27.雪の嫉妬
荒い息を吐きながら、ナツはその場にへたり込んでいた。
まだ熱の名残が身体の奥に残っている。
頬にかかる髪を耳にかけながら、雪もまた、大きく息をついた。
「……ごめん、止められなかった」
ナツのシャツをそっと直しながら、雪は視線を伏せて言った。
「……なんで謝るの?」
ナツの声はかすれていたが、確かだった。
「こんなところで、ナツのこと……求めてちゃって」
雪の指先は震えていた。
責めるようでも、後悔しているようでもなく、ただ自分自身を見つめているような――そんな手だった。
ナツは、少し間をおいて、ぽつりと尋ねた。
「……雪さん、水月さんのこと、思い出してた?」
その瞬間、雪の動きが止まる。
ナツは笑っていなかった。ただ、真っ直ぐに雪を見つめていた。
その瞳の奥が、わずかに揺れているのが雪にはわかった。
「私、水月さんに……似てた? あんなにダンスも下手なのに」
静寂がしばし部屋を満たしたのち、雪はゆっくりと口を開いた。
「……うん、似てた。まだ粗削りだけど、ナツの踊りには水月さんと同じ光がある。でも……」
「でも?」
「水月さんに似てるからってだけで、あんなふうに……ナツを求めたわけじゃない」
雪はナツの頬に手を添えた。
「ナツは、ナツとして……可愛いんだ。もう、誰にも好きな人を取られたくないって、心の底から思って」
ナツは言葉を失った。
その感情の強さに、胸がじんと熱くなる。
「……それって」
「嫉妬したの。ナツがもしオーディションに受かったら、たくさんの人に知られちゃうでしょ? 私、それが我慢できないかもって……怖くなった」
ナツの肩が小さく揺れた。
やがて、くすっと笑いが漏れる。
「……雪さんったら。まだ合格もしてないのに」
でも、その声はやさしかった。ナツの笑顔には、どこか救われたような柔らかさがあった。
雪はその顔をまっすぐに見つめた。
「ナツは、私にとって特別。……何より、大事な人だから」
ナツの視線が少しだけ泳ぎ、やがて真っ直ぐ雪へと戻る。
「雪さん、私にとってもそう。だから……雪さんがアイドルの顔をしてるとき、私もずっと、嫉妬してる。不安でいっぱいになる」
その言葉に、雪は思わず口元をほころばせた。
「……可愛い」
彼女はそっとナツの髪にくちづけを落とす。
火照った髪が指先に触れる。
しずかに夜が、ふたりのあいだを包み込んでいた。
「……もう、今日は練習はおしまい。お風呂に入って、夕食にしよう」
「うん……」
「今夜は両親が旅行でいないから、ゆっくりしていって。宅配、何か頼もうか」
「じゃあ……一緒に選びましょ」
それだけで、ナツの声は少し明るくなる。
小一時間後――
ふたりは、リビングのテーブルを挟んで並んで座っていた。
木目の温もりが残る食卓には、さっき注文したばかりの宅配ピザと、チキンサラダ、スープが並んでいる。
「わっ、ピザ、熱々……!」
ナツが手をふりふりしながら、一切れを取り分ける。
とろけたチーズが糸を引き、その向こうで雪がふっと笑った。
「猫舌だったね、ナツ」
雪は、ピザにふうーっと息を吹きかけて冷まそうしていた。
「ありがとう、雪さん」
「……なんだか、こうやって一緒に食べるの、特別な感じがするね」
「特別?」
「うん。……家に誰もいないから、っていうのもあるけど、今日は……ほんとに、ナツが“ここにいる”って、感じられるから」
その言葉に、ナツの手がぴたりと止まる。
チーズの糸がゆっくりと切れて、皿の上に落ちた。
「私も、です」
ナツの声は少しだけかすれていた。
「雪さんがいて、食卓を囲んで、笑ってくれて。……それが、すごく、うれしい」
そのままふたりは、少しのあいだ黙ってスープを啜った。
静けさは、気まずさではなく、満ち足りた心の静寂だった。
「ねえ、ナツ」
「はい?」
「将来……もっと忙しくなっても。たまには、こうやってごはん食べてくれる?」
「もちろん。……雪さんの隣なら、どんな時間もあったかくなる気がするから」
その返事に、雪は顔を伏せて、ゆっくりと目を閉じた。
微笑む唇が、照れくさそうに揺れている。
雪はそっと、ナツの唇にキスをした。