271 眠れぬ夜
ナデシコが言うもてなしを受けていると辺りはもう暗くなっていた。しきりに泊まるように言う彼女に最初は遠慮したのだが、ハヅキも一緒に言うので結局その言葉に甘えることにした。
間の世界に連れていかれたハヅキの体調も気になったが、何より、用事で出かけたというミノルと会えなかったというのが大きかった。ナデシコによれば夜遅くに帰って来るらしく会って話すなら明日以降ということになったのだ。
また今回のようにすれ違わないためにも泊って行ってくれというナデシコの言うことを聞き、彼女が用意してくれた部屋の中で敷かれた布団に入ってアッシュは目を閉じる。
「…眠れない」
体は疲れているはずなのに眠気は一向に来ない。ナデシコが是非というので着てみた浴衣に慣れないからだろうか。しばらくすれば眠れるだろうかと知らない天井を見ながらアッシュは物思いにふける。
夜とはいえ、普通ならばもう少し人の声や物音などがするものだと思っていたが家の中は静まり返っている。まるでこの世界には自分しかいないかのように錯覚してしまいそうになる。
「家が大きいからかな」
少し声を掛ければ、手を伸ばせば家族と触れられる距離が当たり前だったアッシュにとってここはひどく寂しい気がする。見慣れぬ内装に囲まれているからそう感じてしまうのかもしれない。
「起きてるからこんなこと考えるんだろうな」
無理に寝ようともう一度目を閉じるのだが、今日あった色々なことが脳裏を過ぎる。
不気味な間の世界での不気味な光景、刃で斬り裂いても倒せない敵。あれは現実だったのかと疑いそうになることばかりだ。おそらく他人に言っても信じてくれないことばかりだろう。それに加えて今だにわからない鵺の真意にハヅキの言葉。そして、あの時、見せたアオイの表情。
寝返りを打つたびに様々なことが思い浮かんで益々眠るどころではなくなってしまった。
余計に目が冴えてきて眠れそうにない。少し外の空気でも吸えば気持ちも変わるかと思いアッシュは起き上がると扉に手を掛けようとした。
何気なく枕元に置いた『イザナミ』の方にアッシュは目を向けた。当てもなくウロウロするよりも素振りでもすれば精神が落ち着いて眠れるかもしれないと思ったのだ。
『イザナミ』を手にしてどこか出来るようなところはないかと彼は引き戸を開けて部屋を出た。
やはり皆、寝ているようで辺りは月の光だけが照らし、虫の鳴き声しか聞こえてこない。足音を立てるのすら悪いような気がして出来るだけ静かに歩く。
しかし、よく考えれば他人の家なので広い場所がないかと探し回るのは失礼だろう。眠れないからこうして歩いているにも関わらず、寝ぼけているかのような自分の行動に呆れる。庭ならば邪魔にならないかと目を向けた時、道場に灯りがついているのが見えた。
誰かいるのかと気になり、そちらの方に足を進めた。日が落ちて冷たくなった廊下を渡り、道場の扉をゆっくりと開いた。扉を開けてすぐにアッシュの耳に刀を振る風切りの音が入った。
だが、よく見るとその刃には樋と呼ばれる溝がない。
この樋があることで容易に音を鳴らすことが出来るのだが、ないもので風切り音を出そうとすれば相当な速さと正確さが求められる。それにも関わらず刀を持つ人物が刃を振ると風を切る高い音が規則正しく聞こえて来るのだ。
そのことから刀を振っている人物が相当鍛錬していることが窺える。
刀から目線を外すと真っすぐに姿勢を正して刀を振る背中が見えた。体格からしてミノルで間違いだろう。声を掛けるようかと思ったが、邪魔をしていいものかと悩んでいるとミノルは振っていた刀を仕舞い、こちらを振り返った。おそらく人が入って来た気配に気づいたのだろう。
人がいるのはわかったがそれがアッシュなのは予想外だったのかミノルは目を丸くして口を開いた。




