230 愛らしいネコ
「では、私はお先に失礼しますね」
もてなしの準備をしたいからこのまま屋敷に帰るというナデシコが山を下りるのをアッシュたちは見送る。階段に向かっている途中で彼女はこちらを振り返った。
「絶対に来てくださいね。待っていますから」
「はい。お気をつけて」
アッシュの言葉に彼女は満足そうに笑うと小さく会釈して階段を下りる。その背が見えなくなったのを確認すると二人は昨日行けなかった神社へと向かった。
「これから行くところにもあのネコちゃん置いてるかなぁ」
狛犬の代わりに鎮座している虎は先ほどの寺に祀られている毘沙門天に由来したものなのでおそらくはないと思う。
だが、楽しそうにしているヒルデにわざわざ今言わなくとも行けばわかるだろうとアッシュはそれについては何も言わなかった。
「本当に気に入ったんだな」
彼が尋ねるとヒルデは笑顔で大きく頷く。
「うん、可愛いよね。
あ、ネコちゃんで思い出したけどアッシュ君、ネコちゃんと追いかけっこして遊んだんだよね。ズルい」
「…ネコと遊んだ? 俺が?」
ヒルデの言うことに思い当たることが何もない。自分が忘れているだけかと思い、考えるが本当にわからなかった。悩むアッシュを見て彼女は頬を膨らませる。
「アッシュ君の先生っぽい子と会った時に追いかけっこしたって言ったじゃん」
「…あれは遊んだって言わないだろ」
アッシュが鵺と初めて会った時のことを彼女は言っているのだろう。
よく思い出してもあれは遊んでいたとは言わない。どちらかといえば彼が鵺に遊ばれていたと思う。
だが、その言葉を聞いて少年がシゲルかもしれないと言ったときの彼女の反応の意味がわかった。彼女はアッシュだけが鵺と遊んでいたと思ってむくれたのだ。
「でも、おっきいネコちゃんっていいよねぇ。肉球フニフニさせてくれないかな」
すぐに機嫌が直った彼女は見たことのない鵺を思い描いて微笑んでいる。
「多分ヒルデが想像してるのと違うと思うぞ」
彼女はただの大きなネコだと思ってそう言っているのだろうが、歪な体をしたあの生き物はとても可愛いとは言えない。
アッシュは改めて鵺の容姿を説明するのだが、愛らしいネコだと思い込んでいるヒルデの誤解は解けなかった。
ハヅキと出会った木の根がむき出しの場所を足元に注意しながらしばらく進むと下りの階段になっていた。
「山頂にあるんじゃないんだ。うぅ~ん、神社じゃない方に進んでるってことないよねぇ」
「ああ、こっちで合ってると思うんだがな」
綺麗に整えられた道はここしかなく、他は崖のようになっているので間違いないだろう。周りは変わらず森のようになっており、木の間から昇って来た太陽の光が漏れる。美しい景色を堪能しながら降りていると澄んでいた空気が急に淀んできて思わず立ち止まった。
「…何だ。この嫌な感じは」
不穏な気配の発生原因はどこかと辺りを見回すのだが、ただ木が佇んでいるだけで異変はない。
「それだけじゃなくて臭くない?」
ヒルデに聞かれて改めて意識すると確かに何かが腐ったような臭いがかすかに漂っている。
「ここらの木が腐ってるとか?」
「いや、これは明らかに生き物の腐敗臭だ」
動物か何かが死んでいるのかともう一度見渡してもやはり木しか見えない。注意して探ると気配と臭いは神社がある方向からしていることに気が付いた。
「どうなってるんだ」
この異常な状況に戸惑っていると突然、金属が擦れるような音が聞こえてきた。
「うわ、なにこれ」
初めて聞く不気味な音にヒルデは両手で耳をふさぐが、アッシュの方は呆然と呟く。
「これは、鵺の」
聞いたことのある鳴き声に驚いていると鋭い視線を感じた。ゆっくりと顔を上げると神社へと向かう道の先にあの歪な生き物がいつの間にか姿を現し、こちらを見つめていた。
「…あの時の奴なのか」
アッシュには妖怪を見分けることなどできないのだが、何故か少年と会ったときに見たのと同じ個体だと思った。
「ちょ、アッシュ君、アイツの背中見て!!」
ヒルデの声に放心状態から戻り、彼女の言う方に目を凝らすと息を呑んだ。
「ハヅキちゃん!?」
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