36.別のドアが開く
オーディションの幕が下り、堰を切ったように、ずっと泣いていた。
自分でも不思議なくらいに、何も言葉にできず、ただただ泣いていた。
新幹線に乗り込むまでのあいだ、雪は何も言わなかった。
そのかわり、何度もそっと涙を拭いてくれた。
まるで幼い子をあやすように、ナツの頭をなでて、背中をさすってくれた。
その優しさが、また胸をしめつけた。
――この人と一緒にいられる時間が、終わってしまう。
そんなナツの勝手な思いだけが支配していた。
新幹線の座席に腰を沈めても、ナツの目元は赤く腫れたまま。
周囲の乗客の目が気になって、顔を伏せていたとき、ふとカバンの奥から一枚の封筒がこぼれ落ちた。
雪からの手紙だった。
ナツは震える手で中身を取り出した。
車窓の外に流れる景色が、じわりと滲んでいく。
文字が、霞んで読めない。
それでも、ゆっくりと目をこすり、ナツは読み始めた。
「ナツへ
ナツ、私はナツのようにうまく文章が書けないけど、
Autumnではね、気に入った子が入ると手紙を贈る文化があるの。
だから、私はナツに書くね。
ナツ、今までレッスンよく頑張ったね。
明日は楽しんで。大丈夫。私がついている。
辛いときは、この手紙を思い出して。」
たったそれだけの、短い手紙だった。
でも――ナツは再び肩を震わせて泣いた。
胸の奥にしまっていた感情が、ゆっくりほどけていく。
「だめだった……」
心の中で呟いた。
何度もレッスンした。食事も睡眠も削った。
だけど、数か月の付け焼き刃では、勝てない相手が多すぎた。
合格なんて、できるはずがなかった。
そして何より――
合格しなければ、雪さんと同じ場所にはいられない。
その現実が、ナツの心を真っ黒に染めていた。
「……っ」
ポケットの中で震えたスマートフォンに、ナツは一瞬目を見張った。
画面には知らない番号。
何気なく受け取るには、心が弱すぎた。
それでも、着信音が鳴り止まないことに背中を押され、ナツは小さく頷いて立ち上がった。
デッキへと移動し、人気のないスペースで、深く息を吸ってから通話ボタンを押した。
「……はい」
「ナツさんのお電話でお間違いないですか?」
女性の声だった。落ち着いた、どこか事務的な口調。
「はい……そうですが」
「私、Springの人事担当の者です。このたび、3次試験を通過されましたのでご連絡差し上げました。
次回が最終試験となります」
「――え……?」
息が止まった。
「次回は3月を予定しておりますが、ナツさんはご参加いただけますか?」
まるで、遠くから響いてくる声のようだった。
周囲の雑音が消え、心臓の鼓動だけが耳の奥に鳴っていた。
「……はい、大丈夫です!」
気づけば、叫ぶように答えていた。
車内に戻ったナツは、目の前に広がった未来をまだ信じきれずにいた。
雪と同じ場所で輝くことは、もしかしたらできないかもしれない。
でも――違う場所からでも、雪のそばを目指せるかもしれない。
そう思った瞬間、消えかけていた闘志に再び火が灯った。
まだ、終わってない。
ナツは心の中で呟いた。
あきらめたくない――あの光を、もう一度つかみにいきたい。




