67 涙
重い扉を開いた先には吸い込まれそうなほど深く、底が見えるように透明で、水面の揺らめきが一切ない神秘的な青に染まる地底湖が広がっていた。
天井から降り注ぐいくつもの光は水に反射され鍾乳洞の壁に映る。それはまるで万華鏡のように姿を変え、輝く。
地底湖の中央にある小島には転移の魔方陣があるのだろう。そこに向かって柱のように光が差す。光は天から降り注ぐのとは違う色を纏い、渦を巻く。
言葉にならないほどの美しい光景にアッシュは息を呑み、思わず足が止まった。
気づけば、アッシュの目から涙が溢れていた。
こういう光景を見たかった。こういう光景を見たくて自分は冒険家になったのだ。
最後の彼女たちの顔を見て、自分が我慢していれば、彼女たちにそんな顔をさせなかったのだと、知らずに罪悪感を抱いていた。
いや、彼女たちが選択したのだ。だから、気にすることはない。そう頭ではわかっていても、どこか後ろめたさも感じた。本当にこれでよかったのかと。
しかし、この光景を見てアッシュのなかにあった罪悪感や後ろめたさは消えた。
――僕が決めたことまで君が責任を感じることなんてないよ。
あの時、ヒルデが言っていたように彼女たちが決めたことまでアッシュが責任を感じることはないのだ。
「アッシュ君?」
急に泣き始めたアッシュを不思議そうな顔でヒルデが覗き込む。
すまないと答えようとしても声にならない嗚咽がただ漏れるだけだった。
どうにか泣き止もうと下を向くが、涙は次から次へと溢れてくる。
「ここには僕と君だけしかいないから我慢する必要ないよ。よく頑張ったね」
そういってヒルデはアッシュの頭を撫でる。彼女の手の温かさがより一層、涙を止まらなくさせた。
気づかぬうちにずっと感情を抑え、アッシュは耐えていたのだ。折れることがなかったのは夢があったから。それも、長い間抑えつけられて、彼の心はもう限界だったのだろう。
しかし、それを自覚してしまえば、あれほど憧れていた冒険家としての夢を諦めていたかもしれない。だから、自分の気持ちを、心の叫びを見て見ぬふりをしていた。
脱退した後もアッシュは彼女たちを思い、ひとり悩んでいた。パーティーを脱退して自由になったと思っていたが、心はまだ彼女たちに囚われていた。
だが、それもなくなり、今あるのはクリスティアンの手記を初めて聞いたときと同じ、自分がまだ見ぬ世界を見たいという飽くことのない渇望だ。
このときアッシュは本当の意味で身も心も自由になった。
「よし、よし、泣き止んだね」
ようやく涙が止まったアッシュをいい子とヒルデは撫でる。涙は止まったが、今は泣き顔を見られたという羞恥心で彼は顔を上げることが出来ない。
「…忘れてくれ」
「そうだね、僕の言うことを一つ聞いてくれるのならいいよ」
顔を上げて、泣いたあとの赤い目をしたままヒルデを見つめる。そんな彼に顔を向け、ヒルデは無邪気に笑う。
「ヒルデって呼んで。それだけでいいよ」
「――ヒルデ」
「うん」
彼女の名前を呼ぶと初めて会ったときのように嬉しそうに笑った。その笑顔にアッシュは笑顔で返した。
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