220 存分に
剣を捨てればもう悩まないでもいい。そんなこと彼ならすぐに思いついているはずだが、それが出来るのならばこんなところで一人で修行などしているはずがない。
彼の大切な人も比べられることがわかっていても剣を捨てられないのだろうが、それも時間の問題かもしれない。
周りの圧に負け、その人が剣を捨ててしまえば、きっと彼らは一生の傷を心に負うことになる。だから、それだけは避けなければいけない。
どちらも剣を続けていくためには物理的に離れるしかない。そうすれば、周りは比べることを止めるだろう。
やがて自分たちを評価する周囲の声が彼らの耳に入ってこなくなれば、必ず現状は良い方に変化していくはずだ。
「…離れる?」
思いもよらぬことを言われたように少年は目を丸くしてアッシュの方を向いた。はぐれた子供のように不安そうな顔を見せる彼にアッシュは微笑んだ。
「近すぎるからこそ、互いに色々見えなくなっているんだと思います。
離れることで見えて来るものがきっとあるはずです」
今は周りの声が聞こえて来ることで否が応でも意識してしまい、どちらも精神的にも疲弊しているために視野が狭くなっている。そのために自分が我慢しなければいけないのだと思ってしまっているのだろう。
アッシュの言葉を聞き、再びうつむいてしまった少年を見て子供である彼に無責任なことを言ってしまったのかもしれないと思った。
だが、耐え続けるのではなく、辛い立場から逃げてもいいのだと言うことを知ってもらいたかったのだ。
「――ですか」
「え?」
声が小さかったためによく聞き取れず、アッシュは聞き返す。すると彼は顔を上げて真っすぐにこちらを見てもう一度問いかけた。
「外の国では貴方のように強い人がいますか」
先ほどまで星の見えない夜のように暗かった彼の瞳に希望という灯りが宿り、光が戻って来ていた。自分が考えつかなかったような可能性を指し示されたことで知ろうとしなかった外の世界への好奇心が抑えられないのだろう。それはアッシュも覚えがある。
「俺より強い人なんていくらでもいますよ」
その答えに彼は嬉しそうに目を輝かせると木刀を差し出して来た。
「約束、覚えていますか。今すぐ手合わせしたいのですが、お時間よろしいでしょうか」
話を聞いたことで、まだ見ぬ強敵を想像して体を動かしたくなったようだ。初めて見せる彼の清々しい笑みに答えるようかのようにアッシュは躊躇わずに木刀を受け取った。
「ええ。存分にやりましょう」
アッシュは木刀を手にすると少年の気が済むまで何度も打ち合った。あの時も手が付けられないほどだったのだが、悩みが吹っ切れた彼は以前よりも強くなっていた。
以前は姿が消えてもわずかに察することが出来た彼の気配は、ほとんど感じられなくなった。それだけでも手こずるのに小さな体を生かした戦い方をするものだから本当に大変だった。
それでも負けると言うことはなかったが、あと数年も経てばどうなるかわからないだろうと疲れて少年と二人で地面に倒れ込んだままアッシュは思った。
乱れた息を整えたアッシュが起き上がろうとした時、指先に『イザナミ』が触れた。そのまま手に取って何の気なしに眺める。
そんなアッシュの行動を不思議に思った少年は首だけをこちらに向けながら問いかけた。
「何かあるのですか、その刀に」
彼の質問にアッシュは返答に迷った。話すことで彼が一緒に悩んでくれることがわかったからだ。周りとの関係に思い悩む彼にこれ以上負担を掛けたくないと思った。
しかし、シゲルと同じ顔をした彼の純粋な瞳を見てしまえば、誤魔化すことなど出来るはずもなかった。
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