58.10年ぶりのキス
ナツの涙を拾うように、雪はそっとその頬に唇を寄せた。
やさしく、まるで祈るようなキスだった。
そして、どちらともなく目を閉じる。
10年の時を越えて、ふたりの唇が重なった。
ずっと触れなかったはずなのに──。
それはまるで、何度も確かめ合ってきたかのような、懐かしくて、温かな口づけだった。
吐息とともに、ナツの背中がソファに倒れる。
雪の手がそっと髪を梳き、額に触れたとき、ナツは小さく声をもらした。
「……雪さん、わたし……汗かいてるから……」
その言葉に、雪は体を起こす。
ナツの頬にかかった髪をやさしく耳にかけながら、穏やかに微笑んだ。
「うん……わかった。シャワー、先に入って。──今日は、泊まっていってほしい」
その言葉に、ナツは小さくうなずいた。
自分がシャワーから出たあと、雪が浴室に向かうと、ナツは胸の鼓動が静まらなかった。
久しぶりに見る雪の後ろ姿。濡れた髪をかき上げていた仕草。
全部が、愛おしくて、でも怖くて。
変わった自分を、どこまで雪が受け入れてくれるのか、自信なんてなかった。
それでも、ふたりの距離は確かに近づいていた。
──シャワーの音が止まった。
「水、飲む?」
バスルームから出てきた雪が言う。
白いタオルに包まれたその姿がまぶしかった。
「うん……」
ボトルから直接水を口に含んだ雪が、ナツの唇に顔を寄せた。
次の瞬間、雪の口から、冷たい水がナツへと流し込まれる。
「……んっ」
驚きとともに喉を鳴らして水を飲み込んだナツは、はっと息を吸い込もうとした──そのとき。
雪の瞳が変わった。
10年前にも見たことのある、あの目。
何かをすべて飲み込むような、深く、静かで、けれど情熱を秘めた目。
そのままナツの体は壁へと押しやられる。
深く、迷いのないキスが降ってきた。
重なり合う唇。絡まる舌。吐息が交わり、心が震える。
ナツは必死で、雪のキスにこたえた。
「好き」と「会いたかった」があふれて、涙がまたこぼれそうだった。
「……10年たっても、ナツは変わらない。……やっと取り戻した。わたしの、ナツ」
雪がそうささやいて、ナツの頭をひと撫でし、手首をとる。
そのまま、寝室へ。
──ぽふん。ベッドに背中を落としたナツの上に、雪がそっと重なった。
「もう……絶対に離さないから」
その囁きが、ナツの耳元をくすぐる。
「だから……もう一度、わたしのものになって」
ナツは目を閉じた。
その言葉が、うれしかった。
雪の手がそっとナツの胸元に触れたとき、ナツは雪の手をぎゅっと握った。
「……まって。……あのね……」
ナツの声は震えていた。
「……わたし……もうむかしの……」
雪はその手を包むように握り返した。
「ナツ……だいじょうぶ。わたしは、今のナツが好き。たとえ10年たって、色んなことが変わっても──気持ちは、変わってない」
ナツの胸がきゅうっと締めつけられる。
こんなにもまっすぐに、今の自分を受け止めてくれる人がいる。
それがただ、うれしくてたまらなかった。
「……うん」
涙まじりに頷くと、雪はやさしく頬をなでた。
そして、ナツの唇に、そっと口づけた。
──夜が、深く、静かに、降りていく。
ふたりの重なった手。交わる呼吸。
10年分の寂しさも、言えなかった言葉も、すべてこの一夜に溶けていく。




