274 重い刀
それはシゲルがオノコロノ国を出る少し前のことだった。国を出るために色々準備をしていたシゲルにミノルが呼んでいると言われた。こんな時に呼び寄せるなんて兄らしくないと思いながらシゲルは彼の部屋を訪れた。
『兄さん、どうし』
『シゲ、これを持っていってくれ』
部屋に入った途端シゲルはミノルに何かを押し付けられた。いつにない兄の行動にシゲルが面食らいながら渡された物に目を向けると彼は息を呑んだ。
『これは『イザナミ』。何故?』
数日前に父からミノルへと贈られた物だ。その時に彼が喜んでいたのをよく覚えている。
なのに、何故そんなことを言うのか理解できずにシゲルが尋ねるが、彼は問いかけに答えなかった。
『お願いだ、シゲ。頼む』
初めて見た兄の必死の形相にシゲルはそれ以上聞くことが出来なくなった。ミノルはシゲルと比べられ、彼を蔑むような言葉を聞いてもこのように感情を表に出すことは決してなかった。
本当は悔しいはずなのに、言い返しもせず、涙を流しながら人知れず剣の鍛錬をする兄にシゲルは尊敬の念を抱いたのだ。その彼の姿を知らなければ、今頃自分は己の才能に溺れるうつけものになっていたことだろう。
そんな彼が『イザナミ』に怯えている。シゲルとしては『イザナミ』を持っても何も感じない。ゲンが納得のいく物が出来たと言っていたことから良い刀であることは理解できるのだが、それだけだ。何故こんなにもミノルが怖がるのかがシゲルにはわからない。
『僕のように弱い奴に『イザナミ』は相応しくない。だから、僕のような人間が持っていちゃいけないんだ。鞘から抜くことさえ許されることじゃない』
『…兄さん』
ミノルの言葉を聞いたシゲルはわかってしまった。長年劣等感に苛まれ続けたことで彼は自信を失ってしまったのだと。そう思った途端に手にしている『イザナミ』が重いように感じた。久しぶりに向けられた父の期待、そして『イザナミ』という国作りの神の名を冠する刀を持つこの重さに彼は圧し潰されてしまったのだ。
シゲルは目を閉じて、ミノルにどう言えばいいのか考えるが何も思い浮かばない。剣だけしか取り柄がない自分と違って世話好きで人の機微に聡い彼は教えるのも上手いので皆に慕われている。
それは人付き合いが上手くないシゲルにとってはうらやましいとも思えることだった。何度も彼にそう言ったのだが、自分の言葉は伝わらなかった。そして、いつしか伝えることを諦めていた。
――近すぎるからこそ、互いに色々見えなくなっているんだと思います。
離れることで見えて来るものがきっとあるはずです
思わずうつむきそうになるシゲルの脳裏に幼い頃に出会ったあの人の言葉が過ぎった。もう顔も声も思い出せないのに彼が掛けてくれた言葉はどれも鮮明に覚えている。
だからこそ、シゲルは国を出て時間と距離を置くと決めたのだ。いつか兄に自分の言葉が伝わる日が来ると信じて。
『『イザナミ』をあげてもいいと思える人がいたらあげていい。だから、シゲ、これを僕が見えないところに持って行ってくれ』
『…わかりました』
悲しいが、シゲルがここで何をいっても今のミノルには何も届かないだろう。シゲルは色々な想いを飲み込み、手にした『イザナミ』を握りしめた。今ならば刀を持つ責任の重さに悩んでいたあの人の気持ちがよくわかった。
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