228 それ以外の理由
だが、いつまで待っても痛みは来ない。不思議に思って目を開けると刃が首の近くにあるのが見えたが、いつまで待ってもそこから動かない。
「あら、斬らないの?」
刃が目の前にあってもナデシコは慌てることなく、平然としている。
先ほどまで険しい表情から憑き物が落ちたようにすっきりとした顔を見てアッシュは刃を鞘へと納めた。
「敵意がない人を斬りたくはありません。
それに貴方を傷つけたらハヅキちゃんとミノルさんに申し訳ないですから」
刀を仕舞った今ならアッシュを殺すことが出来ると薙刀を握るのだが、ナデシコはすぐにため息を吐いて両手を上げた。
「はぁ、もういいわ。負けたわよ。これでいい?」
武器を放し、すねたような口調で己の負けを認める彼女にアッシュは尋ねた。
「ナデシコさん。俺を襲って来たのは本当にミノルさんのためだけだったんですか」
「? それ以外に何があるっていうの」
アッシュが何を言いたいのか理解できずに彼女は首を傾ける。
「それにしては楽しそうでしたよ」
顔を隠していた時はわからなかったが、薙刀を振るときの彼女は子供のように無邪気な笑みをしていることに気が付いた。『イザナミ』を取り返そうとしているだけでそのような表情をするだろうかと戦っている間、アッシュはずっと疑問だった。
その言葉を聞き、ナデシコは目を丸くして瞬かせると小さく微笑んだ。
「あぁ、そうね。本当は私、シゲルさんとこうして戦ってみたかったのね」
ナデシコは幼い頃からたしなみとして薙刀を習っており、シゲルほどではないが子供ながらに大人顔負けの強さだった。
しかし、それを知られるとミノルに嫌われるのではないかと言う恐れがあり、彼の前だけは静かで大人しい少女のふりをしていた。
それほどの強さを持っていたが、彼女は薙刀にも婚約者になってしまったシゲルにも特に思い入れなどなかった。
だが、彼と自分が戦えばどちらが強いのだろうという興味はあった。ミノルの手前、戦うなどできなかったが、その疑問は彼が国を出た後も続いていた。
時が流れ、そんなことを思っていたことすら忘れかけていた時に『イザナミ』を持った男がこの国に来ると聞いた。ミノルの耳にも入ったのか、彼はシゲルが国を出たあの日のように暗い表情をするようになった。
ミノルのために何かできないのかと考えた時、自分が『イザナミ』を取り返せばいいのだと思いつき、その男が必ず通ると教えてもらった場所で待った。
しばらくするとそれらしい男がこちらへ向かって来た。男はナデシコの姿を見て警戒しているようだが、隙があった。薙刀を手に持っているのが見えているはずなのにそんな反応だった。
あのシゲルが刀を誰かに奪われるなどありえない。盗られたのでないとしたら『イザナミ』を持つという目の前の男は彼の教え子なのだろう。どれほど強いのかと思っていただけにその態度を見てひどく落胆した。
これならば、少し脅せば刀を置いて逃げそうだ。さっさと済ませようと思い、ナデシコは薙刀を振った。
予想に反して攻撃は躱されたが、男の左腕から血が流れるのが目に映る。傷つけるつもりはなかったのだが、彼が期待外れだった怒りで少々力が入ってしまったようだ。
叫び声を上げて逃げるかと思っていたが、彼は連れの女性に何か言うと腰に携えた『イザナミ』を手にして構えた。
その姿がシゲルと重なり、ずっと内に燻っていた色々なものが燃え上げるのを感じた。彼ではないとわかっているのだが、どうしようもなく心が高揚するのを感じる。
だが、ナデシコにとってそれは到底認められるものではなかった。だから、ずっと見ないふりをしていたのだ。
しかし、こうして負けたにも関わらず、清々しい気持ちになったことで今まで抑え込んできた自分の想いに向き合うことが出来た。
「ねえ、アッシュさん」
「なんですか」
不思議そうにナデシコを見るアッシュに穏やかに問いかける。
「シゲルさんって貴方よりも強いのかしら」
質問の意図がわからず彼は首を傾け、ハッキリと言った。
「俺なんかより強いですよ、先生は」
「うふふ、そう」
きっと近いうちにシゲルはオノコロノ国に帰って来るだろう。その時に彼本人に戦いを挑むのだとナデシコは決めた。
アッシュよりも強いという彼と戦える日が楽しみになり、ナデシコは思わず笑みがこぼれた。
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