232 桃の木
「なんだ、これ」
禍々しい黒い何かに覆われた鳥居の中を潜るとは岩しかない物寂しい光景が目に映った。辺りをいくら見回しても崖がそそり立つだけで草木など一つも生えていない。上を向くと夕焼けとは違う見たことのない不気味な赤黒い空が広がっていた。
明らかに異質な雰囲気に次第に息が詰まって来る。
こんなところが神社へと続く場所とは到底思えない。どうやら知らない場所に飛ばされたようだ。
「腐敗臭が強いな」
鳥居を潜る前に漂っていたものと比べ物にならないほど強い臭いにアッシュは顔を顰める。口元に腕を押し当てながら周りをいくら探してもハヅキを連れた鵺の姿はどこにもない。見えるのは左右を崖に挟まれた一本道の下り坂だけだった。
「どうする?」
「…行くしかないだろうな」
仕切り直しのために帰りたくても後ろは崖に囲まれた行き止まりがあるだけでアッシュたちが通って来たはずの入り口はいつの間にか消失してしまっていた。
ハヅキを見つけるため、また出口を探すためにも彼らは前へ行くしかないのだ。
しばらく進んでいると分かれ道が見えてきたので思わず足が止まってしまった。今まで鵺の姿が見えなくてもここ以外に道はないのでただ何も考えずに前に進めばよかった。
だが、道が分かれているとなるとどちらへ行けばいいのかわからない。
鵺がどこの道を通ったのかという痕跡が残っていないかと探したのだが、姿はおろか足跡すら見つけることが出来ずに肩を落とす。
「手がかりを残しているかと思ったんだがな」
鵺はアッシュたちがついてきているのか確認するような素振りがあった。
なので、姿が見えなくとも必ずどこを通ったのかわかるようなものを残していると思ったのだが、当てが外れたようだ。
もしかしたら近くにいて自分たちを見張っているかもしれないと思ったが、何の気配も感じられない。どうすればいいのかとうなだれるアッシュの袖口をヒルデが引っ張る。
「何だ?」
彼女は片手で口元を覆い、もう片方の手で分かれ道の一つを差している。
「…ねぇ、こっちから甘い匂いしない?」
言われて改めて意識すると確かに彼女の指さす方から完熟した果物の甘い香りがしている。
「本当だな」
「こっち行ってみる?」
彼女の問いかけにアッシュは少し考えたが、ここで悩んでいても仕方がないと思い直した。それに進むためには結局選ばなければならないのだ。
草木のない荒野のようなところで何故果物のような香りがするのかが気になるということもあり、二人はそちらへ向かうことに決めた。
襲われるかもしれないと警戒しながら歩くが鵺はおろか他の生き物に遭遇することもなかった。拍子抜けしながらも前を進むと何かが実った木が見えてきた。辺りを漂うこの匂いはあれだったのだ。
それから放たれる甘い香りのおかげかここら一帯に腐敗臭がない。深く呼吸をして辺りの空気を取り込むと少し落ち着いてきた。冷静になって木を見てみるとそこに実っているのは桃だった。
しかし、普通のものとは違う何かをアッシュは感じ、手を伸ばしていくつか採ってみた。
よく観察してみたが、どこにでもある桃にしか見えなかった。ここがどこなのか知る手掛かりになるかと期待したのだが、違ったようだ。
「カイルさんなら何かわかったのかもな」
『黄金のゼーレ』のメンバーであり、採取専門の冒険者である彼ならば気づくことがあったのかもしれない。
彼はシゲルとの稽古の合間に自分が知っている植物の知識について色々教えてくれた。おかげで並の人間以上に植物に詳しくなったとはいえ専門家である彼の知識にはまるで及ばないアッシュでは見ただけで何かわかるということはなかった。
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