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15.ナツの挑戦

玄関をくぐって、ナツは静かに靴を脱いだ。

つい数時間前まで、ここには雪がいた。

笑って、眠って、隣に座ってくれていた人。


まるで夢のような2日間だった。


ナツは、その余韻にひたりながら、リビングのソファに腰を下ろした。

ぽつんと、自分ひとりの重さだけが沈むクッション。

さっきまで並んでいたはずの隣に、もう誰もいない。



伸ばした手が、自分の唇にふれた。

そっと、何気なく。


ほんの少し前。


駅のホームで別れる前に、雪がくれたキス。


ふわっと、あのときの口紅の香りが指先に移った気がした。

胸の奥がくすぐったくて、少しだけ切ない。


そのとき――スマホの通知音が鳴った。


手に取ると、雪からのメッセージと写真が届いていた。

写真には、さっき駅で撮ったふたりの笑顔。

思わず画面に指をあてて、ナツはそっとなぞる。


雪の目元。自分の笑顔。


それが同じ画面に収まっていることが、嬉しくてたまらなかった。


メッセージを開くと、あの人らしい、優しさにあふれた言葉が並んでいた。


『ナツ、泊めてくれてありがとう!

とっても楽しい2日間だったね。

ナツのおかげで明日からのレッスン頑張れそう!

だからナツも諦めずに、履歴書送るんだよ?

私も応援してるからね。』


「……雪さん」


ぽつりと、その名前がこぼれる。


まるで励まされるように背中を押されて、ナツは立ち上がった。


机の引き出しを開けると、就職活動中に使っていた古い履歴書が出てくる。

一度も使わなかった下書き。

そう、私は「安定した会社」ばかり探していた。

夢なんて、もう見る年齢じゃないと、どこかで諦めていた。


でも。

雪の言葉を思い出す。


今朝、ふたりでソファに並んで、スマホを見ながら話していたあの会話。


「そっか!ナツはまだ『Autumn』のオーディション受けられるんだ!」


雪の声が、耳の奥で聞こえてくる。

そのときは笑って流した言葉。

だけど今は――胸にまっすぐ刺さっていた。


ナツはペンを握ったまま、履歴書に手をつけられずにいた。


ふと、目に映るのは、机の隅に置いたスマホ。

まだ通知が残っていて、雪のメッセージの画面に戻る。


『私も応援してるからね』


「……もし、私がAutumnに入れたら――」


呟いた言葉が、部屋の静けさに溶けていく。


今まで一度だって、アイドルになりたいなんて思ったことはなかった。

ステージに立つ自分なんて、想像もしたことがない。


だけど、もしも。

その未来に雪さんがいて、

その隣に私がいられるのだとしたら――。

ナツはゆっくりとスマホを手に取った。


指先で「Autumn オーディション」と検索する。

画面に浮かび上がる募集要項。

歌、ダンス、課題曲。未経験者可。


心臓が早鐘のように鳴りはじめる。

怖い。

でも、知りたい。

雪さんと同じ世界に、飛び込んだらどうなるんだろう。


ナツの指は、画面をスクロールするのをやめなかった。

きっと今、何かが動き出した。

雪の笑顔が、背中を押してくれている。


ナツはパソコンを開き、検索窓にカーソルを合わせた。


「ダンス レッスン 初心者」「ボーカルスクール 社会人 夜」「オーディション 対策」


次々と検索していくうちに、駅前にあるスタジオのサイトが目にとまった。


初心者歓迎、個別レッスンあり、現役のアイドル講師も在籍。



(ここなら…通えるかも)


ナツは、未来を見つめはじめていた。

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