265 炎の明るさと温かさ
その声にヒノカグツチはうつむいていた顔をわずかに上げる。目線が合うとアッシュは頷いてタカオカミとミヅハノメの方を向いた。
最初ホノイカヅチたちを見ていると思っていたが、その視線は敵の奥にいるヒノカグツチを見ていることに気づいた。彼らが何を思っているのかはわからないが、アッシュには心配しているように見える。ヒノカグツチのことが大切だと彼らが思っているからその思いが伝わり、そう見えるのだろう。
――俺たち刀鍛冶は火を使うからな。上手く扱えるように、そして火事にならないようにって守り神の意味で置いてんだよ
ゲンはそういってヒノカグツチの掛け軸に尊敬の眼差しを向けていた。おそらく彼のような火を扱う職人は皆、同じことを思っているのではないだろうか。
そして、彼だけではなく大勢の者が知っているはずだ。暗い夜を照らす炎の明るさと温かさを。
アッシュの想いが伝わったのかヒノカグツチの目に光がわずかに戻って来たようだ。そのことを嬉しく思っていると『イザナミ』の鼓動を感じた。いつもの彼を励ますためのものと違って深い悲しみが伝わって来る。
そんなことは初めてで戸惑っているとヒノカグツチがこちらに首を伸ばして来た。その行動に疑問を抱いたが、ミヅハノメも彼の刀、『イザナミ』をじっと見ていたことを思い出した。
そっと彼が『イザナミ』をヒノカグツチに近づけると鼻先を擦り付けて泣きそうな顔をして笑った。それはまるで長い間仲違いしていた親子の和解のように見えた。
アッシュが持っている刀は確かに『イザナミ』という名だが、本当にヒノカグツチを産んだイザナミではない。
だから、これは自分の願望でそう見えるのだと思った時、『イザナギ』に何かの力が宿るのを感じた。温かい炎のような力に彼が目を丸くしているとホノイカヅチが意を決したような表情をして迫って来ているのに気付いた。
ヒノカグツチが『イザナミ』に何をしたのかは後で考えることにして今は目の前の敵に集中するべきだと刀を構える。すると鎖がきしむ音がした。鵺の鳴き声かと上を見るがただこちらを見ているだけだった。
鵺の主が封じていたタカオカミや自分が連れ去ったハヅキが解放されても、何もしてこようとしないことは不気味だと思ったが、どうやら鵺の声ではないようだ。
落ち着いて耳を澄ますと音は隣からしているようだ。顔をそちらに向けるとアッシュの目に黒い龍であるヒノカグツチが鎖を壊し、大きな羽を広げているのが映った。
唖然と見ているアッシュに頷くとヒノカグツチは蛇へと炎を吐きかける。炎は彼らのよく知るものと違い青い色をしていた。それを見て敵は逃げようと慌てふためくが、向かって来る炎を避けることはできなかった。
ヒノカグツチの炎を受けたホノイカヅチは灰になるまで焼かれると風に吹かれてどこかへと消えてしまった。焼かれて消えたホノイカヅチの断末魔の叫びがまだ辺りにこだまするなか、他の蛇へとヒノカグツチの青白い炎が次々と放たれる。
その炎によって生き残っていたホノイカヅチは全て焼かれ、消え去った。周囲を灰が宙に舞うなか黒い羽を広げて佇むヒノカグツチはまさに掛け軸に描いてあったように自信に満ちた雄々しい姿をしていた。
そのどこか恐ろしくも感じる黒い龍を見ていると目の前が白く霞んできた。何が起こっているのかと戸惑っているとアッシュたちはどこかへと飛ばされてしまった。
その場に残ったのは三柱の神と鵺だけだった。
ヒノカグツチたちはずっとこちらを見ている鵺に視線を向けた。神々に見つめられているというのにその表情は何一つ変わらなかった。しばらく見つめ合ったあと、鵺は彼らに頭を下げると姿を消した。




