59.両親への告白
数日後の午後。
曇り空の下、ナツは雪とふたりで実家の門をくぐった。
予定よりも早く帰省の連絡をしていた。
胸の奥が重く沈む。でも、逃げたくはなかった。
涼しい風が吹き抜け、ざわついていた心をほんの少しだけ冷ましてくれる。
「ナツ、大丈夫?」
隣を歩く雪が、小さく問いかける。
「うん……。少し怖いけど、でも……もう逃げたくない。自分の人生、ちゃんと選びたいから」
「……私、隣にいるから。どんなときも」
そう言って、雪がナツの手をそっと握る。
ナツの手は冷たく、震えていた。けれど、雪のあたたかさがゆっくりと伝わってくる。
「ありがとう、雪さん」
その手を握り返したとき、ほんの少しだけ、勇気がでた気がした。
ふたりは無言で玄関までの道を歩いた。
呼吸が苦しいほど緊張しているはずなのに、手のひらのぬくもりが、しっかりとナツの背中を押していた。
「ただいま」
玄関を開けたナツの声が、懐かしい空気に溶けていく。
「おかえりなさい。雪さん、久しぶりですね」
母親が顔を出し、すぐに丁寧に頭を下げる。
父親もその後ろから現れ、会釈をした。
「ごぶさたしております」
「本当に……テレビや雑誌で拝見してます。すごく活躍されてるんですね」
「ありがとうございます」
「こんなところで立ち話もなんだから。あがって、あがって」
リビングへと通される。
昔と変わらない部屋。けれど今日は、目に見えない緊張が空気を支配していた。
「雪さんは、今もアイドルのお仕事を続けていらっしゃるの?」
母親が紅茶を差し出しながら訊ねる。
「はい。ただ……今年いっぱいで一度、活動を休止する予定です。おそらく、あさってには正式に発表されるかと」
「まあ、そうだったの……それじゃあ、なにか新しいことでも?」
「ええ、ダンススタジオを開こうと思っています。小さな場所ですが、自分で経営を」
「それは立派だね」
父親が、少し驚いたように言った。
「いえ、そんな……でも、アイドル活動のおかげで多少は名前も知られているので、予約は思ったより入ってくれそうです」
「ナツ、あなたもそこでお世話になったら?会社辞めるって言ってたでしょう」
母親が言った瞬間、ナツの心臓が大きく跳ねた。
──今だ。
ナツは息をのむように、深く吸い込んだ。
「うん……それで、ね。今日は、大事なことをふたりに伝えたくて、来たの」
父も母も、自然と姿勢を正す。
雪はナツの手をテーブルの下でそっと握った。
「私……いま…今ね、雪さんと、お付き合いしてるの」
一瞬で、空気が変わった。
紅茶を注ぐ手が止まり、時計の針の音だけが、やけに大きく響く。
「それは……どういうこと?」
母親の声が、わずかに震えていた。
「ナツさんと、お付き合いしています。同性カップルとして、です」
雪が、まっすぐにナツの両親を見て言った。
ナツの手を離さず、ゆっくりと、言葉を置くように。
「今日は、それをお伝えするために伺いました」
ナツは喉の奥がつまるのを感じながらも、言葉を紡ぐ。
「……びっくりしたと思う。無理に受け入れてほしいとか、そんなつもりじゃないの。ただ……わたしの人生に、嘘をつきたくなかったから。だから……来月のお見合いの話は、申し訳ないけど断ってもらえたらって……」
「……」
父も母も、言葉を失ったまま、沈黙が落ちる。
リビングの空気が、目に見えるように冷えていく。
「……実は、10年前にもお付き合いしてたの。でも、色んなことがあって別れて……水月さんのことがあって……また、会って……やっぱり、お互いに好きだって、わかったの。だから、もう隠したくない」
ナツの目に、涙がにじむ。
けれど、それは悲しみではない。
ようやく言えたことの安堵と、自分自身に嘘をつかなくなれたことの誇りだった。
「今まで、隠していて……本当に、ごめんなさい」
沈黙の中、母親がようやく口を開く。
「……いえ……ごめんなさい。ちょっと……いきなりのことで、混乱してるの。たぶん、お父さんも」
その声は、ただ、受け止めきれないまま戸惑う、母親としての正直な色が滲んでいた。
父は、無言のまま紅茶のカップを見つめている。
「雪さんのご両親は…?」
「私の両親は、私がアイドルの活動を休止するといったときに、私と縁を切ったんです。もう娘じゃない、出て行けと。でも私は悔いはありません。私の人生なので。両親が受け入れてくれないことはどうしようもないんです。だから…ナツのことを何か言われることもありません」
「じゃあ、世間にはどう説明するんですか…」
ナツの父親が、ぽつりと訊ねる。
「私はナツさんが公表したいと言えば、公表することも厭わないつもりでした。でも…」
「私が言う必要はないといったの。もうすぐ雪さんは活動を休止するし。私はそういうことを世間に見せつけるために恋愛してるわけじゃない…ただ、雪さんと居れたらそれでいいから。雪さんは、私の気持ちを尊重してくれてるの」
「でも、世間にバレたときはどうするつもりなんですか」
「そのときは隠すつもりはありませんし、ナツさんに危害がないように配慮するつもりです」
「…」
重たい沈黙。
しかし、雪はナツの手を握りしめたまま、二人は真っ直ぐにナツの両親を見ていた。