちゃんと自分で選び取った現実。
──この先も、雪さんと一緒に歩いていけるなら、きっと私は大丈夫。




