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50.お別れ会

定食屋に戻ったナツの目は、どこか遠くを見つめていた。


その様子に、なみはすぐに気づいた。


「ナツ先輩、大丈夫ですか?」


「……うん」


口元だけで微笑もうとするナツの瞳は、潤んでいた。明らかに大丈夫ではないと、なみは感じていた。


「昔、ファンだったんですよね?」


「そう……。水月さんに、誕生日会を開いてもらったことがあるの」


「えっ!? 知り合いだったんですか? ナツ先輩が入社された時には、もう卒業されてたはずじゃ……」


「うん。でもね、昔付き合ってた人が水月さんと知り合いで。そのときに」


「すごい……」


なみが驚きと尊敬を込めて言ったその言葉に、ナツは小さく頷いた。


「私にとって、水月さんは本当に……尊敬する人だった。アイドルとしても、人としても、ずっと、あこがれで……」


そこで言葉が詰まり、ナツは顔を伏せた。こぼれそうになる涙をなんとか堪える姿に、なみはそっと手を伸ばし、背中をさすった。


「さっき会社のグループチャットで連絡があって……今週末、お別れ会が開かれるそうです。出席できる人は、参列してほしいって」


「……うん。行く」


「私も、一緒に行きます」


「ありがとう……なみちゃん」


ナツの声はかすかに震えていた。


***


週末。

お別れ会の会場には、静かな緊張と沈痛な空気が漂っていた。


白を基調とした花々に囲まれた写真。その中央で、笑顔の水月がこちらを見ていた。


ナツは、歩き出す足をためらった。あれから10年──一度も連絡は取らなかった。今さら顔を出す資格なんて、あるのだろうか。


それでも、遠くから見つけた。マスターの姿、そして──葉月の姿もあった。


声をかけることはできなかった。ただ、その後ろ姿が、どこまでも寂しそうに見えて、ナツの胸を締めつけた。


会場をあとにしようとしたそのとき。


「ナツちゃん」


振り返ると、そこに葉月が立っていた。


「……葉月さん」


声をかけられたナツの顔に、なみは目を丸くする。


「久しぶりだね。来てくれてありがとう」


「いえ……こんなことになるなんて思わなくて……私……」


「気にしないで。少し、こっちで話さない?」


葉月が、会場の奥にある控え室を指差した。


「でも……」


ナツは戸惑い、なみのほうを振り返る。


すると、なみはすぐに察して微笑み、首を振った。


「先輩! 行ってください。……このあと用事あるんで、先に帰りますね」


「ごめん……なみちゃん」


「いいんですよ、あとでいろいろ教えてくださいね!」


なみは明るく笑いながら、会場をあとにした。


その様子を見届けてから、葉月が言った。


「あの子が今のナツちゃんの彼女?」


「ち、違いますっ」


ナツは慌てて首を振る。


「なみちゃんは、私の会社の後輩です」


「そっか。ごめんね、気をつかわせちゃって」


「いえ……話しかけてもらえて、うれしいです」


葉月がわずかに微笑む。その顔には、年齢以上の深い疲労と、消えない哀しみがにじんでいた。


控え室の中。花々の香りが漂う中、ひときわ目を引くひとつの花束があった。


それには、「雪」の名前が記されていた。


「雪ちゃん、今日は仕事で来られないからって。昨日、先に顔を出してくれてたの」


「そう……なんですね」


「でもね、あれから雪ちゃん、ナツちゃんのこと全然話さなくなったの。……別れたんだよね?」


ナツは小さく頷いた。


「何があったの?」


「私が……私が悪かったんです。Springに受かったことで、調子に乗ってて。雪さんに酷いことを言ってしまって……」


視線を落としながら語るナツの言葉を、葉月は黙って受け止めていた。


「……何があったか全部はわからない。でもね、後悔だけはしない人生にしてほしいの」


「……葉月さん」


「水月は、1年前にガンが見つかったの。気づいた時にはもう手遅れだった」


ナツは息をのんだ。


「……雪さんは知ってたんですか?」


「知らなかったよ。言えなかった。雪ちゃん、今はソロでやってるけど、活動は今年で休止するの。……今でも水月みたいなアイドルになりたかったって言っててね。そんな姿見てたら、病気のことなんて言えなかった。水月も同じ気持ちだったと思う。『雪ちゃんには、言わないで』って、私に」


「……そうだったんですね」


「でもね、水月、最後まで幸せだったって。あんなに苦しかったのに……ずっと笑ってたの。『葉月と出会えてよかった』って……」


涙が、葉月の頬を静かに伝った。


「私は……最愛の人を亡くして、毎日が空っぽなのに。水月は、最後まで『後悔なんてない』って笑ってたの。……あの人、強すぎるよ」


ナツは言葉を失い、その場に立ち尽くす。


「人間って、いつ死ぬかわからない。だから、後悔しないように生きなきゃダメなの。私はね……ナツちゃんと雪ちゃんが、まだ心のどこかで後悔してることがあると思ってる。だから、もし私の言葉が届くなら……もう一度だけ向き合ってほしい」


「どうして、そんなふうに……私なんかに……?」


「さあね。……水月に、どこか似てるからかな。放っておけないんだよ」


そう言って、葉月は泣き笑いを浮かべた。


その手に握られていたのは、1枚の名刺だった。


「これは……?」


「雪ちゃんが主催する、これから開く予定のダンススタジオ。……もし、少しでも気になるなら。会いに行ってあげて」


ナツは震える指で、その名刺を受け取った。

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