88 案内
「若様、自分の名前も言わずに、いつまで手を取っているのですか」
フシヌの言葉に男ははっとして顔を上げた。
「あ、すまない。僕の名前はヌシンだ」
「俺はアッシュです。こちらは」
「ヒルデだよ。それで、若様って何? さっきから言ってるけど」
ヒルデの疑問にフシヌが苦笑しながら答えた。
「若様はここ、ティーダ藩を治める藩主様の子息なのですよ。なのに、こうして護衛を撒いてふらりとこんなところに来るので、困ったものです」
「こんなところって。僕は君に会いたくて」
「それは護衛を撒いてここに来る理由にはなりません。嬉しいですが、ダメです」
ヌシンは落ち込んだようにうなだれた。
最初の会話を聞いたときは彼だけが想っているかと思ったが、フシヌの顔を見る限り両思いのようだ。彼女が付けているペンダントも彼からの贈り物だろう。
これ以上ここにいても邪魔かもしれないと思い、ヒルデの方を向くとアッシュと同じような顔をしていた。
「十分休憩できたので、俺たちはこれで」
すると、ヌシンは顔を上げて必死の表情でアッシュたちを見た。
「いや、フシヌを助けてもらったのに何もしないなんて、僕の気が済まない。
そうだ。見たところ君たちはティーダの外から来たんだろう。なら、僕にユルの街を案内させてくれないだろうか」
案内と言われてアッシュの興味を惹かれた。街を歩くだけでも楽しかったが、もうないとわかっていてもカーステンが見たと言うスイムイ城を、その跡地であっても見てみたかった。
他にも地元民であるヌシンなら色々と知っているかもしれない。
「いいんじゃない。案内してもらえば」
こちらの方を向きながら、ヒルデが笑顔で提案する。
本当に、何に言わないのに彼女はアッシュのことがよくわかっているらしい。
「では、お願いできますか」
アッシュの言葉を聞き、ヌシンは力強く頷いた。
「ユナの街はティーダ王国を守ると言われている女神が舞い降りた地なんです。その女神だけではなく、他に海の神などティーダ由来の神を祀った神社があったのですが、いつの間にかなくなっていたらしいです。
神女であるうちのオバァ、あ、いや、祖母がそう言っていたのですが、定かではないですね。鍾乳洞の奧に社がある珍しい神社だったそうです」
「神女?」
「ああ、わかりやすく言うと巫女ですね。
ティーダでは、女性は霊的な能力が強いとされていて、昔はその身に神を降ろすことで王への助言などを行っていたらしいです」
アッシュが見たいと希望したスイムイ城の跡地へと歩きながらヌシンの説明を聞く。彼の案内はよくわかり、言葉からティーダへの愛情のようなものが感じられた。
「平屋の家が多いようですが、何か理由があるのでしょうか」
「ティーダは台風が多いので、風の影響を受けないようにして被害を抑えるためですね」
「あ、見て。あのワンちゃんみたいな置物がある。守り神なんだよね、フシヌさんがそういってたけど」
ヒルデが指差す方を見ると着いたときは気にしていなかったが、フシヌの言ったとおり門柱にあの置物があった。
「はい、その通りです。あの守り神は悪霊が家に入るのを防ぐと言われているので、魔除けの意味でティーダの家にはどこでも見かけることができます。魔除けというとヒンプンもそうですね。」
またも、聞いたことのない言葉にアッシュは首を傾ける。その表情に気がついたヌシンは説明をする。
「あ、すみません。ヒンプンは玄関の近くに置かれる石で出来た家の外にある屏風のような壁です。あれは中を見られないようにする目隠しの意味もありますが、ティーダでは魔物は曲がるのを嫌うと言われています。
なので、守り神と同じで魔物から家を守ることができると考えられて設置されていることが多いです」
短い石の壁がよくあると思っていたが、そういうことだったのかと納得すると同時に、自分の知らない文化を聞くことができて、好奇心が抑えられない。
カーステンもこういう気持ちだったのだろうかとアッシュは思いを馳せる。