37.水月との再会
泣きじゃくるナツを見送ったあと、雪の胸には、心配と不安しかなかった。
電車が見えなくなるまでホームに立ち尽くし、冷たい風の中、じっとその余韻を抱きしめていた。
そのとき、背後から呼ぶ声がした。
「雪ちゃん!」
振り返ると、そこにいたのは水月だった。
「水月さん…」
「どうしたの?心配そうな顔して」
「いえ…」
「服、濡れてるよ」
ナツの涙だった。
「これは…その……」
水月は言葉に詰まる雪の服を、持っていたハンカチでそっと拭った。
「私ね、一時帰国して、今から戻るところなの。ちょっとパパのお店、寄っていかない?」
「……はい」
ふたりは静かに喫茶店「花」へと向かった。
マスターは「おかえり」とだけ言い、いつものように仕事を続けている。
客たちはちらりと水月に目を向けるが、ここが彼女の実家と知っているからか、誰も騒ぎ立てることはなかった。
ソファ席に腰を下ろすと、水月が穏やかに問いかける。
「顔、疲れてるよ。何があったの?」
「葉月さんは…?」
「薬局に薬をもらってから来るって。あと一時間くらいかな」
「……そうですか」
「ねえ雪ちゃん、いろいろ大変だったでしょ?ケガして、内部オーディション間に合わなかったって聞いたよ。本当なら、今頃デビューだったかもって」
「そんな……私なんて」
雪は、思わず伏し目がちになる。
オーディションには落ちたナツ。だがその努力、覚悟。
それを思うと、自分は――と、自問してしまう。
「私……もっと頑張らなきゃって思います」
「雪ちゃん、無理はだめだよ」
「ちがうんです。私の隣で一緒に頑張ってくれてる人がいるんです。だから、私も強くならないとって」
「ふふっ」
「なんで笑うんですか」
「ごめんね。あまりにも真剣な顔してたから、つい」
「そんな笑っちゃ、かわいそうだよ、水月」
声の主は葉月だった。
「あ、葉月。早かったね」
「休みだったからさ。明日行こうと思って」
「水月さん、葉月さんからもらって嬉しかったものってなんですか?」
「どうしたの、急に?」
「もうすぐ……誕生日で」
「なるほどね」と葉月がうなずく。
「ねえ、水月、教えてあげなよ」
「うーん……やっぱり、これかな」
水月は左手を持ち上げる。指にはめられた指輪が、さりげなく光っていた。
「もしかして……」
「うん。海外で。もうすぐ30だし。ふたりの留学先でね、静かに」
「ふたりだけで、幸せだったよ」
葉月がそっと水月の肩に寄り添う。
水月が見せた、やわらかく幸せそうな目――それが、まぶしかった。
「やめてください……まぶしすぎます」
「それで? 雪ちゃんの“その人”は、どこなの?」
葉月が左右を見渡す。
「大阪に……帰りました」
「大阪?」
そこで、雪はふたりにナツのことを話し始めた。
オーディションに落ちたこと、その帰りを見送ったこと。
水月と葉月は、黙って聞いていた。
「でも、変わったよね。雪ちゃん」
葉月が切り出す。
「うん。すごく大人っぽくなった。前から大人びてたけど、今はなんか……色気が出てきた」
「や、やめてください、二人して」
「その色気があれば、新しいチームでも頑張れるかもね」
「葉月…」
雪が聞いたことのない話をしようとしたことを水月が止める。
「あ、ごめん」
「どういうことですか?」
水月が笑いながら口をそっと開いた。
「秘密の話なんだけどね。雪ちゃんが、次のオーディションで良い評価だったら、Autumnの姉妹チームでのデビュー、決まりそうなんだって。大人っぽい子たちを集めたグループで」
「え……? でも私、オーディションの順位は低かったし……」
「芸能界ってそんなもんだよ。見てる人は、ちゃんと見てるから」
そのとき、雪のスマートフォンが震えた。
『今日は、いっぱい泣いてごめんなさい。
Springの試験、通ったってさっき連絡あった。
最終選考が3月だから、また会いたい』
ナツからの連絡だった。
「うそ……」
「どうしたの?」
水月が雪に心配そうに声をかける。
「ナツが……Springの編集部の試験、最終選考に残ったって……!」
「良かったじゃない、雪ちゃん!」
「……はい!」
雪の胸の奥で小さく灯った火が、そっと燃え上がった。
ふたりはそれぞれの場所で、もう一度夢を追い始めようとしていた。
まだ終わっていない。ここから――。




