22.寄り添う心
湯気が立ちこめる浴室の中、ナツの声が静かにこだました。
「……それから、ずっと、るい先輩のことが好きだったんです。でも、気持ちは届かなくて……私、あの人の“変わっていく背中”を見ていることしかできませんでした」
雪は、肩までお湯に浸かりながら、ナツの横顔に目を向ける。
揺れる湯の向こう、ふと遠くを見つめるようなその頬は、ほんのりと夕陽のように赤らんでいた。まるで、過去の記憶にそっと手を伸ばしているような表情だった。
「……それが、ナツの初恋か」
ぽつりと漏れた雪の声は、まるで小さな葉が水面に落ちたように、浴室の静けさを揺らした。
「うん。でも……私、あの恋から逃げたかった。ずっと苦しかったから。だから、水月さんと葉月さんに出会えた時、本当に救われたんです。あのお二人がいたから、全部……全部、置いてこられた。夢中になれる場所があるって、すごいことですよね」
雪は目を細め、小さく頷いた。
「恋って……どうしてあんなに、心を削るんだろうね」
「……ほんと」
ナツの声がわずかに震える。
雪はそっと湯の中から手を伸ばし、ナツの指先に自分の指を絡めた。指先がふれた瞬間、まるで心の奥の冷たい部分が、じんわりと溶けていくような感覚がした。
「でもね、私は……ナツには、もう悲しい思いをさせたくない」
その一言に、ナツの瞳が揺れる。
それは、夜の水面に映る月が風に震えるように、かすかな感情の波を映していた。
「雪さん……」
ぽつりと呼んだその名は、湯気に包まれ、やさしく空気の中に溶けていった。
沈黙のあと、雪がふと微笑んで言った。
「ねえ、明日、グッズショップ行かない? 水月さんの最後の写真集……明日、発売日だよね」
「うん! 忘れてました! 雪さんと一緒に行けるなんて、嬉しいです」
「やったー。ナツと一緒に見れるなんて、私、すごくラッキーだな」
ナツも思わず笑顔になる。
「きっかけはどうあれ、今日雪さんに会えてよかったです」
「来てくれて本当にありがとう。そろそろ出ようか。のぼせちゃう前に」
「うん」
二人は湯舟からそっと立ち上がり、バスタオルで身体を拭き合った。
ナツは雪の首筋にタオルを当て、やさしく水気を拭う。雪は目を閉じ、その温度を静かに受け止めていた。
寝室に戻ると、柔らかな灯りが部屋を包んでいた。
パジャマに着替えた雪がベッドに腰をおろし、ぽんぽんと隣を叩く。
「ナツ、こっちおいで」
ナツは少し恥ずかしそうに笑いながら、雪の隣にちょこんと座る。
雪が腕を伸ばして、ナツの肩をそっと引き寄せた。
ふたりの体温が触れ合う。
そのぬくもりに、ナツの心はふわりと溶けていった。
「……こうしてると、安心する」
雪の囁きに、ナツはこくりと頷く。
「私も……」
しばし、ふたりは言葉を交わさず、ただ静かに寄り添った。
「ずっと、こうしてたいな」
ナツが小さく呟いた。
雪はそっと微笑み、ナツの髪に優しく口づけを落とした。
ナツは目を閉じ、その感触を胸の奥で受け止めた。
「おやすみ、ナツ」
「……おやすみなさい、雪さん」
目を閉じれば、まぶたの裏に雪の笑顔が浮かぶ。
過去の痛みも、不安も、すべてが遠ざかっていくようだった。




