25.夢に近づいた日
ベンチに並んで座るふたりの間を、秋の風がやわらかく吹き抜けていく。
コスモスの花びらがカサカサと擦れるたび、世界の音がほんの少しだけ遠のいて、時間がゆっくりと流れているように感じた。
ふと、ナツが横を向くと、ちょうど同じタイミングで雪もこちらを見ていた。
視線がぶつかり、ふたりはわずかに驚いたあと、照れたようにふっと笑い合う。
そのくすぐったくてやさしい空気が、胸の奥をじんわりと満たしていく。
雪がそっと手を伸ばし、ナツの指先に触れた。
そして、確かめるようにその手を包み込む。
「……寒くない?」
問いかける雪の声は、まるで風の音に溶け込むように、静かだった。
ナツは小さく首を振る。
「平気。……雪さんの手、あったかい」
その言葉に、雪はほんの少しだけ頬を染めた。
――そのときだった。
ナツのポケットの中で、スマートフォンが小さく震える。
何気なく取り出したその画面に、点滅する通知の文字が飛び込んできた。
ナツは、思わず息を呑んだ。
「……えっ……Springの選考……通った……」
手元の画面には、《一次選考通過のお知らせ》の文字。
あの日、何度も書き直した履歴書。
信じられない気持ちで指が震える。
「えっ、本当に!?」
隣にいた雪が、思わず身を乗り出した。
「うん……通った……一次、通過したって……!」
言葉にした瞬間、喜びと実感が一気に込みあげてきて、ナツの瞳が潤む。
その肩を、雪がそっと抱きしめた。
「ナツ……おめでとう!」
声が震えていたのは、きっと雪も同じだった。
まるで、自分のことのように喜んでくれるその腕に包まれながら、ナツの心の中で、何かがやわらかく解けていった。
「ありがとう……雪さん……絶対、無理だと思ってたから」
「ナツ、文章書くの上手だよ。きっと2次も通る」
雪が真っ直ぐな瞳でそう言ってくれるだけで、少しだけ未来が近くなった気がした。
手を取り合ったまま、ふたりはしばし黙って秋空を見上げた。
その空の色は、どこまでも澄んでいて、希望のようだった。
「……もし、よかったらだけど」
ナツが少しだけ照れたように、雪を見上げた。
「試験の日、また雪さんの家に泊めてもらってもいい?」
「うん、10月末でしょ? 待ってる」
雪は迷いもせず頷いて、ナツの手をぎゅっと握り返した。
「ありがとう……」
「ナツが来てくれるの、私……嬉しいから」
小さく笑い合い、ふたりは立ち上がる。
コスモスの咲く公園をあとにして、ふたりは駅へと向かって歩き出した。
駅前のロータリーに着くと、数台のタクシーが並んでいた。
雪はナツの方を見て、少しだけ寂しそうな笑みを浮かべる。
「……ここからタクシーで帰るね」
「雪さん、ほんとうに脚大丈夫?」
「うん、家まで近いから。ナツこそ、気を付けて帰るんだよ?」
ナツは頷きながらも、胸の奥がきゅっと締めつけられるのを感じた。
「うん。……疲れてるし、無理しないでね」
「ありがとう。今日はほんと、楽しかった」
「私も。お弁当食べて、コスモス見て……Springの結果まで知って……。こんな幸せな日、久しぶりでした」
雪が、少しだけ目を伏せて、ぽつりと呟く。
「……ナツと一緒だったからだよ。本当に来てくれてありがとう」
その言葉は、秋風のように静かで、けれど深く沁みこんできた。
雪がタクシーのドアに手をかけた瞬間、ナツは思わず声をかける。
「……雪さん」
雪は振り返って、そっとナツの髪に手を添え、額にふわりとキスを落とした。
「がんばってね、ナツ。Springの2次選考も、Autumnのオーディションも、今は大変だと思うけど、私がついてるから」
「うん……雪さんも、無理しないで」
「うん、じゃあ行くね」
タクシーのドアが閉まる。
走り出した車の窓越しに、雪は最後までナツを見ていた。
ナツも、その姿が見えなくなるまで、じっとその場を動かなかった。
陽が傾き、空は夕焼け色に染まっていた。
やさしくて、少し切なくて、胸があたたかくなるようなオレンジ色。
――あの日の夕焼けの色を、きっとナツは、一生忘れない。