238 紫の実と緑の葉
果物の甘い香りがアッシュの鼻孔をくすぐると意識が段々戻って来た。重い瞼を少し開けるとぼやけた視界に乾いた地面が見えた。どうやらうつぶせで倒れているようだ。立ち上がって何が起こっているのか確認しようと手を突こうとした時、突然背中に圧を掛かり、起き上がれなくなってしまった。
「な、なんだ」
顔を後ろに向けると見覚えのある白い狐がアッシュの背に前足を乗せているのが目に映った。自分の方を見ていることに気づくと狐は彼を見ながら、どうだとでも言いたげな表情をして九本の尻尾を嬉しそうに揺らした。状況が良く飲み込めずに呆然としていると聞き覚えのある声が彼の耳に入って来た。
「止めてやれ、クズハ」
それを聞いて狐は不満そうにしながらも渋々アッシュの背から前足を下ろした。軽くなったのを確認すると手を突いて上半身を起こしながら声のする方を向く。
そこにはアオイが不機嫌そうに眉間にシワを寄せて座っていた。
「あ、アオイさん!? 何でここに」
「それは俺の台詞だ」
アオイは立ち上がり、アッシュの側まで来ると紙を手にして言い放つ。
「答えろ。どうしてお前たちがこんなところにいるんだ」
「…たち」
隣を見るとすぐ近くで口をもごもごさせて幸せそうに眠るヒルデがいた。彼女が無事であることに安堵するとアッシュの脳裏に生きているとは思えないほど青白く腐った目で襲って来る敵の顔が過ぎった。思わず周りを見るが、あの敵の姿はどこにもない。
代わりに柵を伝って鈴なりの果物を実らせる木があった。
その紫の実と葉の緑が美しく広がる光景を見て最初はユカリの屋敷で見た藤の花かと思った。
だが、形が違う上に甘さと爽やかな香りもすることからあれはぶどうなのだろう。
いや、今考えるのはそんなことではないとアッシュは首を振った。
確か、自分は倒れたヒルデに駆け寄ろうとしていたはずだが、それ以降のことは何も思い出せない。
自分たちを追って来た敵はどうなったのか。そもそもどうやってこんなところまで来たのか。どれも記憶にないが、自分たちが無事だということは誰かが助けてここまで連れてきてくれたのだ。その誰かというのはどう考えても目の前にいるアオイしかいない。
アッシュはうつむいていた顔を上げて彼に礼を言った。
「アオイさんが俺たちを助けてくれたんですね。
ありがとうございました」
礼を言ったが、アオイの表情は益々険しくなってしまった。もしかして、違ったのだろうかと困惑していると彼は苛立ったように声を上げた。
「質問をしているのは俺だ。さっさと答えろ!!」
「ぅう~ん」
アオイの声が大きくて目が覚めたのかヒルデは身じろいだかと思うと猫のように背伸びをして体を起こした。
「おはよう、アッシュ君。あれ、僕、何で寝てたんだっけ。あと、ここどこ?」
眼を擦りながら来た覚えのない光景に彼女は首を傾げる。辺りを見回しているとアオイの姿が彼女の目に映った。
「あ、嘘つきじゃん!! 何で嘘つきがここにいんのさ」
ヒルデはアオイを指さすと大きな声を上げる。一瞬呆気に取られていたような顔をしていたアオイだが、やがて彼女が放った言葉の意味を理解すると目を吊り上げた。
「誰が嘘つきや!! そもそも、何でここに居るんかは俺が今、この男に聞いてるところやっちゅうねん」
「そんなの知るはずないじゃん。僕、今まで寝てたんだから」
最もなことを言われてアオイは言葉に詰まった。しばらく葛藤するように唸ると片手で頭を乱暴に掻きむしった。
「あぁ~、もうええわ!!」
アオイはイラついたように音を立てながら座ると両手で顔を覆ってうつむいた。心配したのか狐が側に来て彼の顔を覗き込んでいる。
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