32.かわいいナツ
ふたりの額には汗がにじみ、胸の奥にまだ熱が残る。
静まり返った空間に、荒い呼吸だけが重なりあって響いていた。
雪は、ナツの濡れた前髪をそっと指先でかき上げる。優しく、愛おしげに。
「なんでだろう……ナツが踊っていると、いとおしさが溢れてくるの。どうしても、抱きしめたくなっちゃう」
その囁きは、どこか戸惑いも含んでいて、本心をそのままナツに手渡すような響きを持っていた。
ナツはくすっと笑って、雪の肩に額を預ける。触れ合う肌が、ぬくもりを確かめ合うように、そっと重なる。
「そんなこと言ってたら、レッスンにならないよ?」
「うーん……だって、この前も……」
雪が言いかけたその瞬間、ナツの指が雪の頬に添えられ、軽く引き寄せる。
ふいに唇を重ねると、雪は驚きながらも、すぐに笑みを浮かべてそのキスを受け止めた。
甘く、やわらかく、どこかくすぐったい感触。
キスが離れたあと、ナツがそっと目を伏せながら、声をひそめる。
「ねえ、雪さん……」
「ん?」
「私も、雪さんのこと……ちゃんと、そういうふうに……」
言葉の続きを口にするのが照れくさくて、ナツは唇を噛む。
その仕草が可愛らしくて、雪はくすっと笑った。
「ふふ、この前、私の家の脱衣所で欲情してたの、覚えてる?」
「っそ、それは……っ」
ナツが顔を真っ赤にして抗議する。でも、声は震えていて、図星だったのがよくわかる。
雪は軽く体を起こして、ナツの頬にキスをひとつ落とす。
「いいよ。Springの三次試験、受かったらね」
ナツは息を飲むように雪を見つめる。
「……ほんと?」
「うん」
「……そんなに、私に……したいの?」
囁くような問いかけに、ナツは目を逸らしたまま、小さくうなずいた。
恥ずかしさに肩をすくめている。
「だって……雪さんはいつも、服を着てるし……私だけが……」
「いいのに。私は気にしてないよ?」
「でも……でもね」
ナツの声が震える。目を潤ませながら、真っ直ぐに雪を見つめて言った。
「雪さんが……私のものだって、ちゃんと……感じたいの」
その言葉に、雪の表情がほどける。まるで、抱えていた何かがほどけて、ナツの想いにすべてが溶けていくようだった。
「もう、とっくにナツのものなのに……」
雪は再びナツに顔を寄せて、今度は深く、ためらいなく唇を重ねた。
ナツは雪の背に腕を回し、ぎゅっと抱きしめ返す。
やがてキスがほどけたとき、ナツがぽつりと呟く。
「雪さんから教えてもらった……キスも、触れ方も……でも、雪さんは、誰から……教わったの?」
「ふふ、かわいい……ナツ」
「また……子供扱いして……」
ナツの声がかすかに拗ねる。その頬に手を当て、雪が真剣なまなざしで答えた。
「違うの。教えてもらったわけじゃないよ。ナツにカッコ悪いから言ってなかったけど……ちょっと、お勉強したの。女の子同士で、どうやって大切にできるかって……」
雪は照れたように笑いながら、ナツの背中をやさしく撫でる。その手は、安心と愛情の温度に満ちていた。
「……お勉強って、何?」
ナツが雪の胸に顔をうずめながら聞くと、雪は頬を染めて目をそらした。
「ないしょ」
「また、はぐらかす……」
ナツが頬をふくらませたそのとき、雪がふと思い出したように声を上げる。
「あ、そうだ。オーディションの前に、お化粧の練習しておかないと」
「お化粧……?」
「えっ、ナツ……オーディションの要項、ちゃんと見てないの?」
「……見てない……」
小さく肩をすぼめるナツの姿に、雪は苦笑したあと、優しく手を重ねた。
「大丈夫。服装とかお化粧品の指定もあるけど、全部私が見てるから。オーディション当日の朝も、私がお化粧してあげる」
「でも……会場、雪さんの家から遠いよ? もうホテル予約しちゃったし……」
「ううん、人数増やして取り直そう。私も、一緒に泊まるから」
「……ほんとに?」
ナツの瞳が不安から喜びに変わる。雪は力強くうなずいた。
「うん。ナツがどれだけ本気で頑張ってるか、私が一番知ってるから。」
ナツの手が、そっと雪の指を握る。その細い指が、ぎゅっと絡まった。
ふたりの間に流れる空気は、あたたかく、柔らかくて、どこまでもやさしい。
約束のように交わした指先の温度だけが、ずっとふたりの胸に残り続けていた。




