46.10年後
「……雪………さん」
その名前を口にするのは、何年ぶりだっただろうか。
雪と二人で撮った写真片手に帰省した自室で一人呟いた。
10年前、あの雨の日に交わした最後の言葉。
別れの言葉と一緒に胸に突き刺さった痛みは、今でも抜けきらないままだった。
10年間、雪を忘れた日は一度もなかった。
テレビをつければ、そこに彼女はいた。
誰よりも美しく、堂々とステージに立ち、スポットライトを浴びていた。
駅のポスター。ビルのサイネージ。コンビニの雑誌の表紙。
街はまるで、雪の残像で溢れていた。
「……また出てる」
目にするたび、胸がきゅっと縮こまる。
それでも歌もダンスも続けていた。
アイドルを目指しているわけじゃない。
でも、あの日々の延長線にまだ立っていたかった。
踊っていれば、いつかまた雪が隣に来てくれるような気がして。
けれど、仕事以外で文章を書くことはなくなっていた。
「……もう書けないよ」
その時だった、ナツの母親が慌てて部屋にやってくる。
「ナツ、大変!すぐテレビつけて!」
「どうしたの、お母さん?」
「あなたの会社のアイドル、なんか不倫だかスキャンダルだか……社長もでてるの!」
心臓が一瞬止まったように感じた。
リモコンを手に取り、テレビの電源を入れる。
ニュース番組の画面には、事務所の人気アイドルの顔写真とともに、不倫報道、パワハラ、経営問題――次々と見出しが踊っていた。
ナツの勤めるアイドルプロダクション。
「……嘘、でしょ」
言葉が喉に詰まり、目の前がにじんだ。
「もう辞めなさいよ。あんなとこ」
母の声は、静かに、けれど強く響いた。
ナツはテレビを見つめたまま、しばらく何も言えなかった。
でも、気づいていた。
もう、終わりにしなきゃいけないのだと。
雪の幻影を追い続けるのも、過去に縛られ続けるのも――
そろそろ、自分を解放してあげなければいけない。
「……うん。辞める。私、辞めるよ」
ゆっくりと、けれどはっきりと頷いたその声に、嘘はなかった。
新しい自分を、生きなければ。
あの日の恋を過去に置いて、未来へ進まなければ。
雪のいない明日へ――
それでも、歩き出さなければいけないのだと。




