30 承認の印
「でも、どうしてアッシュさんは勝手な行動をしてしまうのでしょうか」
マリーナの問いにもアッシュは何も答えない。アッシュの代わりにキースが自分の考えを述べる。
「おそらく、アッシュ君が冒険者として諦められないから、そんな行動をとってしまうのだと思う。
だから、僕は彼に冒険者を辞めて僕たちの専属のポーターとなるか聞いたんだ。
冒険者を辞めれば、諦めもついて本来のポーターとしての仕事だけをしてくれると信じてね」
アッシュは沈黙を貫く。何も言わないのではなく、キースの言うことが正しいから何も言えないのかもしれないとアメリアたちは思えてきた。
「アッシュ君、もう一度だけ聞くね。冒険者を辞めて、僕たちの専属となってポーターとしての仕事だけをしてくれないか」
大きく息を吐くとアッシュはキースの目をそらさず言った。
「何度言われても俺の返事は変わりません。
俺には叶えたい夢があります。そのために冒険者を辞める訳にはいかない」
アッシュの返事を聞くと、キースは紙をアッシュの前に置いた。
それはパーティー脱退の手続きの紙だった。必要な事項はもう記入されており、あとはアッシュの名前を記載するだけの状態だった。
「君のような優秀なポーターを手放すのは残念だよ」
アッシュがペンを手に取り、名前を書こうとするとアメリアが止めた。
「待って、ねぇ、どうにかできないの。ミントもマリーナも何か言ってよ」
すがるような目でアメリアは二人を見た。
マリーナはいつもと変わらない、慈愛に満ちた目でアメリアを見ていた。
「アメリアさん、アッシュさんが決めたことです。快く送り出してあげるのが、私たちが最後に出来ることではありませんか?」
マリーナの曇りなき目を見ていると自分が間違っているように感じた。何も言い返せずマリーナから目をそらす。目をそらしたときにミントがうつむいているのに気がついた。
いつも誇り高く前を見つめる彼女にしては珍しいと訝しんだ。
「ミントは、アッシュがいなくなるなんて、嫌。
でも、アッシュが邪魔になるなら、仕方ない」
仕方ないと聞いてミントに何か言おうとするが、ミントの顔を見てアメリアは何も言えなくなってしまった。
「ミントはみんなと一緒にいたい。
でも、みんなが目の前で死ぬのなんて、見たくない。
アッシュ、あのとき助けに来てくれてありがとう。だけど、ごめん」
ビスクドールとも賞される彼女の目からまるで真珠のような涙がはらはらと落ちる。
しかし、ビスクドールと違い、泣くまいと唇を噛んでいる。その痛々しい姿にアメリアは何も言えなく
なってしまった。仕方ないという彼女の言葉は自分に言い聞かせたものだったのだと気がついた。
泣き止まないミントを慰めながらキースはアメリアに問うた。
「アメリア、君も決めてくれ。
このまま街の英雄と呼ばれるだけで満足するのか、それとも、皆に認められるような英雄になるのか」
アメリアにとってアッシュが側にいるのが当たり前だった。本当は手放したくない。
だが、ミントの気持ちを聞いて、キースに問われて本当は自分が何をしたいか明確にわかった。いや、わかってしまった。
自分はどうしたいのか。
思い出すのは、父しか見ていない母、母に怯えてこっちを見ようともしない父、母だけが大切な祖父と使用人たち。同じ年の子供たちはアメリアに近づこうともしなかった。
自分は何故、存在するのだろう。いや、本当に存在しているのだろうか。
そんなことを思っている時にアッシュに出会った。自分の夢を語る眩しい顔を見て、同じように自分を見て欲しい、認めて欲しいと願った。
だが、師匠と周りに愛弟子と認められ、ティオルの街で英雄と呼ばれ、もっと多くの人に見て欲しい、認めて欲しいと願ってしまった。
「…私は認められたい。英雄としてみんなから認められたいの。
ごめんなさい、アッシュ、だから…」
アッシュはアメリアの目をそらさず、真っ直ぐに見る。アメリアもアッシュを見つめ返す。長い髪からわずかに覗くアッシュの目は何の揺らぎも見られなかった。
「アメリア、ミント、マリーナさん、キースさん、今まで俺の至らなさで迷惑を掛けて、申し訳なかった」
アメリアたちに向かって深く頭を下げ、アッシュは紙に名前を書いた。アッシュが書いた紙をキースが受け取り、マテオに渡す。
「おぉ、これでお荷物がようやくいなくなるなんて、なんてめでたいんだろうねぇ」
マテオは受け取った紙に不備がないかを確認し、承認の印を押した。
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