43.嵐
6月。
Autumnの社内では、新しいチームデビューに向けて、日々慌ただしさを増していた。
新チームの名前は「Beautiful & Breezy」――通称BB。
クールで華やか。両方を兼ね備えたメンバー構成とあって、社内でも話題はBB一色だ。
「ねえ、BBのセンターに選ばれた雪ちゃんって、すごく綺麗なんでしょ?」
「うん、超色っぽいんだって。顔立ちも洗練されてるし、スタイルもいいし」
「私、半年前にレッスン見に行ったときは、そんなに目立つ感じじゃなかったけど……こないだ、デビュー用の動画撮影で見たら、もうびっくりした。雰囲気が全然違うの。色気もオーラも、完全に仕上がってた」
「えー見たい見たい! 今度レッスン覗きに行こうかなあ」
笑い声が飛び交うオフィスの片隅で、封筒が一通、総務の机に届いた。
宛名はない。ただの白い封筒。
「何これ……?」
不思議そうに開いた女性社員が、中身を見て絶句した。
「……なにこれ……え? 雪ちゃん?」
手元の写真をもう一度、目を凝らす。
そこに写っていたのは――
ホテル前と思われる場所で、キスを交わす二人の姿。
そのうちの一人は、間違いなくBBのセンター候補・雪だった。
「ちょっとこれ……やばくない?」
「え、マジで……どこから送られてきたの?」
「わかんない。差出人の記載ない。でも、これ……相手、女の子じゃない?」
「うそ……やば……それはそれで萌える。これ、ほんとに雪ちゃん?」
「そんなこと言ってる場合?でも間違いないと思う。やばくない? スキャンダルってレベルじゃないでしょ」
「どっかの編集部が嗅ぎつけたのかな。まさかこのタイミングで……」
ざわめく声が広がっていき、社員たちの顔が強張っていく。
「早く……部長に……連絡しないと……!」
***
雪は会議室に呼び出されていた。
重く閉ざされたドアの向こう、ただならぬ空気に、心臓の鼓動が少しだけ速くなる。
部屋の中央に座っていたのは、オーディションの最終選考でもナツを見ていた、あの上司だった。
「ここに呼ばれた理由、わかるか?」
低く、重い声。
「……いえ」
雪は正直に答えた。口元はきゅっと引き結ばれていた。
上司は無言で、一枚の写真を差し出す。
ナツと雪――あの日、ホテル前で交わしたキスの瞬間が、克明に切り取られていた。
雪の目がわずかに揺れた。
「……っ」
写真を見ている間だけ、彼女の眉は一瞬、悲しげに歪んだ。
「付き合っているのか?」
雪は静かに頷いた。
「……別れろ」
短く、鋭く。まるでその言葉が決定事項であるかのように、男は言い放った。
「……」
「その子、オーディションに来た子だろう?」
「ナツと、アイドル業は関係ありません」
静かに、しかし確信をもって雪は言った。
「ある!!」
男はテーブルを指先でとん、と叩く。
「うちは、これからお前を中心にチームを売り出していく。会社として、相応のプロモーションも動いてる。Springの水月と葉月以来の大型プロジェクトなんだ!メディアも企業もお前に注目してる。これがどういうことかわかるか?」
雪は目を伏せたまま、動かなかった。
「そんな中で、こんな写真が流れたらどうなる? たとえ相手が男でも問題なのに、女だなんて……リスクが大きすぎる」
「……それでも、私は――」
言いかけた雪の声を、男が遮った。
「いいか、雪。お前、アイドルになりたかったんだろ。年齢隠してでもなりたいってはいってきたんじゃないのか、あの覚悟はどこに行ったんだ!」
雪のまつ毛が、わずかに震える。
「だったら、別れろ…これが芸能界だ。恋愛は禁止だ。相手が男でも女でも、関係ない」
ザアーー。
外では、突然大粒の雨が窓を打ち始めた。
テレビのニュースが音を立てて流れる。
「――春の台風が予想より早まり、関東地方に接近。今後の進路によっては、今夜にも……」
二人ともその声に耳を傾けてはいなかった。
雪は、まっすぐに写真を見つめていた。
確かなキス。
この瞬間が、自分にとってどれほど大切だったか。
この一枚を否定しなければならないという現実が、重くのしかかる。
「……どうするかは、お前の判断に任せる。でもな、デビューしたら、お前はもう“お前だけのもの”じゃない。わかってるな」
雪の喉が、ごくりと小さく鳴った。
会議室を出た雪は、その足でレッスン室へ向かったが、指先が震えて振りが合わない。
身体は動くのに、心が、空回りしていた。
鏡に映る自分を見つめる。
まっすぐ立っているはずなのに、何かが傾いて見えた。
一人きりのレッスン室。
ドアを閉めて、背を預けると、そのまま床にしゃがみ込んだ。
ナツの顔が浮かんだ。
彼女のまっすぐな瞳、照れたように笑う口元、
自分の肩に寄りかかってきたぬくもり。
「……はぁ」
深く、息を吐く。
そのとき、外で風の音が強くなった。
窓を打つ音が、遠くで始まる。
台風が来る。
スマホのニュースを見れば、家までの電車が止まったことを知らせるアナウンス。
夢のためにすべてをかけてここまで来た。
でも、いつももう一歩というところで、何かの選択を迫られる。
指が震える。
ナツ…ごめん…。
その思いだけが大きく大きく膨れて、心臓が弾けそうになる。
ーー電車止まって、今日は帰れそうにない。泊めてくれる?
送信ボタンを押すまでに、1分以上かかった。
ナツからの返信はすぐに来た。
「うん」――たった一言。
涙がこぼれそうになった。




