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267 震える唇

 氷の檻を作ったのは(ぬえ)かその主だろう。ならば桃を中にいれたのも彼らのはずだ。桃が生えていた周りに鵺の足跡があったことからも自らの意志でもぎ取り、中に入れたということになる。


 だとしたら、何故ホノイカヅチの弱点である桃をあの中に入れたのかということになる。知らなかった可能性もあるかと思い聞いてみたが、アオイの反応はハッキリとしないものだった。


「…さあな」


 彼の様子からして鵺の主がその話を知らなかったとは思えないのだろう。知っていたとすれば、ハヅキをホノイカヅチたちから守ろうとして入れたのだろうか。

 だが、あの光景を思い出すと本当にそれだけなのかと疑ってしまう。


 アオイもそう感じたからアッシュの質問に歯切れの悪い返事しかできないのかもしれない。二人で悩んでいるとヒルデが頬を膨らませて不満を口にした。


「そんなことよりもさぁ、そんな話知ってたなら、嘘つき早く言ってよね。そしたら最初っからアッシュ君が桃投げて蛇たち撃退したのに」


 ヒルデの言葉を聞くとアオイは腕を組むのを止め、腰に手を当ててため息を吐いた。


「桃の木を見つけたとは聞いたが、その桃を持っているとは聞いていない」


 話した時のことを思い出すと桃が実っているとしか彼に言っていなかったような気がする。ホノイカヅチが桃に当たって苦しむ姿を見るまでアッシュは自分がそんな物を持っていることを忘れてしまっていたので話しようもないのだが。


 その返事に納得できずにヒルデがむくれているとクズハがアオイの手に頭を摺り寄せて来た。褒めて欲しそうな顔を見て彼は優しくクズハの頭に手を乗せた。


「クズハもよく頑張ったな」


 アオイに撫でられてクズハは嬉しそうに鳴いて返事をした。その九本の尻尾には包まれるようにしてハヅキが可愛らしい寝息を立てていた。顔色もよく、ただ静かに寝ているだけで瘴気の影響を受けていないように見えるがアッシュにはその判断が出来ない。心配そうにハヅキの近くに来て覗き込んでいるアッシュにアオイは声を掛けた。


「瘴気の影響はないようだ。安心しろ」


 確認するようにアオイの方を見ると力強く頷いた。それを見てアッシュはホッと胸を撫で下ろした。


「ありがとうございました。アオイさんがいなければ俺たち何もできませんでした」


「…俺がいなければ、か」


 彼の言葉を聞いてアオイは考え込むように下を向いた。その態度に疑問を持ちながらハヅキをクズハから受け取っていると彼女の着物の袖から紙が落ちた。

 アオイが持たせてくれた瘴気から身を守るための護符に似ているのでおそらく鵺の主が彼女に持たせたものだろう。

 だが、わずかに違うような気がする。


「アオイさん、これ…」


 アオイの意見も聞こうとした時、彼が驚愕に目を見開き、唇を震わせているのに気づいた。その視線は地面に落ちた紙に向けられている。


「…アオイさん?」


 アッシュの呼びかけに答えず、アオイは紙を拾い上げると強く握りつぶした。髪が顔に掛かって表情がよくわからないが震えていたはずの唇を固く閉ざし、握る手を見つめるその姿は何かを確信したように見えた。


「事態が収拾したと中央に報告しなければならないからな、俺はもう行く。クズハ」


 そう言うとアオイはアッシュたちに背を向け赤い門へと歩いて行った。突然様子がおかしくなったアオイにクズハは首を傾げるが、すぐに彼の後を追った。

 アッシュたちは何も言えず、ただ遠ざかる彼の背を見送るだけしかできなかった。







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