226 燻る負の感情
ナデシコは薙刀を構えるのを止めて頬に手を当て、首を傾げる。敵意がなくなったような体勢になったにも関わらず、漂う殺気は変わらない。
アッシュは刃を向けたまま警戒を解かずに彼女の答えを待った。
「どうして、ねぇ」
彼女はアッシュの問いかけを反芻するように繰り返す。もう取り繕う必要がないとわかったからか女性らしい、しなやかな立ち姿を取った。
「最初はね、ちょっと脅すだけのつもりだったの。それに怖気づいて『イザナミ』を置いていってくれないかしらって。
でも」
言葉を続けるのを止め、アッシュの方を向いて微笑む彼女の目には暗い負の感情が渦巻いていた。その瞳を見ると背筋に冷たいものが流れる。
「貴方が刀を構える姿があまりにもシゲルさんに似ているものだからつい。
ごめんなさいね」
ナデシコが薙刀の人物だとすれば目的は刀か、シゲルへの恨みだと思っていたが、そのどちらもだったようだ。口約束とはいえ婚約を反古にされたことで可愛さ余って憎さ百倍といったところなのか。
そう思っていると彼女が薙刀をアッシュに向かって振り下ろして来た。
警戒していたとはいえ話している途中でまさか攻撃して来るとは思ってもみなかったが、何とか受け止めることが出来た。そのまませめぎ合っていると再び彼女が口を開いた。
「勘違いしないでね。私はシゲルさんのことを好きだったことなんて一度もないわ。
私が愛しているのは最初からミノルさんだけ」
「じゃあ、何で」
急に軽くなったと思えば、彼女がすぐに薙刀の持ち方を変えて石突の部位をこちらへと振るのが見えた。構え直すよりも素早い動きにわずかだが反応が遅れる。
しかし、何とか体に当たる前に刀で弾くことに成功し、距離を取った。
薙刀の柄に手を添わせ、彼女はまた持ち方を変えて今度は刃をアッシュに向けて口角を上げる。
「私はミノルさんとって結婚したいって言ったのよ。なのに、お義父様がシゲルさんの方だって思い込んじゃったの。本当に困ったものよね。
どうにかできないかしらって思ってたらシゲルさんが国を出たことで婚約の話もなくなったの。あの時は嬉しかったわ」
シゲルは鈍い人ではなかった。おそらく、ナデシコが自分ではなく、ミノルのことが好きなことは早くに気が付いただろう。もしかしたら、その時、彼女の中に燻る負の感情もわかっていたのかもしれない。
国を出たのは反りの合わない父親だけが理由ではなかったようだ。
「国を出るだけでよかったのにシゲルさん、『イザナミ』を持って兄から奪ったって言って回ったでしょう」
微笑んでいたナデシコは突然眉を寄せてアッシュを真っすぐに見つめる。その表情はこちらを睨んでいるようにも苦しんでいるようにも見えた。
「それを聞いたほとんどの人は、あんなに強い弟が相手ならば仕方がないと言って好意的だった。
けどね、同情するにかこつけて今までシゲルさんが怖くて何も言えなかった人たちが口々に彼の悪口を言うようになったの。それを聞いたミノルさんは優しいから自分の所為だっていってひどく思い詰めてしまったの。見ているこちらも辛くなるほどにね」
その時のことを思い出したのだろう。強く薙刀の柄を握るのが見え、いつ攻撃が来てもいいように構える。
「時々、兄のくせに弟なんかに刀を奪われる軟弱者なんて陰口ことを叩かれることもあったわ。そんなことを言う奴に腹が立ったけど、それ以上にいなくなった後もミノルさんを苦しめるシゲルさんが憎くて仕方なくなったの」
ナデシコはアッシュの方に向かって来ると素早く薙刀を振る。来ることがわかっていたアッシュも刀を振り、刃を受け止める。
すると彼女は器用に持ち方を変えて石突で再び攻撃して来る。そうして何度も刃を重ね、打ち合う中で彼女はアッシュに語り掛ける。
「それでもね、時間は掛ったけどようやく立ち直ってくれたの。
なのに、『イザナミ』を持った男がこの国に来たって聞いてまたふさぎ込んでしまった。
だから、思ったの。ミノルさんがこれ以上傷つかないでいいように刀を返してもらおうって、ね」
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