34 月は嗤う
火事の描写があるので苦手な人は注意してください
冒険者は道を歩いていたと思えば、森の方に入って行った。
もう日は落ち、月明かりだけが辺りを照らしている。街に行くのを諦め、野宿することに決めたのだろう。気づかれないように後をつける。
森の奥まで来ると、冒険者は立ち止まり、荷物を地面に置いた。
どうやらここで休むことに決めたのだろう。襲い掛かりたくてうずうずしている他のブラックウルフを落ち着かせ、機会をうかがう。
冒険者がこちらに気がついていないことを確認し、合図を出そうとしたときだった。
突然、何か得体の知れない者の圧を感じ、動けなくなった。
ガチガチという耳障りな歯の音が聞こえる。心臓がバクバクとうるさく拍動するのを感じ、気がついた。自分は恐怖を抱いているのだと。
自分だけではない。他の仲間も歯を鳴らして、体を震わせている。
冒険者の方へ目を向けるといつの間にかこちらをじっと見ていた。
冒険者の姿を見た瞬間、理解した。この圧を出しているのはあの冒険者なのだと。
死にたくなければ、逃げろと本能が語りかける。本能に従い、逃げようと後ろへ下がろうとした時、圧に耐えきれなくなった仲間が冒険者に向かって行った。
一匹が動くと他のブラックウルフも後に続く。
止めろと叫びたいが、喉がひりつき言葉が出ない。
冒険者はいつの間にか、細長く湾曲した片刃の武器を手にしていた。月が照らす灯りに反射して刃が鈍く光る。
武器をゆっくりと構える冒険者に一匹のブラックウルフが飛びかかった。
冒険者は半身だけ体を動かし、回避する。避けられたことで無防備になったブラックウルフの胴体に武器が薙ぎ払われた。斬られたブラックウルフは地面に倒れ、ピクリとも動かない。
仲間を倒され、ますます冷静に判断出来なくなったブラックウルフが次々と飛びかかるが、冒険者はまるで踊るかのように攻撃を避け、一太刀、また一太刀とブラックウルフへと浴びせる。
仲間がやられているのに動くことができないでいる自分を三日月のように見える斬撃が嘲笑っているかのようだ。
気がつけば残っているのは自分と数匹のみ。他は全て冒険者の足下に転がっている。
冒険者はただじっと武器を構えたまま、こちらを見て動かない。
髪が顔にかかり、表情が読めないことがより彼の恐怖心を煽る。
残った仲間が踵を返し、逃げようと駆け出した。たまらず、自分も続こうとした彼の耳に声が聞こえた。
「――植物よ」
冒険者が呟くとブラックウルフの行く手を防ぐように木々が突然生えてきた。
その光景に彼は既視感を抱いた。
自分が放った火の魔法により起きた爆発で人間が吹き飛んだとき、今と同じようになかったはずの場所に草木が生えたように見えた。
そのときは気のせいだと思ったが、そうではなかったのだ。
木を避けて逃げようとするが、そのたび木が邪魔をする。
木などかまうことなく突っ切ってしまえばいいと思うが、あの冒険者が魔法で生み出した木だ。
何をしてくるかわからず、二の足を踏んでしまっている。
そんなことをしている間に、冒険者はゆっくりとこちらに向かっていた。
彼はなんとかして逃げなければと必死に考える。脳裏をよぎったのは、彼が忘れられなかったあの光景だ。
そうだ、火だ。火を使って火事を起こせば冒険者はそちらに目が向くだろう。
その間に走れば逃げられる。
早くしなければ奴がくる。その前にボヤでもいい。火を使えばなんとかなる。
奇しくも彼は自分の父と同じことをしようとしていた。
焦る気持ちを抑え、彼は魔力を練り上げる。用意が出来たら遠くの方へ放たなければと思った彼の目に月が映った。
自分は正面を向いているはずで、上など見ていないのに何故、月が見えるのかわからなかった。体から何か生暖かいものが吹き出るのを感じる。
目を動かすといつの間にか冒険者が側に来ていた。冒険者の武器は血に濡れ、雫が滴り落ちる。
そこで彼はようやく気がついた。冒険者に斬られたのだと。
月が見えたのは斬られたことにより首が反れたからのようだ。
あぁ、今夜の月はあの夜に火事で逃げ戸惑う人間たちを嗤っていたときのように、やけに美しいと暫し見とれる。
だが、あの時と違って月に嗤われているのは自分だ。
彼は力なく地面に倒れ伏せた。
他の仲間も倒れており、息をしていないのは明らかだった。
自分は敵に回してはいけない者を相手にしてしまったのだと後悔し、まだらのブラックウルフの意識は途切れた。
冒険者――アッシュはブラックウルフを全て倒したことを確認すると、刀を振り下ろすことで血振りをし、腰に差した鞘に刀を納める。納刀する際の高い金属音が闇に溶けた。
芸術品とも思えるほど美しい武器を見て、初めて刀を渡されたときの言葉が蘇る。
――いいか、坊。いや、アッシュ。
刀を手にしたと言うことは、お前は武士になったと言うことだ。
これから魔物を狩ることもあると思うが、決してそれに喜びを見いだしてはならない。
魔物といえども尊き命であることは変わりない。尊き命を刈り取り、それを糧に自分が生かされているということを忘れるな。
そして、倒した相手、たとえ、魔物であったとしても、敬意と感謝を。それが武士だ。
それを忘れ、ただ己の欲望を満たすために狩ればそれはもう人ではない。
魔物と変わらぬものに成り下がった畜生だ。
大きく息を吐くことで呼吸を整え、アッシュはまだらのブラックウルフの近くまで歩き、敬意と感謝を持って、手を合わせた。
私が、一番書きたかった所です。いかがでしょうか。
次回からようやく主人公であるアッシュが活躍するので引き続きよろしくお願いします。
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