23.雪の両親との対面
朝――。
カーテンの隙間から射しこむ柔らかな光に、ナツは目を細めた。
ゆっくりと身を起こす。隣にあるはずのぬくもりが、そこにはなかった。
「……雪さん?」
小さくつぶやいても、返事はない。
布団に残る淡い香りとぬくもりが、さっきまでそこに人がいたことを教えてくれる。
ナツはベッドから足をおろし、部屋を出た。
静かな廊下を歩いていると、ふと、キッチンの方からコーヒーの香ばしい香りと、会話が漏れてくる。
「……雪、どうしたの、そのケガは?」
――雪の母親の声だ。
「昨日、過労で倒れてしまって。病院から、ナツが……連れて帰ってきてくれたの」
雪の声は落ち着いていて、どこか照れているようにも聞こえた。
扉の隙間から、ナツはそっと覗いた。
キッチンに立つ雪の横には、品のある女性――雪の母親。そしてテーブルの向こう、新聞を広げたまま無言で座る男性の後ろ姿が見える。
(あれが……雪さんのお父さん)
怖い、と聞いていた。
雪の家庭のことは聞いていた。その名前が出るたびに、雪の瞳がほんの少し曇ることだけは、ナツは知っていた。
胸がきゅっと締めつけられるような感覚がして、ナツは静かにその場を離れた。
できるだけ音を立てないように廊下を歩き、トイレの扉をそっと閉める。
…数分後、用を済ませて部屋へ戻ろうとしたところ、角を曲がった先で、ばったりと雪と鉢合わせた。
「あ……ナツ。おはよう。今、起こしにいこうと思ってたところ」
雪は柔らかく笑っていたが、その脚をかばうような歩き方が目に入る。
「雪さん、脚は……」
「さすがにまだ痛いけど。昨日よりは、だいぶマシ」
「よかった……ほんとに、無理しないで」
「うん。ありがとう。……こっちおいで。朝ごはん、一緒に食べよう」
ナツは頷き、雪のあとをそっとついていった。
ダイニングの扉を開けると、二人の視線がナツに向けられた。
「おはようございます。昨日はご挨拶もせずに……泊めていただいて、ありがとうございました」
緊張して言葉が少し詰まりそうになるのを、ナツは必死にこらえた。
「気にしないで。雪を連れてきてくださったんですってね。本当に、ありがとうございました」
雪の母親は優しく微笑み、丁寧に頭を下げた。
その隣で、雪の父親は新聞をぱたりとたたみ、無言のままナツを一瞥した。
「ナツさんは……どちらのかた?」
「大阪です」
「まあ、じゃあ……わざわざ、来てくださったの?」
その問いに、ナツは一瞬、喉の奥が詰まった気がした。
感じ取れる――探るような視線。
穏やかに交わされていた会話に、うっすらと張り詰めた空気が混じる。
「……いえ、もともと、来る予定があって」
その瞬間、ほんの少し――わずかに場の空気が緩んだ気がした。
新聞の紙がふたたびめくられ、椅子が軽く軋む。
雪の母親はふんわりと微笑んだまま、「そう」とだけつぶやいた。
ナツはそっと息を吐く。
隣で、雪の視線を感じる。
何も言わず、ただ見つめられているのが分かる。
ナツは顔を上げ、目を細めて、雪のほうを見た。
ふたりの視線が静かに重なった。
言葉にならないものが、そこには確かにあった。
――雪さんを連れて帰ってきたのは、私。
だけど、ここにいるのは「ただの友人」だって、嘘をついたのも私。
雪の瞳に、責める色はなかった。
ただ、ほんの少しだけ切なげに揺れていた。
ナツはその視線を胸に受け止めながら、静かに席に着いた。
食卓に広がる、少しだけ不器用な朝の空気。
その中で、ナツは一口、あたたかなスープを口に運んだ。
味はよくわからなかったけれど、雪が隣にいる――それだけで、今日もまた、頑張れる気がした。




